浪曲映画祭その2 「相撲」を切り口に、江戸の社会風俗を描く娯楽に思いを馳せる

ユーロライブで「浪曲映画祭」三日目を観ました。(2020・06・28)

その1で、大衆娯楽としての映画と浪曲の黄金期における相思相愛について書きましたが、きょうは大相撲と映画、浪曲との関係について考えてみようと思います。

大相撲は現在もテレビ中継がされ、国民に親しまれる伝統スポーツとして根付いているが、かつて浪曲含めた話芸、それに準ずる映画の題材になった時代と比べると、やはり、その蜜月関係というのは希薄になったなぁ、残念なことだなぁと感じる。この日に観た映画と浪曲は以下の通り。

浪曲「越の海物語」浪曲:真山隼人、曲師:沢村さくら

映画「雷電」新東宝 監督:中川信夫

映画「続雷電」新東宝 監督:中川信夫

力士伝をネタにした浪曲は少なくないが、相撲に詳しく横綱審議委員も務めた作家・尾崎士郎の長編小説「雷電」を原作に中川信夫監督が映画化した青春物語といった感じで、後に雷電となる太郎吉を演じる宇津井健と、恋人のおきんを演じる北沢典子の弾けるような若さが眩しい。ちなみに尾崎先生は浪曲好きとしても知られていたらしい。

でも、単なる青春モノと言うわけではなく、浅間山大噴火や天明の大飢饉といった社会背景があり、また江戸時代の庶民と相撲、力士と大名、さらには侠客と力士の関係がきちんと描かれていて、要素に遊郭文化も入っており、何と言ったらいいんだろう、知性のあるエンターテインメントなのだ。

雷電 為右衛門(1767-1825)。信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市)出身。本名は関 太郎吉。現役生活21年、江戸本場所在籍36場所(大関在位27場所)で、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士とされている。その若き日のエピソードを脚色した映画が眩しい。

「雷電」のあらすじ。浅間山麓長瀬村の庄屋・上原源五右衛門の屋敷に奉公している16歳の少年、太郎吉は六尺豊かの大男。相撲好きの源五右衛門は、太郎吉を江戸に出して力士にしてやろうと思っていた。その頃、干ばつなどの天災で地方巡業ができなくなった浦風一行が、上原邸にワラジを脱いだ。太郎吉の立派な身体に浦風は目を見張った。

谷川で難を救ってやった小諸に住む娘おきんが、上田の女郎屋に売られて行ったことを聞いた太郎吉は、博徒久六の手ごめになっているおきんを助け出した。当時、飢えに苦しむ百姓一揆が各地で起こった。太郎吉はその中に父親の姿を発見してしまう。親子水入らずで暮らすことが何よりだと考え、関取になる望みを断念、実家に帰った。

が、ある日。江戸に奉公に出るというおきんに会い、考え直した太郎吉は再び源五右衛門の屋敷に帰って来た。太郎吉は白鳥大明神の奉納相撲で優勝。やがて浦風一行と江戸へ上った。おきんが老中・本多中務大輔の屋敷に奉公に上っていて、太郎吉は会うことができた。

浦風部屋の看板力士、関ノ戸が本多家のお抱えになり、十数人の力士を連れて錣山部屋へ移籍する。浦風親方は、関ノ戸お抱えの披露の席上で、屈辱を受ける。白根山を名乗っていた太郎吉は憤激し、本多の家臣たちを大川に放りこんだ。帰途、浦風は何者かに肩を斬られた。残った力士も去った。太郎吉は胸を借りる力士がいない。これを案じた浦風は、白根山を谷風部屋に預ける。

一方おきんは、老女の監視と、好色な本多中務に耐えられなくなり、太郎吉の許へ駈けこんだ。浦風に出世するまではおきんと会わないと誓った太郎吉だが、二人は屋形船へ身を隠した。太郎吉とおきんは、死ぬのが最大の幸せと懐剣を抜く…。

もう前編を観ただけで、相撲ファンの僕は興奮した。おきんという恋人を設定した恋物語に脚色はしているが、それ以外はかなり史実に忠実で、もちろん尾崎士郎先生の原作が良いのだが、当時の映画会社に入社して、修行を積んだ監督や脚本の知的レベルの高さがそのまま映画黄金期にいかに花形産業であったかを彷彿させる。

「続雷電」のあらすじ。太郎吉が懐剣を握った時、狂歌を口ずさみながら現れた男があった。屋形船に寝ていた狂歌師・大田蜀山人だ。話を聞いた蜀山人は命を預かろうと言った。おきんの相手が太郎吉であることを知った本多中務は、相撲会所に命じて十両の白根山(太郎吉)と小結の関ノ戸を取組を組ませ、太郎吉を片輪者にしようと図った。

白根山は茶店で酔った侍に追い廻されていた町娘・お八重を助けた。さて秋場所、白根山と関ノ戸の一戦。白根山は関ノ戸の頭突きを受け止め、士俵際で体を開き、関ノ戸を破った。本多中務は腹いせに、白根山の本場所出場禁止と、谷風部屋の所属力士の夏場所出場停止を申しつけた。

仕方なく谷風は、小田原方面の巡業に出る。草相撲の大関・大岩に因縁をつけられ、白根山が谷風に代り対決し、大岩の両腕を折った。白根山は、行方の知れぬおきんが伊東の茶屋に監禁されていることを聞き、駈けつけたが、すでに彼女は姿を消していた。白根山の不出場は大相撲の人気を失わせた。

蜀山人は、狂歌で本多中務に秋場所に小野川と白根山の取組を約束させた。お八重は、旗本・倉橋が白根山の名を騙り呼び出され、関係を迫られると懐剣で倉橋を突き刺した。お八重の父・彦兵衛は、その剣で自分の喉を突いた。「白根山関、お八重をよろしく」と言い残して。白根山は出雲守に“雷電”という四股名を貰って出場、小野川との一戦には上手投げで小野川を破った。場所が終り、雷電はお八重と夫婦になり、東海道を下った。その姿を、おきんが涙をおさえ見送った。

狂歌師の太田蜀山人が登場するところなども、文化度が高い。また、後編に登場し、雷電と結婚するお八重を演じるのは若き日の池内淳子!銀幕のスターという表現がふさわしい、宇津井健と池内淳子のコンビではありませんか。初恋の相手だった北沢典子演じるおきんの涙、それは屋敷奉公、茶屋奉公に色事が絡んだ田舎の若い美しい娘の哀しい青春でもある。お八重とおきんの対照的な描き方が余計に胸に滲みる。

江戸時代の庶民の生活に根付いた相撲文化。さらに大名が抱える形での力士の存在、侠客が保っていた侍や力士と絶妙な距離感。そして女性が大名や旗本の持ち物として弄ばれ、金銭取引の対象になるのは当たり前だった廓文化。こういう社会風俗をきちんと描く、優良なエンターテインメントとして映画があった。それは映画に限らず、幕末から明治、大正、昭和と創作されてきた落語、講談、浪曲にも言えること。真山隼人さんの「越の海物語」だって、越後の造り酒屋・伊勢屋で働く丁稚・勇蔵が無類の相撲好きで、大関・柏戸一行が巡業に来たときに弟子入りを志願する物語。相撲を通じ、こうした話芸と映画の蜜月があったのだなぁと感じた次第であります。