「自分の落語」を追究し続ける。噺を深くする作業に腐心する。 立川笑二

道楽亭で「寸志・笑二 ネタ回しの会」(2020・06・24)、上野広小路亭で「立川笑二独演会」(06・27)を観ました。

立川笑二さんは、落語のことをよく考えていらっしゃる。噺家として当たり前のことですが、それを高座でどう表現するか。そこが大変な作業だと思います。自分で考えに考え抜いた末に高座にかけていることが伝わってくる。それが演芸ファンとしては嬉しく思います。

寸志さんから習った「藪入り」を、24日の寸志さんとの二人会と27日の独演会でかけました。やはり、考え抜いた末の「藪入り」で、非常に感じ入りました。奉公に出した一人息子に対する父親の愛情が滲み出ている。まぶしいくらいに成長を喜んでいる。玄関先の息子に対し、「大きくなったろうな」「見ておやりよ」「手紙で十分だよ・・・(見る)おっかさんに似てきた」「あたしだよ!」「(見直す)大きくなったな。見ろ!亀だ!動いている!立て!俺より、こんな大きいぞ!」。微笑ましいです。

父親は息子のことが心配で、奉公先のお店をソッと覗きに行った。でも、「里心がついちゃいけない」と店前で思い、駆け出した。そうしたら、足元のネズミ捕りを蹴飛ばしてしまった。「そうか!お父っつぁんだったのか!鼠が逃げ出して大変だったんだよ。それで、近所でペストが大流行しちゃって」。マクラのペストが流行ると鼠一匹捕って警察に届け、懸賞が当たると懸賞金が貰えたという仕込みがこんなところでも生きている。そして、父親のセリフ、「あの後、風邪ひいたと思ったが、あれはペストだったのか!」。すごい。

亀が15円の懸賞が当たって、藪入りで主人に預かってもらっていたのを、実家に持ってきたと判明したあと、この父親のネズミ捕り蹴飛ばし騒動が生きたサゲにつながる。(ネタばれしないよう伏せます)。さすが!

寸志さんとの二人会では、もう一席も以前にやはり寸志さんから習った「一眼国」を。まず、設定を変えているのがユニークで面白い。元噺家で貧乏の末、お金がほしくて、六十六部の格好をして、香具師のところに行ったという設定。茶漬けを食べ、酒を飲み、二つ頭の蛇や上半身が馬で下半身が人間という、あることないことをパーパー喋ったあと、上州舘林の5、6里先で一ツ目小僧に出会ったという話にこぎつく。香具師が商売に困り、何とか引き出そうというのではなく、元噺家が腹が減って困って香具師に話すという発想に膝を打った。

独演会でのほかの2席も面白かった。「青菜」。旦那が隠し言葉であることを明かすと、植木屋は全然理解できていないのに「なるほど!で、牛若さんはいついらっしゃる?」。「あぁ、そういうこと!そろそろいらしゃると!」。で、旦那の3回目の説明に「あぁ、ずっといらっしゃると!」と答えると、旦那は「そうですな」「旦那、諦めたでしょう」。(笑)

ようやく理解し、感心した植木屋がその場で再現すると、旦那は「馬鹿にしてますか?」と言うのも可笑しい。で、帰宅した植木屋は女房と隠し言葉の真似事をしようと持ち掛ける。口癖が「あにおぉ!」の女房が、「華族さまの出なのに、職人やってるとバカにされるよ」と言いながら、「気違いごっこ」にまんざらでもなく、押し入れに入り応じるのも、この夫婦の可愛らしさだ。最後、「旦那様!」と叫びながら押入れから出てきた女房が、暑さにやられて、倒れ込み、「受け身がとれなかった」と突っ込む建具屋に爆笑した。

もう一席は「木乃伊取り」。まんま炊きの清蔵の了見がいい。「飯が焦げなければ、それでいい?主のためならとことん尽くすのが奉公人のつとめ」と言って、大砲の筒払いみたいな髪で手織り木綿の着物、熊の皮の煙草入れで角海老へ。若旦那の「俺は第二の主だ。暇を出す」の一言に開き直り、おかみさんから預かった巾着を見せて「親の気持ちもわからない奴は人間じゃない。首に縄をかけても、しょっ引く。オラは村で大関を張った男だ」という台詞に説得力があった。

そういう頑固な清蔵が人間的な可愛さを見せるのが、この噺の肝だけれど、笑二さんは清蔵の相手をする「かしく」を美女にせず、牛姫という名の田舎言葉の、清蔵と釣り合いのとれた女性に設定したところが面白い。清蔵は「可愛いのー」と言い、若旦那に「目が腐っている?」と疑われるが、清蔵は手も握ることもできないくらい純朴!これがいい!牛姫が手を握ってくれない清蔵に「田舎娘だからか?」と訊くが、清蔵はすっかり気に入っている様子。こういう演出の妙に笑二さんの独自色が出ていて素晴らしいと思いました。