一龍斎貞寿 めくるめく繰り広げられる因果因縁の四谷怪談・・・その発端に身震いした

晴れ豆TVで「一龍斎貞寿独演会」を観ました。(2020・07・09)

貞寿先生の高座を聴いていると、講談が好きで好きで堪らない!という気持ちがいっぱいに溢れているのがよくわかる。5月の道楽亭ネット寄席での小助六師匠との二人会でかけた「石川一夢」は、講談師を主人公にした読み物で、その石川一夢の気持ちになりきっている。身投げしようとしていた男女を助けるために借金のカタに入れた十八番の「佐倉義民伝」をめぐる物語は、まさに講談師の心意気が伝わってくる。

また、7月1日に高円寺ノラやで聴いた「任侠流山動物園」(三遊亭白鳥作品)も、貞寿先生の可愛さが垣間見えた。そもそも、一龍斎は義士伝を看板にした一門なので、五代目貞丈先生が「武士の口調が乱れるから、侠客伝は避けろ」という教えだったそうで、「でも、これはやります!」と。パンダのパン太郎親分と象の政五郎親分との掛け合いで、「パンダの生まれよ」という台詞が出た瞬間、「これがやりたくて、この噺をやったの!」。最後の上野一家と流山一家の決闘のところは講談師が読んでいるメリットを最大に生かして、たっぷり聴かせてくれた。

で、この日の一席目は「八百蔵吉五郎」で、6月28日に講談広小路亭で聴いたときにも書いたが、「天明白浪伝」の中でも珍しい恋愛物語が、貞寿先生のキャラクターと口調と技術の高さでより輝いた。イケメンで色気があって小綺麗な若旦那風の男にお花が惚れた場面。二人の距離が次第に接近していく様子。チャ、チャ、チャ、という雪駄の裏金の音に胸高鳴らせる乙女心。貞寿先生の面目躍如たるところでしょう。

そして、この日は何と言っても「四谷怪談~お岩誕生」が実に良かった。お岩と田宮伊右衛門が夫婦になるが、それは実は敵同士の夫婦であって、この二人の因果因縁が絡み合い、めくるめく怪談噺が繰り広げられる、その前哨戦、つまりその因果因縁をきっちりと描いて、興味深い高座であった。

四谷左門町に住む田宮又左衛門の娘・おつな(18)は、幼い頃に疱瘡になり、あばたの醜い顔をしているが、心根は優しい女性。田宮家で飯炊きとして働く伝助と相思相愛となり、懐妊。又左衛門は名目上は勘当の形を取るが、神田五郎兵衛町に所帯を持たせた。伝助は松平安芸守の屋敷に飯炊きとして雇われた。

松平の殿様はいわゆる四月大名で、参勤交代で4月になると国許に帰参。当然、家来たちも一緒に帰るが、足軽頭の高田大八郎は病気を理由に江戸に残った。飯炊きの伝助も本来は失業だが、高田のために飯炊きに行く。竈にいくと、生暖かい空気が流れ、天井から血が垂れてくる。猫が鼠を食い殺したのだろうと、天井を棒で突くと、さらに血が垂れてくる。不信に思った伝助は二階へ。猫の姿はない。合羽笊を持ち上げると、中から首と胴体がバラバラになった死体が!

発見されてしまった高田は伝助にワケを話す。霊巖島の金貸しの伊勢屋重助から5両借りていたが、返せないでいると、利息が増え、莫大な借金になってしまった。毎日、伊勢屋が取り立てに来る。「返せないなんて、お前は盗人だ」と言う伊勢屋の首を斬ったのだと。「一人殺すも、二人殺すも同じこと」と凄む高田に、「命ばかりは助けてください。なんでもします」。で、高田は「3両やるから、この死骸を捨ててこい」。死骸を麻の風呂敷で包み、外へ出たが、どうしていいかわからず、伝助は神田五郎兵衛町の自宅に。「布団の洗濯を頼まれた」と言って、押し入れに風呂敷包みをしまう。

伝助は伊勢屋の女房が心配しているだろうと、「死んだ」と知らせてやろうと霊巖島へ。戸を叩く。「いないのかな?」。実は伊勢屋の女房のおふみは、夫のことが気になり、高田大八郎の家を訪ねていた。「亭主はきていませんか?」「来てないよ!そんなに会いたいか。なら、冥途でたっぷり会うがいい!」と、おふみを斬ってしまう。「居場所は伝助に訊くんだな」。おふみの死骸は、やはり天井の合羽笊の中へ。

一方、神田五郎兵衛町のおつな。雨音の中、ピチャピチャという足音が玄関の前で止まった。戸を開けようとしたそのとき、「ごめんくださいまし」と声がする。「霊巖島の伊勢屋重助の家内でございます。宅がお邪魔しているそうで・・・」。否定する、おつな。「いいえ、いますとも。高田大八郎様に伺ってきました」。おつなが戸を開けると、そこにはこの世のものとは思えない、血を流し、青ざめ、手を垂らしたおふみの姿。

「あそこに、あの押し入れの中に・・・」。麻の風呂敷包みから、両手を真っ赤に染めて取り出した生首を愛おしそうに抱え、「エッ、ヘッ、ヘッ。やっと見つけた。ヘッ、ヘッ、ヘッ」。おつなは仰天し、ギャーッと声をあげる。そのときに女の子を産み落とした。そして、おつなはショック死してしまった。父の田宮又左衛門は「新しい命と引き換え」と思い、この子にお岩と名付け、我が子同様に大切に育てた。

浅草寺の大道易者をしていた榊原和馬が田宮家に婿入りし、名を田宮伊右衛門と改める。ところが、この男は実は高田大八郎の息子であった。この後、敵同士の夫婦となったお岩と田宮がめくるめく因縁噺へと展開するという、四谷怪談の発端。ストーリーの面白さを巧みに伝えていく、貞寿先生の講談に引き込まれた。