落語はお客様と同じ空間と時間を共有することで成り立つ 「拍手に感動を覚えた」春風亭正太郎

家庭料理喫茶「aunt」で「正太郎の部屋」を観ました。(2020・06・04)

噺家の皆さん、口を揃えておっしゃるのが、「やっぱり、お客様の前で演るのがいいですね」。4月7日の緊急事態宣言以降、正太郎さんの中高時代の同級生が経営するお店で2011年8月から毎月途切れることなく開催を続けてきた勉強会が、ついに4月は中止に。緊急事態宣言解除後、5月、そして今回の6月に定員のおよそ半分にして開催されました。

自粛期間中は、子育てを積極的にやっていたという正太郎さん。おむつの取り替えなんか、手慣れたものになったとか。でも、これだけ続くと「疲れました。かみさんは偉いな」とも。そして、ようやくお客様の前で何回か高座を務めることができるようになったら、あれだけ「落語が演りたい!」と言っていたのに、逆に緊張しちゃって、「ピアノの発表会の前の小学生」みたいにドキドキします、とおっしゃっていました。いかに高座に毎日のように上がることが大切か、プロの方でも、というより、プロの方だからこそ、そうなのかもしれません。

やはり落語という話芸はお客様と同じ空間、時間を共有することで成り立つもので、「集中力」を必要とする芸能、それが演者だけでなく、お客様もそうではないか。お客様がいるからこそ、「間」というものの取り方がわかり、噺が進められる。特に、高座にあがったときに拍手されたときは、「感動を覚えた」と。

やっぱり、ナマが一番ですね。

ただ。「光が見えた」と「浮かれる」と、また逆戻りになってしまうとも。そのためには私たち聴き手も節度をもって演芸を愉しむべきだと個人的に共感しました。完全に元に戻るのは、早くても来年まで待たないといけない。昔の満員御礼の寄席が復活するまで、演者も演芸ファンも「我慢」というとネガティブですが、そんなマナーも暗黙の了解としてあるのかなあと思います。

春風亭正太郎「祇園祭」

お伊勢参りの三人組が足を伸ばして京見物をしようとする部分から、きっちりと描いて、楽しかった。湯に入って小綺麗になろうと、洗濯しているおかみさんに、湯屋の場所を尋ね、京言葉でチンプンカンプンという場面、面白いです。で、女郎買いで散財し、二人は江戸に帰り、京都におじさんのいる男だけ残って、祇園祭を見物しようと上がった茶屋の二階。京都人と江戸っ子のお国自慢合戦、リズムとメロディー、さらに表情の表現の上手さが実に心地よく、可笑しかったです。

春風亭正太郎「明烏」

今回が第106回「正太郎の部屋」ですが、「ここでは、50回記念で演ったきり」とおっしゃっていました。素の正太郎さんのイメージは、どちらかと言うと、若旦那・時次郎ですよね。でも、「町内の札付き」である源兵衛と太助コンビも、遊び慣れた、憎めない「悪の権化」?「町のダニ」?ぷりがよく出ていて、愉しいです。今は完全に消滅してしまった吉原遊郭の文化が、ユーモアたっぷりに演じられると、なんか「吉原、行きてぇな」って気になっちゃう。昔の人はこうやって性に目覚めていたのかとイマジネーションを働かせる落語。ある意味、廓噺って、子どもさんが客席にいると控えるという方がいらっしゃいますが、僕は気にしないでいいんじゃない?子どもも薄々わかってるよ、と考える派です。

さて、足かけ10年にわたって正太郎さんが続けてきた勉強会、「正太郎の部屋」ですが、次回6月25日をもって最終回だそうです。「真打へのステップアップ」ということで、正直、寂しい気も若干しますが、香盤では二ツ目で4番目の位置にいて、もう目の前に真打昇進が見えている、さらに正太郎さんがパワーアップするためにも、新しい勉強の場が出来ることを希望します。噺家さんは生涯、勉強し続けるものだと、正太郎さんもおっしゃっていました。

これからも、応援させていきたいと思います。

さて、5月22日から予約を開始した「三遊亭粋歌・春風亭正太郎ひざふに二人会」ですが、緊急事態宣言解除もされて、さまざまな感染拡大防止策を講じて開催予定です。

第1回三遊亭粋歌・春風亭正太郎ひざふに二人会~出発の巻~

7月30日(木)18時30分開演 @お江戸日本橋亭

三遊亭粋歌「一年生」ほか一席 春風亭正太郎「甲府ぃ」ほか一席

前売り 2500円 当日 3000円

ご予約・お問合せ 事務局 yanbe0515@gmail.com