寄席は大事な現場。怠慢な人間にお灸をすえられ、戒めを賜った。気を緩めずにいきましょう。 橘家文蔵
vimeoの配信で「文蔵組落語会」を観ました。(2020・05・16~20)
池袋演芸場5月中席トリ興行の代替としての文蔵組10日間連続配信、後半についてまとめました。配信元の中野にあるスタジオの都合で、8日目のみアーカイブ対応なしで、2011年になかの芸能小劇場で公演された「ボク達の鹿芝居 らくだ」を収録したDVDを流す措置を取ったのだが、これが実に面白かった!
屑屋が当時まだ二ツ目だった一之輔師匠、丁の目の半次が文蔵師匠(当時は文左衛門)、らくだが柳家小んぶさん、その他、ロケット団の二人や小せん師匠(当時はわか馬)、三遊亭丈二師匠、柳亭こみち師匠(当時は二ツ目)などが出演。お囃子は恩田えり師匠。ゲスト出演的に、ペペ桜井先生、鏡味仙志郎さん、柳亭左龍師匠が彩りを添えて、落語の「らくだ」のストーリーをベースにしながら、意外な結末を迎える破天荒な内容で、その脚本や演出を座長・文左衛門が担当していて、本寸法の「鹿芝居」(噺家が芝居をするところから名付けられた)とは一味も二味も違うユニークな芝居だった。
「ボク達の鹿芝居」はcuteさんのホームページで調べると、2006年「らくだ」から記録が残っている。僕は当時、仕事の忙しさから行けなかったのだが、演芸ファンの間で評判となり、2012年まで続いた。07年からは配役も記録が残っている。
07年「文七元結」長兵衛:一之輔、お久:こみち、文七:笑生、近江屋卯兵衛:文左衛門、番頭:わか馬、佐野槌女将:一琴。
08年「妾馬」八五郎:一之輔、つる:こみち、赤井御門守:文左衛門、三太夫:わか馬、八五郎母:ロケット団倉本、父:扇辰、弟:ロケット団三浦
09年「大工調べ」政五郎:一之輔、与太郎:ロケット団三浦、母:倉本、家主:わか馬、妻:文左衛門、奉行:扇辰
11年「らくだ」屑屋:一之輔、丁の目の半次:文左衛門、らくだ:小んぶ、家主:わか馬、家主女房:ロケット団倉本、娘:こみち、月番:丈二。
12年「文七元結」長兵衛:文左衛門、妻:ロケット団倉本、お久:こみち、文七:志ん吉、近江屋卯兵衛:扇辰、番頭:小せん、佐野槌女将:喬太郎/左龍
「正直、赤字興行でした。あの鹿芝居、またやってよという要望はあちこちからいただく」が、残念ながら、皆さん人気が出て忙しくなったため、稽古もできないし、難しいですね。と、この文蔵組配信の冒頭で文蔵師匠がおっしゃっていました。ただ、この本寸法に対してユーモアとアイデアで対抗するスピリッツはいつまでも、文蔵師匠以下、ほかのメンバーも持ち続けているのだと思います。
5月16日(土)文太「黄金の大黒」一朝「七段目」/篠笛演奏 文蔵「鼠穴」
文太さんが前日の開口一番、「黄金の大黒」で途中で絶句し、羽織を着て口上にきた長屋二人目があっさり大家さんのところにあがっちゃって、皆も仕方なく座敷に上がり宴がはじまるという、大胆というか、よく言えば斬新な、悪く言えば端折った高座になってしまったリベンジで、もう一回「黄金の大黒」を。お小言食らったんだろね。
一朝師匠は文蔵師匠とは、大師匠が先代正蔵(彦六)なので、いとこ同士の間柄だけど、キャリアが圧倒的に違うので、文蔵師匠が終始恐縮気味という珍しいオープニングトーク。その上、一席演っていただいた上で、篠笛を演奏いただいた。一朝師匠は二ツ目時代にアルバイトで歌舞伎座で鳴り物、笛担当をやっていたくらいの実力の持ち主で、アルバイトと謙遜されていましたが、今は亡き歌右衛門丈に「あすも宜しくお願い致します」と言われたくらいで、ハイレベルな「祭り囃子」の演奏で、文蔵師匠もあとで「涙がでました」と。
5月17日(日)文吾「雛鍔」文蔵「千早ふる」風藤松原/漫才 天どん「千早ブルー」「ハーブをやってるだろ!」「のみたい!」
文太さんが、きのう、開演前に高座にお茶をこぼしてしまい、それを乾かすために、配信開始時間が20分遅れてしまった。その詫びに、本来なら前座だったら、しくじったら頭を丸めるところ、彼はもう二ツ目だから判断し、ドン・キホーテで一休さんみたいなビニール製の、多分宴会余興用かと思われるカツラを買ってきて、師匠に見せ、その上で領収書まで渡して洒落で許しを請うた。師匠も優しくて「3000円、払いましたよ」。ああ、素晴らしい師弟関係!
文蔵師匠、天どん師匠について。前座の頃からああいう、モソモソした喋り方で「明るく元気に」とは真逆な奴でダメだなと思っていた。二ツ目になっても、変わらず、よくわからない新作を創るやつだな、でも媚は売らない、自分を貫く奴なのかと思った。そしたら、とうとう真打になって、「ああ、こういうやり方もあるのか!」と認めたと。自分を貫く了見、大事ですね。
久しぶりにでました!文蔵師匠の「とは、は後の天どんに任せた!」。で、千早太夫が龍田川に振られて顔真っ青になったという「千早ブルー」を披露。「とは」については、「十和田湖に二人で入水心中した」と処理した。新作落語にもいろいろなタイプの人がいますが、天どん師匠は“脱力”系かしら。
5月19日(火)文吾「真田小僧」文蔵「大工調べ」百栄「マザコン調べ」夢葉/奇術 百栄「マイクパフォーマンス」
オープニングトークで百栄師匠が興味深い発言をされていた。芸人の世界では、他の噺家の高座を前に回って(客席側から)観るのはご法度で、勉強させていただくときは、大概、楽屋の袖で拝聴するのが不文律になっている。が、配信がこれだけ普及すると、先輩、後輩関係なく、正面からその高座を観ることができると。「落語ファンの一人として楽しんでいる」とのこと。「文蔵組16日出演の一朝師匠の笛には泣きました」と。その他、色々と取捨選択して噺家の配信を観て、「お客の気持ちになれて、嬉しい」と正直におっしゃって、印象に残った。洒落だから書くけど「天どんは、2000円払ってみないよ」だって(笑)。
昔、寄席の代演情報が今ほど親切じゃなかった時代、トリ目当てに行ったら、その日は休演でガッカリすることもあった、という、落語ファン時代の思い出にさかのぼり、「でも、圓窓師匠が好きで行ったら、代バネが志ん五師匠で、えー!って思ったけど、高座を聴いたら、すごい面白くて、新しい発見をして嬉しかった」。そうしたら、文蔵師匠も前座時代、「(テレビで名前の売れている)こん平師匠の代バネで、圓彌師匠が上がったら、客の反応が、えー、ガッカリだったのが、噺が進むにつれ、確か『子別れ』だった、どんどん客が引き込まれて、最後は喝采で終わった」と。いい話です。
5月20日(水)文吾「磯の鮑」文蔵「試し酒」あずみ/三味線漫談 たい平「井戸の茶碗」
たい平師匠、2か月、落語やっていないと。「笑点」の大喜利も、リモートの収録になった。「ジュンベリーの栽培をしています。ジャム作ったり」に、文蔵師匠が「私もヒラメの昆布〆作った」。前座として一緒に楽屋にいた仲間。寄席からでる給金を、「増やしてやる!」って、兄さんは浅草の場外馬券売り場に行ってましたよ、だけど逆に減らして帰ってきた。「いや、一回か二回くらい、10倍にしたことあってさ、それで味しめたんだけど、あとはダメだったね」。
立前座が、かな文。その中で、良く働くのは、「たい平ときく姫だった」と。とにかく、前座の人数が足りない時代で都内の寄席を7人くらいの前座で回すのが大変だったそう。文蔵師匠、「あの頃から、(たい平は)闘っているな!と思っていた。あとから上がる二ツ目や真打を喰ってうやろうという気概を感じた」。まだ3階にあった頃の昔の池袋演芸場、開口一番で「金明竹」でドカン!ドカン!客席を湧かしていた、たい平さんのパッション。なんか、思い出す。皆さん、特に池袋演芸場には特別な思いがあるようで。松本のおばちゃんの大きな声とか、楽屋で牛丼食う奴がいて、客が「牛丼くさいな!」とか、いたずら好きの圓蔵師匠が楽屋で、高座に上がっている馬桜師匠のベルト切っちゃえって、馬桜師匠戻って「太ったかな?」とか。一緒に修業をした仲間と、30年以上前の思い出を話すのは愉しいものですね。同じ釜の飯を食ったという、僕が好きな日本語があるけど、そういうものが、今、働き方改革とか、なんだか知らないけど、失われている気がします。「昔は良かった」・・・僕も歳をとったということでしょうね。
10日間連続の終わりで、文蔵師匠のメッセージが沁みました。「寄席は大事な現場。私自身、寄席芸人が大好きなんだと再認識しました。語弊があるかもしれませんが、怠慢な人間にお灸をすえられたような気がします。うがい、手洗いなんてほとんどしなかった。あらゆる面で、戒めを賜った気がします。これから、二波、三波、考えられます。気を緩めずにいきましょう」。はい!