一見冒涜、実は溺愛。落語への敬意をこめた古典と新作の両刀遣い 春風亭百栄
道楽亭ネット寄席で「春風亭百栄 ボクの部屋」(2020・05・24)「ボクの部屋2」(06・11)、ミュージックテイト西新宿店で「春風亭百栄独演会」(06・02)を観ました。
百栄師匠を新作落語専門の落語家、しかもちょっと風変わりで過激な落語家と思い込み、敬遠している食わず嫌いの方へ。このブログで、3月1日に「落語の妖精・春風亭百栄 57歳の魅力」でも書きましたが、我らが百栄師匠こと青木規男さんは幼少時代から古典落語を敬愛しすぎて、入門は32歳と遅くなってしまいましたが、めちゃくちゃ落語を愛する古典・新作の両刀遣いの魅力的な噺家さんでいらっしゃいます。
確かに、コロナ禍前の今年2月上席鈴本演芸場、2月下席池袋演芸場でトリ興行を行ったときの根多帳を見ると、ほぼ新作が並んでいる。
鈴本「どら吉左衛門之丞勝家」「キッス研究会」「桃太郎後日譚」「トンガリ夢枕」「落語家の夢」「物言い」「リアクションの家元」「マイクパフォーマンス」「アメリカ・アメリカ」
池袋「キッス研究会」「バイオレンス・スコ」「マザコン調べ」「落語家の夢」「疝気の虫」「マイクパフォーマンス」「アメリカ・アメリカ」「トンガリ夢枕」
だが、緊急事態宣言が解除前日からの配信および独演会のネタは以下の通り。
5月24日「浮世根問」「寿司屋水滸伝」「鼻ほしい」「露出さん」
6月 2日「狸札」「バイオレンス・スコ」「野ざらし」
6月11日「桃太郎」「お血脈」「ホームランの約束」「リアクションの家元」
「浮世根問」はファンの間で、「つっこみ根問」とも呼ばれている百栄師匠独特の可笑しさが満載のネタ。八五郎の問いに対して、ご隠居はノリツッコミで返す、それもしばしばキレたかのようなエキセントリックなキャラクターで、前座噺は爆笑と化す。「鼻ほしい」は古典の珍品で、吉原で病気をもらってしまい鼻がかけて息が漏れる手習いの先生のとぼけた味わいが実にホンワカした笑いに包まれる。「お血脈」も好んで師匠が掛けるネタだが、仏教用語の前世を意味するジャータカが、ギョーカイ用語っぽいと、「ギロッポンでシースを食ったら、これがズイマーでジャータカでさ」って言ってそうとか、そのユーモアセンスがいかにも言語感覚の鋭い百栄師匠らしい。血脈の印のせいで、皆、天国に逝ってしまい、地獄行きのハードルを滅茶苦茶低くする閻魔大王も可笑しい。友人の買った雑誌「GORO」、“ポルノ界の聖子ちゃん”寺島まゆみの特集の袋綴じを勝手に開けてしまった。JR新宿駅の階段の「上り」の表示のところを、下りてしまった。挙句には、平積みの本の上から二冊目を抜いて買った・・・。古典のアレンジメントがとてもファニーなのです。
でも、もっとも師匠の古典のすごさを実感したのは、寄席が一部再開した6月1日の翌日にミュージックテイトで開かれた独演会での「野ざらし」。僕は初めて聴いたように思う。元々、主人公の八五郎は幽霊でもいいから、いい女を女房にしたいと、先生の言う嘘を信じて骨を釣りにでかけるクレージーな男だが、そのクレージーをデフォルメしつつ、ファニーな、愛すべきキャラクターに仕立てている。八五郎が釣りをしている人たちの中に割り込んでくると、彼らはそのクレージーに迷惑するというよりも、「え!?何、この人?」と興味津々となり、「皆で見てましょう」となる。最後は、八五郎が「面倒だ!」と言って、川に飛び込んで泳ぎ出しちゃって、サゲ。ビックリするほど笑った。
百栄師匠の「古典に対する考え方」について、「東京かわら版」2010年6月号「今月のインタビュー 春風亭百栄」から、抜粋。
古典の噺の中で、たとえば「チョベリバ」とか、ナウい言葉(?)を入れて、その部分はウケるかもしれないけど、ちょっと浮く、離れてしまう。だからそういうことをせずにやる。本来やりたかったのはそれなんです。だけど、今の自分は、お客さんからそれを求められてはいない。古典やるにしても、もっとガチャガチャ変えてかないと、お客さんが納得してくれないのではないかと思うんです。
―観客の期待に応えたいってことですよね。
はい、そうです。そういうのを見たいんだろうというのは、雰囲気でわかる。
―古典落語を本寸法にやる役割は求められないと感じる?
うん。いい古典だったら、他にもやる人いっぱいいるだろうし。別に僕が敢えてやんなくても、僕なりのものをやった方がいいと思うしね。やっぱりお客さんに飽きられるのが一番嫌だから。(中略)
自分が客だとしたら、ちょっと裏切ってくれる人の方が嬉しいと思うんですよ。僕は古典落語も「笑い」としか見てないんで。枯れたものではないと思ってる。あくまで笑いの中で生きているものだと思っているから。笑いを極めていきたいので、そう言う意味では裏切るというのは当たり前なんです。そこにしか笑いは生まれないと思います。だから古典落語を冒涜したと思われてしまうような事が、自分は出来るのだと思います。
―その冒涜は古典落語への愛と表裏一体なのですね。(中略)
僕は古典落語もロックだと思ってる。いきなり古い事を客が理解できるかどうかもわかんねーのに、どかーっとぶっつけてって、いちいち計算もせずに、やるってのは、ロックっぽいなぁって思います。僕も落語をやる以上は完成されたものをガツンとぶつけたい気持ちがありますよ。以上、抜粋。
高校を卒業してアメリカにしばらく在住し、「帰国して落語家になろう」と決断するまで10年かかった。32歳で入門するまでの精神的格闘は、百栄師匠の落語への敬意と愛情との格闘だった気がする。「東京かわら版」2018年12月号「今月のインタビュー 春風亭百栄」から抜粋。
グズグズの、そういう人間なんですよ。向こうのビデオショップで談志師匠の「落語のピン」のビデオを借りて観た時に、落語奇兵隊ってのが出てきて…。
―一琴師匠、花緑師匠、談春師匠、志らく師匠、文蔵師匠たちもいましたからね。
そう、文蔵兄さんもその「落語のピン」に出てて、経歴が出るんですよ。当時は文吾かな。それ観たら昭和37年生まれって。「あ、同い年の人がもう落語家になってテレビに出てるんだ。俺、これはもしかしたら急がなきゃいけないんじゃないか」って思った。だから文蔵兄さんは僕にとってはかなりのエポック(メイキング)な存在というか。あれを観て、日本に帰る準備をした感じですね。ましてや談春師匠とか志らく師匠は年下ですからね。ぼんやりしすぎたかなあって。でもたぶん僕は高校卒業して入ってたら、きっとやめていたか、あんまり面白い人になってなかったとも思う。以上、抜粋。
敬愛する落語を本職とする決断。そして、その大好きな落語と真剣に向き合う中で生まれてきたものが、百栄カラーの古典であり、それがさらに色濃くする過程の中で独特の百栄ワールドの新作落語が出来上がっていったのではないだろうか。今年、ここまでに百栄師匠の高座は配信も含めると25席。その中で、もはや定番と呼べる、何度聴いても面白い新作がいくつもある。「天使と悪魔」「マザコン調べ」「露出さん」「リアクションの家元」「バイオレンス・スコ」「マイクパフォーマンス」「ホームランの約束」…。再び、「東京かわら版」2018年12月号「今月のインタビュー 春風亭百栄」から抜粋。
―寄席に出演されて新作をやれば、必ず爪痕を残されます。強烈な印象を初見の観客に与えられると思います。
やっぱり寄席が好きだし、寄席の中でそういう役割が担えるのは入門する前からの夢でしたからね。でも、十日間古典もできますよ。
―古典落語もお好きですよね。
依然として好きですよ。独演会で「あ、今日気がついたら全部古典だったな」とかありますし、「全部新作やっちゃった」って時もある。自分の中では古典も新作も持ちネタという意識だけです。
―新作にインパクトがありますが、古典も新作も実は同じだけやってきてるからでしょうか。
そういうことかもしれません。わさびくんが「露出さん」教えてくれってやってきて、今やっていると思いますが、嬉しいです。「いずれ古典になっていく道筋が出来た」みたいな感じがするわけですよ。そうなると僕の喋っていることがいずれは古典になるんだったら、僕のほうも今まで以上に古典と新作の意識をしなくていいのかなって気がします。あとは、かゑるくんが「マザコン調べ」を、小太郎くんが「リアクションの家元」を習いに来た(笑)。古典も前座さんが「桃太郎」とか「手水廻し」とか習いに来ますんで。とにかく自分が落語の世界で笑いを残していけるんだったら、こんなに嬉しいことはないなって。
―客席から新作を期待されているというプレッシャーはありますか。
以前はありました。今はどう受け取られようと気にしなくなってきてます。古典で受けなかったら受けないでそれはしょうがない、新作をやっても受けないことはあるし。今は少し楽になってます。お客が見たいように見ればいいし、受け取りたいように受け取ればいいって感じです。以上、抜粋。
師匠はそんな堅苦しく考えないで素直に笑ってくれればいいって思っているだろうから、あんまりこっちで勝手に解釈して百栄落語の魅力を分析されるのは嫌だろうけど、簡単に書くと、「世の中を見る視点が鋭い」が、「それをストレートにガチンコでブラックなユーモア」で表現するのではなく、「ほんわかと、温かい雰囲気の中にピリリと山椒のような辛さが調味料を利かせてアイロニー」がある、だけど「全体としてはモモエちゃんと親しまれるあの笑顔に象徴されるような愛すべき」落語。そう捉えて、僕は百栄師匠をお慕い申し上げています。
「ホームランの約束」は、自分が病院を慰安訪問してサインボールを渡せば子供は喜ぶだろうと慢心しているプロ野球選手。「リアクションの家元」は、芸人を雛段に並べて安直に笑いを編集するテレビ局。「露出さん」は、極悪非道で凶悪な犯罪が蔓延する世の中へのアンチテーゼ。「バイオレンス・スコ」は、ずっと続くペットブームの中で「可愛い!」と安易に動物を飼い、飽きると簡単に棄ててしまう身勝手な人間のために野良猫が増大する現象への警鐘。それをふんわりと、カリカリせずに、むしろニッコリとユーモアに包む。そこが新作落語の真骨頂であり、百栄師匠は少なからず意識されているのではないでしょうか。そんな大袈裟なものではないよ、と一笑に伏されそうそうですが(笑)。
最後に、「東京かわら版」2018年12月号「今月のインタビュー 春風亭百栄」から抜粋で締めます。
最終的には自分も体が辛くなったり声が出なくなってきたりして、いつか限界は来るでしょうけど、それでも名前が百栄というくらいですから…これからは一つ、百年栄えなくてもせめて死なないように、手を抜きながらやっていきたいと思ってます。イッチョウ懸命できなくてごめんなさい。だからあまり声を張ったりしなくても面白く伝えられるようになるのが一番いいかなって思ってる。「マザコン調べ」なんかでも、キレてバーンってやるけれども、トーンを落としても笑えるような、そういう味わいが自分自身から出てくればいいなと。還暦もすぐなんで、まさかこんなに早くなるとは思わなかったけれども、いよいよこれからという感じでいます。自分でも楽しみなので、味が出てくるスルメか都こんぶかビーフジャーキーか分からないけど、そういうような存在でいたいかな。以上、抜粋。
スルメも、都こんぶも、ビーフジャーキーも、大好きです!還暦すぎの百栄カラー、ますます楽しみにしています。