GHQ占領下の大衆芸能への統制 浪曲界を支えた宝物、国友忠の創作「小田原の猫餅」

道楽亭ネット寄席で「奈々福・豊子 たっぷり浪曲とおしゃべりの会」を観ました。(2020・06・23)

国友忠(1919~2005)という一時代を画した浪曲師がいた。去年のユーロライブでの浪曲映画祭「情念の美学」は、その国友忠先生の生誕100年を記念した企画でもあった。オリジナルの自作浪曲は百数十、脚色は二千数百に及ぶ。野村胡堂原作「銭形平次捕物控」を浪曲化し、文化放送で連続ラジオ小説「銭形平次」を毎週月曜~土曜まで5年間続けたとう記録の持ち主だ。

しかし、体調を崩して、1964年に45歳で引退、茨城で療養。健康が回復しても、浪曲に戻らず、広大な牧場で競走馬を育成。また、中国残留邦人の救済に私財を投げ打って尽力したことでも知られる。1982年に歌舞伎座で公演し、復帰。その後、指導を受けたのが国本武春、そして若き日の玉川奈々福がいる。

放送界の金字塔、連続ラジオ小説「銭形平次」を国友忠とともに続けたのが、曲師の沢村豊子だ。曲師として83歳のいまも現役で活躍している。豊子師匠が奈々福と地方の公演に行ったとき、勢いで「あの作品やってみたら?国友先生もわからないわよ」と、国友忠のオリジナル作品「小田原の猫餅」を唸った。ところが!そのことが、国友先生に知れてしまった。詫びに伺うと、激怒している先生。もちろん、無断で作品を演ったことは弁解の余地もないが、それにしてもすごい怒りようだ。

すると、国友先生は「いかに、『小田原の猫餅』が大切な作品か」を切々と説いたという。戦後、GHQの芸能に対する統制は厳しかった。特に任侠伝や義士伝は人を斬ったりするから不適切だと指摘され、封じられた。でも、浪曲は戦後の日本では人気があり、全国各地で仕事があった。そのときに、活躍した作品が「小田原の猫餅」であり、この猫餅でどれだけ助けられたか、稼がせてもらったか、その恩は測りしれない。それだけ思い入れのある宝物、財産なのだとおっしゃってた。

その後、奈々福は国友先生の許可をいただき、今日に至るが、この日に演じたのが、その「小田原の猫餅」だった。大変面白い、左甚五郎伝であった。

小田原本町通り。旅人が行列ができるほど評判の「勘兵衛餅」という暖簾の下がった店の前を通る。その向かい側に同じ餅屋を営む店があった。おばあさん独りで商っている。興味をもって、求めた。「堅い!」「だって、半年売れずにいた餅だもの」。鵜の真似をした烏、水に溺れるだな、と言うと、「まぁ、あたしの愚痴話を聞いておくれ」という。

死んだじいさんと二人で餅屋を開いていた。大変に繁盛していた。ただ、夫婦の間に子宝が恵まれず、八幡様に日参した。満願の日、店に黒猫が現れた。銭箱の上にちょこなんと座った。「きっと、八幡様が願いを間違えなさったのだろう」。可愛がった。客が一皿6文の餅を食べ、銭箱に入れると、なぜか猫はペコリとお辞儀をする。それで、客は6文余計に入れていく。その上、次のお客えを連れてくる。街道中の評判となり、さらに餅屋は評判になった。

ある大雪の晩。若い男が道に倒れていた。訊くと、身寄り頼りがないと言う。夫婦は店を手伝ってもらうことにした。しばらくすると、その男は「店を持ちたい」という。「勘兵衛餅」という名で暖簾分けした。だが、餅が売れない。「猫を貸してくれ」と頼みにきた。だが、3日経って、もっと売れない。男は猫を叩いた。すると、猫は死んでしまった。途端に、夫婦の餅が売れなくなり、代わりに「勘兵衛餅」が繁盛するようになった。じいさんは病の床に伏せ、死んでしまった。おばあさんは悲しんだ。涙をこぼした。

この話を聞いた旅人は、翌朝、「猫を彫ってきた。俺の気持ちだ。受け取ってくれ」とやってきた。大きくて重い猫の彫り物を銭箱に以前と同じように載せてみた。死んだ猫そっくりだった。旅人は駿府へと旅立った。招き猫は左手を上にあげているものだが、この猫は右手を下にして掌を差し出している。この上に6文、客が置く。すると、面白いことに昔と同じ現象が。客はもう一度6文余計に置いて、次の客を連れてくる。これが評判となり、餅は飛ぶように売れた。そして、「勘兵衛餅」はさっぱり売れなくなる。

勘兵衛はお奉行様に訴えた。「庶民の金を巻き上げる悪行をする猫だ」。だが、タネも仕掛けもない。ばあさんに奉行が問う。「誰が彫った?」。所も名前も知らない。すると、奉行はばあさんを拷問にかけ、答えられないと、牢にぶちこんだ。ばあさんは悔しくて食が喉を通らない。あんまりだ。情けが仇になった。命がもたない。悔しくて死にきれない。「神が見捨てるはずがない!」。

駿府にいた旅人は、小田原の餅屋の夢を見た。気になって、小田原へ。そして、お奉行様に「この猫を彫ったのは私です」と名乗った。だれあろう、名工の誉れ高い左甚五郎であった。素晴らしい!聴いて、思わず「ブラボー!」と言って立ち上がってしまったよ。パソコンの前で。

そう言えば、何年か前、奈々福さんの「喬太郎アニさんをうならせたい!」というシリーズ企画で、ウルトラマン好きの喬太郎師匠に向けて「祖師ヶ谷大蔵のカネゴン餅」という創作浪曲を披露したことがあったっけ。それはこの「小田原の猫餅」のパロディだったのか!もう、果てしなく浪曲の可能性を広げていく奈々福さんに拍手喝采だ!