浪曲映画祭その4 天保水滸伝のヒーロー・平手造酒 片岡千恵蔵が丸根賛太郎に監督の才を見つけた
ユーロライブで「浪曲映画祭」四日目を観ました。(2020・06・29)
浪曲の「天保水滸伝」は正岡容先生原作で、二代目玉川勝太郎で一世を風靡した。講談の「天保水滸伝」が下地にあるわけだが、正岡先生が現地を取材し、脚色し、浪曲にした。「利根の川風袂に入れてぇーえぇー」の節とともに、浪曲全盛期には、これで国民が笹川繁蔵や飯岡助五郎を知り、北辰一刀流の剣豪・平手造酒が人気キャラクターになったと言ってもいいのではないか。
浪曲「鹿島の棒祭り」浪曲:玉川奈々福、曲師:沢村豊子
映画「春秋一刀流」(1939)日活 監督:丸根賛太郎 出演:片岡千恵蔵
トーク「片岡千恵蔵とチャンバラ映画」 山根貞男
千葉道場を破門となった平手造酒。知り合った只木巌流、多聞重兵衛ともども笹川繁蔵の用心棒に雇われ、博徒同士の抗争に巻き込まれる物語だ。
冒頭の抜けるような青空。そこに字幕が入る。「このいゝお天氣に――」「建師ヶ原に 雨が降る」「血の雨が降る!」。左から、侍の軍勢。右からも別の軍勢。カメラがぐっと寄って、片岡千恵蔵(平手造酒)、原健作(只木厳流)をアップで横から順に捉える。音楽がそれを盛り上げる。そら大立ち回りが来るぞ……と思わせておいて、場面は転換し、刀を地面に突っ立てて高みの見物を決めこんでいる片岡・原の両人が映し出される。彼らは同じ道場の出身者で、出入りの用心棒に雇われて、5年ぶりにばったり行きあったのだ。
その後、長閑な会話がつづく。俺もお前もどうせ雇われの身、刀一振りたったの一両と一両二分。もっと羽振りのよさそうな飯岡の助五郎親分(市川小文治)とやらのもとで、お互いに割のいい仕事をしようじゃないか。そんな割り切った考え。道中で二人は、多聞重兵衛(志村喬)を仲間に引き入れて、ここで「三匹の侍」が揃う。三人は、宿で出会った多駄平(田村邦男)を無理やり酒宴につきあわせる。酒の勢いも手伝って、多駄平は饒舌になる。評判のよくない助五郎たぁ悪い了見だ、わが繁蔵親分(澤村國太郎)のもとで働かないか。ここに至るまでのちぐはぐで暢気なやり取りがおかしい。前半は明るいが、後半になるにつれて悲壮感が増し、静寂が支配するようになる。はらはらと舞い散る木の葉。繁蔵屋敷の軒端を斜め上から見下ろす映像が何度も出て来る。木魚の音が響くが、トーキーとは思えないほど、静かな場面だ。
そしてクライマックス直前。轟夕起子(お勢以)が、江戸へ行きましょうとしきりにすすめるのを断って、「何か得体の知れない力に、磐石のようにのしかかられて、身動きさえできぬ気持ち。・・・運命、そういうものをひしひしと感じる」と、達観した台詞を呟く千恵蔵の横顔はゾクゾクするほど美しい。
ラストで、病をおして千恵蔵が山道を駈けぬける場面は、「血煙高田馬場」の阪東妻三郎にまさるとも劣らない。千恵蔵の鬼気迫る大見得は忘れ難い。バッタバッタと雑魚をなぎ倒してゆく千恵蔵と、助五郎を庇って次から次に横あいから登場する手下たち。冒頭で流れたのと同じ楽曲が、さらにテンポを速めて鳴り響く。終幕は、平手造酒の書いていた日誌で喧嘩の結末が描かれる。
上映終了後の山根貞男さんの解説が実に興味深かった。
丸根賛太郎の監督デビュー作品なのだが、このとき、24歳。京都帝国大学在学中から日活の助監督をしていて、中退して1935年、日活に入社。入社4年後の丸根が、自分で書いた脚本を出して映画を撮らせてくれ!と言い、この脚本を読んで気に入った片岡千恵蔵がプッシュして実現したものだそうだ。30年代、人気俳優はプロダクションを設立して映画を制作していた。千恵蔵も片岡千恵蔵プロダクションを作っていたが、37年に日活に入社。日活における絶大な権力もあったかもしれないが、千恵蔵には脚本を読む力と監督を見抜く力があった。だからこそ、この映画が、時代劇に新風を巻き起こし、丸根が前年亡くなった山中貞雄の再来と騒がれたのだと。
32年に「闇討渡世」で千恵蔵は、平手造酒を主演している。サイレントで、伊丹万作監督、片岡千恵蔵プロダクション制作の「國士無双」に続くコンビだ。村松梢風の新聞小説「人間飢饉」を原作にした映画で、平手造酒の孤独を描いた。
丸根の「春秋一刀流」にはネタ元がある。37年公開のフランス映画「我等の仲間」(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、主演:ジャン・ギャバン)。宝くじで10万フランを当てた5人の仲間たちが協力し、力を合わせて小川のほとりに「ベル・エキップ – 我等の家」と名付けた別荘で店を開こうとするが、次第に破綻をきたし、一人ずつ仲間が減っていくというストーリーだ。これにヒントを得た丸根は平手が只木巌流、多聞重兵衛の3人で笹川の用心棒になり、資金を積み立て、道場を開こうとするが…。丸根もこのことは「あのフランス映画を観て、いただき!と思った」と認めているそうだ。
ただ、当時の「キネマ旬報」ではボロクソに酷評されたらしい。平手の日誌で展開していく脚本、サイレント時代の名残である字幕を入れた演出。これらが「独りよがり。自分に酔っている。山中貞雄は嘆くだろう」と。だが、そんなことはなかった。戦後の平手造酒を扱った映画に多大なる影響を及ぼした。「天保水滸伝 大利根の夜霧」(1950 監督:佐伯清、平手造酒:山村聰)、「平手造酒」(1951 監督:並木鏡太郎、平手造酒:山村聰)、「座頭市物語」(1962 監督:三隅研次、平手造酒:天知茂)…。
自分を信じて突き進めば、やがて時代がついてくる。そして、周囲も認めてくる。そんな勇気を貰えた。