文蔵・喬太郎二人会と菊之丞独演会 配信によって5月の二つの余一会が観られました

movieで「文蔵組落語会」、YouTubeで「菊之丞でじたる独演会」を観ました。(2020・05・31)

毎年、5月31日の夜は、新宿末廣亭に行くべきか、上野鈴本演芸場に行くべきか、悩む。が、今年はコロナ禍で、両方行くことができた。という表現はおかしいが、だって身体は一つしかないのだから、正確な表現をすれば、配信によって、両方楽しむことができた。今年は二つの寄席は休業だったわけだから、皮肉なものである。

演芸ファンにはわかりきったことだが、あえて書くと、寄席は10日間興行で行われる。5月であれば、1日~10日が上席、11日から20日が中席、21日から30日が下席と呼び、3つ、いや、昼夜あるから正確に言うと6通りの芝居がある。で、大の月は31日が余る。そこは寄席はお休みしないで、余一会と呼んで特別興行がおこなわれる。で、5月31日の余一会夜は、ここ数年、末廣亭が「橘家文蔵・柳家喬太郎二人会」、鈴本演芸場が「古今亭菊之丞」で定着していた。それが、今年は無観客配信によって、両方観ることができたというわけだ。

新宿末廣の代替としての、文蔵組落語会。

文太「天災」喬太郎「赤いへや」ロケット団/漫才 文蔵「左の腕」

こちらは文芸作品を原作にした創作落語を両師匠が演った。喬太郎師匠の「赤いへや」は江戸川乱歩作品を、ご自身が落語化したもので、僕は一番最近では、去年11月に30公演おこなわれた「ザ・きょんスズ」(下北沢スズナリ)の5日目に聴いている(ちなみに、この日は「残酷な饅頭怖い」との二席)。コロムビアレコードから「柳家喬太郎落語集 アナザーサイドvol.1」に「東京タワー・ラヴストーリー」(作・武藤直樹)とともに収録されている。

乱歩の倒錯した世界をきっちりと踏襲した名作で笑い所は一切ない。経済的に余裕があり、世の中の愉しい遊びはやり尽くしてしまって退屈を持て余し、新鮮な刺激を求めている旦那衆。彼らの座敷遊びに招かれた噺家が繰り出す、「退屈をまぎらわす」小噺、いや実際のあったことだとその噺家は言うから、体験談を喋る高座とでもいったほうがいいのか。自分が手を下しているわけでもないのに、たまたま、自分の前で人が死んでいく現場を目撃する快感に目覚めてしまった噺家の、狂気に満ちた話しぶりが背筋を凍らせる。

プロバビリティーの犯罪。むしろ、自分はその人に好意、善意でやったり、言ったりしたように見えることが、逆に引き金となって目の前で人が死んでいく。刺激的じゃないですか。究極の退屈しのぎじゃないですか。男をはねてしまったタクシー運転手に、腕のいい医者ではなく、藪医者を紹介しまい、男は死んだ。いったい、誰が犯人なんでしょうか?後味はよくないいが、たまたま死んだから面白い。踏切を渡る老婆、電線に立ち小便する子ども…、彼がちょっとだけ親切心に表面的に見える一言で死に至らしめる。そういった狂気的な実体験を嬉しそうに繰り出す噺家に、「師匠、もういいよ!」と怯える旦那衆をあざ笑いかのように、「ご退屈なんでしょ?」と言う狂気の目が、聴き手の心をグイと引き寄せた。99人殺した、あと一人で100人。その犠牲者は…。

文蔵師匠の「左の腕」は、松本清張の「無宿人別帳」という短編集のなかの一篇を落語家したもの。昭和40年代前半に、さん治(のちの小三治)、円窓、扇橋、小はん、そして先代文蔵で「五つの噺」という文芸作品を噺にする集まりがあり、先代文蔵師匠が松本清張から許可いただいて作った噺だそうだ。師匠没後に、その速記本とテープが出てきたのでということで、これも去年12月らくごカフェで開催している勉強会「ザ・プレミアム文蔵」でネタ下ろししたのを僕は聴いている。実によく出来た名作で、先日、林家正雀師匠がYouTubeで配信したことを、このブログ(5月11日)でも書いた。

主人公・卯助は飴売り稼業をしていたが、板前の銀次の口利きで、料亭の松葉屋で娘ともども働けるようになる。娘おかよは、17歳の色白の美人。十手持ちの親分、稲荷の清蔵が卯助に近づく。「お前は左腕をなぜ包帯で巻いているのか」と訊く清蔵に「火傷の跡」と答えるが、卯助が通っている銭湯につけられ、左の腕には島帰りの元犯罪者であることを示す四角の刻印が。「昔、越後で悪事を働いて、島送りになったが、今は改心して真面目に働いている」と告白する卯助。

これをネタに、惚れているおかよを女房にさせると脅す清蔵だったが。ある晩、松葉屋に押し込み強盗が入った、おかよさんも人質になっていると銀次から知らせが卯助に届く。駆けつける卯助。現場には4人の盗人たち。思わず、「何をしているんだ!」と、普段のおとなしい下男のキャラクターが豹変し、凄みをきかせる卯助。と、その盗人の頭は、昔、卯助と兄弟分だった上州の寅だった…。任侠モノであり、人情モノでもあり、松本清張ならではのミステリーのテーストがあり、こちらも聴き手の心をグイと引き寄せた。

鈴本余一の代替の配信は、何と鈴本演芸場からのナマ配信。

まめ菊「たらちね」菊之丞「お見立て」風間杜夫「湯屋番」菊之丞「妾馬」

22回を数える鈴本余一会「古今亭菊之丞独演会」初の配信(そりゃそうだ)。これまでも、タブレット純さんや米粒写経などをゲストに迎えるのが恒例になっていたが、今回は俳優の風間杜夫さん。現在、朝ドラ「エール」に出演中。「蒲田行進曲」の出囃子で高座にあがった風間さんは、71歳になったそうだ。実に若々しい。

30年ほど前にお芝居で、初代三遊亭円遊(通称、ステテコの円遊)を演じたことがあり、本格的に落語を演りたくなったそうで、談春師匠に習って、花緑師匠から「上手いですね!」と褒められたという「湯屋番」を。今では落語会にこうした形で出ることが増えたほど、プロ顔負けの天狗連で、特に横浜にぎわい座では喬太郎師匠をゲストに迎え、定期的に独演会を開いている。

配信の中で、菊之丞師匠との対談もあり、興味深かったのは、「役者が落語を演ること」についてのコメント。どうしても、過剰に演じ分けてしまう。振り切れるほどに、登場人物になりきってしまう。そこは、「ほど」が肝心だよと噺家さんからはアドバイスされると。芝居は、動きがあり、衣装があり、セットがあり、照明があり、視覚的要素が多い。でも、話芸であり、一人芸である落語は、それを全部表現しようとしても無理があると。ただ、落語を演るようになって勉強になったのは、セリフに表情をもたせることを考えるようになった。セリフに艶をもたせることを意識するようになったと。

独学だそうだ。音を字起こしして、覚え、それを喋って録音し、直していく。テキストの大半は古今亭志ん生、もしくはそのご子息である古今亭志ん朝の音源だそうだ。どうしても口調が似ちゃう。談春師匠に稽古をつけてもらって、「ここはこう直したほうがいい」とアドバイスされても、言うことを聞かないそうで。まぁ、「役者の落語」という気持ちで聴いてもらえれば、という意味合いであった。

終演後のおまけで、鈴本演芸場の若旦那、鈴木寧さんが出演し、6月いっぱいまで休業するが、このコロナ禍で中止になった3月末の真打披露興行含め6月上席まで昼夜の15つの興行のプログラムを再現する形で、6月の6日(土)から、毎週土日の12:30~、17:30~で、鈴本演芸場チャンネルを開設して生配信。170年以上の鈴本の歴史はじまって以来とのこと。無料。アーカイブ対応あり(7月31日まで)。ただ、芸人さんの出演料のために、1枚1000円のチケット販売をおこなうそうだ。詳しくは鈴本演芸場の公式ホームページを!