祝!来春の真打昇進決定 女流落語家のパイオニアの弟子として。62年ぶりに復活する大名跡の九代目として。

7月1日、落語協会から来年3月下席から真打に昇進する5人のお名前が発表されました。粋歌改メ弁財亭和泉、柳亭市江、小太郎改メ柳家㐂三郎、正太郎改メ九代目春風亭柳枝、三遊亭めぐろ、以上の5人の皆さんです。誠におめでとうございます。

この5人のうち、粋歌さんと正太郎さんの落語の魅力について5月20日のブログで紹介しましたが、今回はまた別の視点から書いてみたいと思います。

女流落語家は今では珍しくなくなった。現在、落語協会には真打が7人。香盤順に、三遊亭歌る多師匠、古今亭菊千代師匠、林家きく姫師匠、川柳つくし師匠、林家ぼたん師匠、柳亭こみち師匠、古今亭駒子師匠。粋歌さんは落語協会の噺家として8人目の女流真打になる。(講談に神田茜先生がいる)

粋歌さんの師匠、歌る多師匠は93年に菊千代師匠とともに落語協会で最初に真打になったパイオニア。現在、落語協会理事という要職についている。だが、90年代、まだ男性中心の社会である落語界における女流に対する理解はなかなか深まっていなかった。当時、二ツ目の歌る多と菊乃(現・菊千代)は小円歌(現・橘之助)とトリオで「女子(おなご)組」として活躍。歌る多さんは「初天神」など女性の声になじむ古典を磨き、菊乃さんは女性が主役となる改作を試みるなどして注目を浴び、「抜擢で真打に昇進」という声が一部からあがっていた。そのときに英断を下したのが小さん会長(当時)だ。92年9月発行「落語31号」(弘文出版)の巻頭インタビュー「柳家小さん会長 若手落語家に贈る言葉」でこう述べている。(聞き手は川戸貞吉さん)以下、抜粋。※小さん師匠は「女真打」と発言していますが、正確には「女流真打」です。

―去年の芸界を大ざっぱに眺めるとね、私、無責任に「去年はゴタゴタの年だ」ッて言ったんですよ。

小さん うん。

―講談協会は割れちゃうし、それから芸協は理事の問題でもって何だかスッタモンダやって、結局白紙ンなっちゃった。で、師匠率いる落語協会のほうでは、女性真打二人をやって、これァ大騒動にならなかったけど。

小さん ならないならない。

―一応、抜かれた連中が…。

小さん その、序列がどうのこうのってね。それェ、こっちもね、考えたんだよね。「どうしようかな」ッて思って。そしたらね、志ん朝君が、うまいこと考えてきたン。「女真打としたら、師匠いいでしょう」ッてン。(中略)「成程、じゃ女の、女真打としたら、別でもって良いじゃないか、第一号でね、良いじゃねえか」ッて。「成程そいつァ良いや」ッてんで、ハッハッハッ、うまいこと考えたと思ってさ。だから、序列も何もないんだよ。以上、抜粋。

反対意見に対して、知恵を絞った小さん会長と志ん朝師匠の柔軟さ。そして、現在は男性も女性も差別なく真打になる素地を作った。そこには、歌る多師匠および菊千代師匠のその後の尽力も忘れてはならない。そして、30年あまり。三遊亭粋歌さんが来春に真打に昇進する。7月7日に横浜にぎわい座で開かれた「第4回白鳥・彦いちの新作ハイカラ通り決勝大会」で、粋歌さんはコロナ自粛期間中に創作した「新しい生活」を披露し、見事優勝した。他の出場者が神田鯉栄先生、古今亭駒治師匠、瀧川鯉八師匠だっただけに僅差とはいえ、優勝は彼女の実力の証だと思います。

春風亭柳枝の名跡は62年ぶりの復活である。99年に刊行された橘左近著「東都噺家系図」(筑摩書房)で調べた。初代柳枝は師匠・柳橋の名を継がずに謝絶、入門以来の一つ名で通す。「春風にやゆとう柳の枝」で、門下に小さん、燕枝など明治期を通して柳派の支柱になる俊才を輩出した。二代目は箕守庵の俳号を持つ江戸派の俳人でもあり、風格ある明治初期の大看板。三代目は繁栄した燕枝一門の惣領株で、当時流行の芝居噺に見切りをつけて素噺に転向。「蔵前の師匠」と慕われる人望もあって柳派頭取となり、師の晩年は弟子をすべて譲られ、四代小勝、四代左楽、四代柳枝が育った。

四代目は明治の柳・三遊が拮抗する全盛期に春風亭の名跡をくまなく踏襲。人情噺、落し噺ともに得意として二代燕枝と並び称され、柳派頭取も務める。「牛込の柳枝」。睦会を立ち上げ、五代左楽を副将に一大勢力の頭領に。五代目は空位である。当時五代左楽の盛名轟き渡り「五代目」は畏れ多いと一代とばして六代目柳枝襲名。三代小さん門下から四代柳枝門下へ移り、同系の文楽、柳橋、柳好、弟弟子で後の七代柳枝らと芸界を謳歌。「ゴミ六の柳枝」「横浜の柳枝」「桃太郎の柳枝」の愛称。七代目は五代左楽の秘蔵ッ子。「エヘヘ…」の口癖で与太郎噺や「猿後家」など陽気に喋り、レコードで売り込んで大看板に。

さて八代目。粋な大津絵「両国」を得意とした音曲師・柳家枝太郎の子息で、四代柳枝に入門。シメタ(枝女太)とばかりタロー(太郎)が稼げて拍手(柏枝)を貰いしばらく(芝楽)演って柳枝になる、とは著者の橘左近氏の筆が実に鮮やか。「島田の柳枝」、温厚で腰が低くて愛想がいい。人に逆らわず、いつもニコニコで「お結構の勝ちゃん」が仇名に。デッサンのしっかりした格調ある高座で、戦後の黄金期寸前(昭和34年)に55歳で亡くなったのは惜しまれる。僕自身はポニーキャニオンから出ているCD3枚で「元犬」「山号寺号」「たらちね」「節分」「ずっこけ」「堪忍袋」「高砂や」「子ほめ」「喜撰小僧」「四段目」「花筏」を聴いたが、実に軽妙洒脱な寄席芸の極み。昭和8年生まれの父親に言わせると、「言葉遣いが丁寧で好きだった」。

橘左近氏は「柳枝」の項目を以下のように締めくくっている。

柳枝の名跡、名門の復活を実現する逸材の誕生を祈るや切。

九代目柳枝となる正太郎さんは、果たしてどんな柳枝を作り上げるのか。楽しみだし、代々の柳枝に捉われることなく、ご自分の柳枝を築き上げていくことは間違いない。「カピバラの柳枝」でいいですよ、って笑っていたけど。

【三遊亭粋歌・春風亭正太郎ひざふに二人会~出発の巻~】

7月30日(木)@お江戸日本橋亭 18時30分開演(18時開場)

木戸銭 予約2500円(当日3000円)当日精算・全席自由

三遊亭粋歌 「一年生」ほか一席 春風亭正太郎 「甲府ぃ」ほか一席

落語協会および永谷商事のガイドラインに沿って、コロナ対策をしっかりと講じた上で開催を致します。定員を半分以下にしており、残席僅少です。

ご希望の方は、①お名前②希望人数③連絡のとりやすい電話番号④メールアドレスを書いて、yanbe0515@gmail.com まで、メールでお申し込みください。