浪曲映画祭その3 人間くさい国定忠次を描く 伊藤大輔監督の経営陣への反骨精神と心意気
ユーロライブで「浪曲映画祭」四日目を観ました。(2020・06・29)
この日に観た「忠次旅日記」(デジタル復元版)は圧巻だった。日本映画史に残る傑作として名高い、この無声映画は3部作になっているが、プリントは焼失したとされていた。だが、1991年に第2部の一部と第3部の大部分が発見され、復元された。その貴重な復元版107分を活弁士・坂本頼光の説明と、沢村美舟の三味線で見事なまでに魅力的な作品として拝見できたことが何より素晴らしかった。頼光さんと美舟さん、ありがとうございました。
忠次旅日記(1927)日活 協力:国立映画アーカイブ 監督:伊藤大輔 出演:大河内傳次郎 弁士:坂本頼光、三味線伴奏:沢村美舟
「国定忠次は鬼より怖い。にっこり笑って人を斬る」と謳われた幕末の侠客・国定忠次は、悪代官をこらしめ農民を救う英雄として講談や浪曲、大衆演劇で人気を集め、大正時代には澤田正二郎演じる新国劇の舞台や尾上松之助主演による映画化がおこなわれていた。
1926年(大正15年)に日活に入社した伊藤大輔は、同年の時代劇映画「長恨」でコンビを組んだ第二新国劇出身の若手俳優、大河内傳次郎を使って従来の颯爽とした英雄の忠次像を廃し、子分に裏切られて破滅していく人間くさい忠次像を映画化しようとした。だが、経営陣は、松之助が演じた従来の忠次像にこだわり許可しなかったので、やむなく伊藤は第1部「甲州殺陣篇」でヒーローとしての忠次を描いた。
幸い好評を得たので、その実績をもとに本来のテーマである第2部、第3部を製作した。伊藤本人いわく「無頼漢の忠次とは何事だと横槍が出て、仕方なしに『血笑篇』と『御用篇』のテーマは残して、最初に『甲州殺陣篇』と言う無意味な立ち回りを撮ったんです。その立ち回りが当たったんで、松之助さんも病没したことではあるし、まあ続けてあともやれということで……そんな時代の産物でしたよ、あの忠次は」。
第1部は監督自身あまり愛着を持っておらず、本来のテーマを元にした第2部、第3部が重要なのであった。それでも三作とも、外国映画の影響を受けた斬新な演出、動きのあるカメラワーク、御用提灯の効果的な使用、大河内の迫真の演技、激しい立ち回り、瑞々しいリリシズム、字幕の巧妙な使用など、従来の時代劇と違う新しさが評価された。
作品は大ヒットし、芸術的にも高く評価され、たちまちのうちに監督・伊藤大輔、主演・大河内伝次郎、撮影・唐沢弘光のゴールデントリオに人気が集まった。昭和2年度の「キネマ旬報」ベストテンに第2部が第1位、第3部が第4位にランクインされた。
以降このトリオは最新の映像表現で、「新版大岡政談」「興亡新選組」などサイレント時代劇の名作を世に送っていった。当時の評を見ると「鮮烈なタッチのカッテイングと悲壮感」(第1部)「胸を打つセンチメンタリズムのほとばしり」(第2部)「灰色のニヒリズムと悲愴美」(第3部)と書かれていて、後の日本映画を支える人材達はこの映画に少なからず影響を受けており、その後の日本映画の歴史を変えたエポックメーキングな「時代劇の古典」として重要な地位を占めている。
その後、伊藤監督自身が総集篇を作るときに第1部を廃棄、残った第2部と第3部のフィルムと脚本も散逸し、第3部の1分間の断片シーンしか残されていない「幻の名作」とされていたが、1991年、広島県の民家の蔵から可燃性の35ミリフィルムが発見された。フィルムは広島市映像文化ライブラリーを経て、東京国立近代美術館フィルムセンターで復元作業が行われた。フィルムは第2部の一部と第3部の大部分、計89分であることがわかった。1992年、同センターで復元版が公開された。2011年には同センターが着色及びデジタルリマスタリング化を行った106分のデジタル版が上映され、その後、第1部の冒頭1分も発見されている。
あらすじはこうだ。
悪代官を斬って赤城山に立てこもった忠次は役人に襲われたが、そのときの誤解から友人御室の勘助を死なせてしまい、償いのため勘助の遺児・勘太郎を連れて放浪の旅に出る。仇である自分を親のように慕う勘太郎に、忠次は心からの愛情をそそぎながらも今後のことを思い、信州の顔役、壁安こと壁安左衛門に勘太郎の身柄を預けようとするが、かつての子分が自分の名を騙って盗賊をすることを知る。怒りと失望に愕然とする忠次。子分は申し訳なさに自害、「身内には盗賊はいない」と思っていた忠次は恥じて勘太郎とともに壁安の家を出る。
そのころ忠次の持病の中風が悪化し利き腕の右手が利かなくなる。頼りにしていた子分や友人にも次々と裏切られ、探索の手はきびしくなるばかり。次々と二人を襲う危機を何とかして切り抜けるが、もはや、子連れの逃避行は出来なくなってきた。二人の身を案じる壁安の命をうけ追いついてきた子分・三つ木の文蔵の説得に、忠次は泣く泣く勘太郎と別れ、朝焼けの中を一人おちのびる。
越後長岡の造り酒屋・澤田屋に番頭として潜伏していた忠次は、束の間の平穏な時期を過ごしている。澤田屋の娘・お粂に告白されるが、自分の境遇では受け入れられないと悩む。ある日澤田屋の息子の危機を救うために悪人の音蔵に正体を明かし、捕り手に追われる羽目になる。澤田屋とお粂との犠牲で窮地を脱した忠次は病苦に苦しみながらようやく上州に帰り、成長した勘太郎に会いに行くが、お尋ね者の身では声をかけることすら出来ない。忠次は病気と心痛のあまり山中で倒れ、役人に捕らえられる。
一方、文蔵ら子分たちは護送途中の忠次を救い、戸板に乗せて妾のお品が待つ国定村に帰る。寝たきりの忠次を、村人や身内は献身的に看護する。だが、裏切り者が出て隠れ家は捕り手に包囲される。忠次を守るべく子分たちは奮戦するが一人また一人倒され、役人・中山精一郎に諭された忠次はお品もろとも縄につく。
子分に裏切られて破滅していく人間くさい忠次が実によく出ていた。日本映画史に残る傑作と言われることに、合点がいった。これだ、これが伊藤大輔は描きたかったのだ!随所にユーモアを交え、大河内傳次郎の激しい殺陣が相まって、国民的人気を博した昭和初期に思いを馳せる。従来の颯爽としたヒーローの忠次のイメージに拘って、「無頼漢の忠次とは何事だ」と言っていた経営陣に、伊藤大輔は反発した。良き理解者である役者の大河内傳次郎とキャメラマンの唐沢弘光の協力で経営陣をギャフンに言わせた反骨精神に拍手喝采!
人間くさい国定忠次の魅力に心奪われ、映画を観終わったあとに、伊藤大輔の監督としてのマインドを知って、二倍に感激した。復元したフィルムセンターに感謝すると同時に、今回の浪曲映画祭での上映に尽力した関係者と、それを見事に魅力的にした弁士・坂本頼光さんと三味線伴奏・沢村美舟さんに、もう一度御礼の言葉を申し述べたい。