【プレイバック この落語家を聴け!橘家文左衛門】細心かつ大胆、繊細かつ豪快。「素晴らしき寄席芸人」

落語を好きになると、色々な噺家さんの高座を聴いて、同じ演目でもそれぞれに演じ方が違い、その人の個性が出ていることに気づく。それはその噺家さんがその噺をどう咀嚼し、どう表現したいか、をそれぞれに考えているからだ。また、落語全般に対するその噺家さんの考え方も反映してくる。大変、興味のあるところである。

だけれども、その噺家さんの了見を伺う、今風に言えばコンセプトを伺う、という行為は、我々のような楽屋外にいる素人はなかなかできないし、寧ろ基本的には、することは失礼だし、生意気だし、それを嫌がる噺家さんも多いので、打ち上げなどに参加する機会に恵まれたとしても極力避けて、他愛もない世間話をするというのが、噺家と落語ファンの距離感の保ち方だと僕は思っている。

ただ、落語という沼にはまったマニアは、「お訊きしたい!」という衝動にどうしても駆られることもある。それを落語ファンを代表して訊いてくれたのが、音楽雑誌「BURRN!」編集長の広瀬和生さんだ。2008年に著した「この落語家を聴け!」(アスペクト)は、お薦めの噺家さんを個別具体的に紹介する画期的な本だった。そして、その2年後、「この落語家に訊け!」(アスペクト)で、前著の中で紹介した噺家のうちの8人にインタビューをして、それぞれの「落語への向き合い方」を掘り下げてくれた。ほぼ毎日、寄席や落語会に通って、「落語ファン目線の現場主義」を貫く、知識や経験も豊富な広瀬さんだからこそ、できた偉業である。

そして2012年4月に、さらにそれを深める落語会がスタートした。場所は北沢タウンホール。タイトルは「この落語家を聴け!」。その第1回、春風亭一之輔師匠を迎えての会のプログラムに広瀬さんはこんなことを書いている。以下、抜粋。

落語ファンにとって、一流の落語家が語る「芸談」は非常に興味深いものだ。もっとも、それを自ら積極的に語る落語家は少ない。そこで、独演会の中でたっぷり時間を取ってインタビューを行ない、「芸談」を聞き出してみよう…それが、今回始まった「この落語家を聴け!」シリーズの趣旨だ。もちろん「独演会」である以上、前半の落語がメインではあるけれども、後半のインタビューも「オマケ」ではない。僕の本で「この落語家に訊け!」というインタビュー集があるが、いわばそのライヴ版が、このシリーズの後半部分だと思っていただきたい。以上、抜粋。

「この落語家を聴け!」ラインナップ

シーズン1①春風亭一之輔②柳家三三③桃月庵白酒④三遊亭兼好⑤橘家文左衛門⑥柳家喬太郎⑦柳亭市馬⑧立川志らく⑨柳家花緑⑩三遊亭白鳥⑪立川談笑⑫柳家小せん・三遊亭萬橘・三遊亭天どん

シーズン2①春風亭一之輔②柳家喬太郎③柳家三三④橘家文左衛門⑤三遊亭兼好⑥桃月庵白酒⑦春風亭昇太⑧柳家喜多八⑨立川談四楼⑩不明⑪立川談笑⑫林家彦いち⑬春風亭百栄⑭立川志らく⑮三遊亭白鳥⑯三遊亭粋歌・柳亭小痴楽・立川笑二

このうち、春風亭一之輔・柳家三三・桃月庵白酒・三遊亭兼好・三遊亭白鳥の5人の師匠の広瀬さんによるインタビューについては、2015年刊行「『落語家』という生き方」(講談社)にまとめられているので、このブログでは、僕が行ってメモを取ったシーズン1の⑤橘家文左衛門⑥柳家喬太郎⑦柳亭市馬⑧立川志らく⑨柳家花緑の6人の師匠の「芸談」を【プレイバック】という形で、再現してみたい。録音を録ったわけではないので、多少不正確な部分があるところがあると思いますが、お許しください。きょうは「橘家文左衛門」(現・文蔵師匠)です。

2012年11月14日。

最初にプログラムから、広瀬和生さんの紹介文。

21世紀になって落語の人気が盛り上がった最大の理由は「魅力的な演者が増えた」こと。彼らの多くは21世紀末の「冬の時代」に力を蓄え、21世紀になって才能を開花させた若手真打だった。今回の主役でらある橘家文左衛門は、まさにその代表的な演者の一人。文左衛門のように寄席を中心に活躍する魅力的な若手真打の存在が、2005年頃に急激に高まった落語への関心を「一過性のブーム」で終わらせず、地に足の着いたものにしたのである。(中略)

文左衛門の落語は、豪快キャラの中に潜む繊細さが魅力だ。丁寧でリアルな演技と奔放な発想によるギャグ、独特な台詞回しが一体となって生まれる強烈な可笑しさは文左衛門ならでは。他人の真似をするのでは意味がない、「自分の噺」としての古典落語を追究する…これが文左衛門の基本姿勢だ。「高座に出るものは氷山の一角である」と文左衛門は言う。これは、亡き師匠・文蔵の教えであった。表面には出てこない「噺の背景」を自分の頭で考え、腹に入れる。それがあって初めて、他人の真似ではない「自分の噺」が出来るのだ、と。細心かつ大胆、繊細かつ豪快。「素晴らしき寄席芸人」橘家文左衛門の世界を堪能していただきたい。以上、抜粋。

では、当時(2012年11月)に僕がメモを基にまとめた、文左衛門(現・文蔵)師匠の芸談です。

師匠はインタビューは苦手と言っていたが、現在の落語界の活況を象徴するような言葉がポンポン飛び出して、非常に興味深かった。まずは、来月1、2日に控えている恒例の鹿芝居について。ようやく台本が完成し、この日から稽古がはじまったとか。きっかけは「らくだ」。小せんやロケット団、一之輔たちとワイワイやっていたら、面白くて、「文七元結」「大工調べ」と続いた。落語の面白さに通じるところがあると。台詞回し。こいつにこういうことを言わせたら面白いんじゃないか?座長として、皆でひとつのものをこしらえようというのは楽しい。志らく師匠の下町ダニーローズの芝居にも役者として出演しましたが?には、「できることしかやらないよって言ったんだ。案外、乗せるのが上手くて。ヤクザの親分だから、そのまんまなんだけどね」。来年も頼まれているが、雀々と二人でどうしようか?ギャラは安いし、と相談しているそう。

(東京音協主催の鯉昇師匠との二人会で、「居残り左平次」をネタ出ししていますが、今年のネタおろしで「『居残り』の序でございます」と言って、途中でサゲちゃいましたよね?この先は?)今度の会は「ちゃんとサゲまで」というのが条件。あのときは出来上がっていなかった。でも、面白いサゲを考えた。幕末太陽伝からヒントを得てね。ただ演るんじゃ、面白くない。サゲがわかりにくいでしょう?皆さん、工夫されている。旦那の頭がゴマ塩だから、はわからない。小三治も、円楽も、談志も変えている。思いつかなかったんです。誰の型ですか?横目家助平、今の柳家一琴から教わった。小三治流のサゲ。仏の顔も・・・というやつ。でも、それはその人のオリジナルでしょう?何かないか?と考えているんだ。

(一時期、「もう半分」を演ると言って、演らないというのが2、3回続いたことがありますよね?)難しく考えていたんですね。おかみさんとのやりとりがうまくいかない。(三鷹の会場でお会いしたときに、「きょうは演るんですか?」と訊いたら、「ごめんなさい」って)覚えりゃぁ、できるんだけど、ただ演ってもつまらないでしょ?(プロですね)いや、プロだったら、演っているよ。「やる、やる」言って、やらないなんて民主党みたいだね。人の真似をやっても、面白くない。習ったものは、その人のもの。俺が演ってもいいのか。俺だったら、もっと面白くしなきゃと。

(文蔵師匠の「高座は氷山の一角」という言葉に影響を受けているのですか?)確かに、水面から上の見えている部分が落語。でも、水面下を知っておかないと。二ツ目時代にやりました。八五郎のプロフィールをノートに書いていく。性格、女の好み、酒の飲み方・・・。隠居は歳はいくつなのか?小せん(先代)や扇橋をイメージしていました。(毎回、人物がイキイキしていますよね?)楽しそうに演らないと、伝わらないからね。(それは、小三治師匠が「お前の隠居と八五郎は仲が良くないな」と、小さん師匠に言われたものに通じるものがありますね。文左衛門師匠の「道灌」は仲が良いですね)仲が悪かったら、遊びに行かないでしょう?退屈だから話し相手になろうか、なんて好きな人にしか思わない。

90年代、文吾だった頃、談春さんや志らくさんと落語騎兵隊と言って、交流をしていた。やっぱり、同世代の噺家は刺激になるからね。前座修業は落語協会の中だけ。それが、立川流や円楽党と交わると異文化みたいでね。異人みたいだった。寄席育ちじゃない。でも、よく聴くと落語なんだよ。談春はあの頃から上手かったし、志らくはギャグを沢山入れて爆笑だったし、そういうものを吸収していた。(昇太さんは?)あの人は古典が好きなんだね。個性が出ている。カラーがあって、面白い。大したもんだと感心した。狭いところで修業していたんだな、そんなところで威張っていてもしょうがないと思った。

(白鳥さんは?)あいつは同期なんだよ。一生懸命、立ち働こうとするのに、何をやってもドジ。目が悪いから、小三治師匠の前でお茶をこぼしたり。そこが可愛い。(喬太郎さんは?)あいつは俺が立前座の頃、入って来た。「随分、兄さんにはやられた」と言われるが、全く覚えていない。(それは柳朝が談志を苛めたのに似ていますね)苛めるわけがない。暴力は躾ですから。一度二度言ってもわからなかったら、拳固で殴る。当たり前のこと。芸協に行った遊雀とか、横目家とかも「あなたにはやられたよ」と言うんだ。横目家なんか、藁人形を持っていた。「誰?」と訊いたら、「訊かないでください!」。

(上の厳しそうな人とはフランクに接しますよね)「もう半分」も、小三治師匠がアドバイスをしてくれた。ヒントをくれる。ボソボソ言っているだけなんだけど。談志師匠にも教わった。優しい師匠だった。「美弥」で、「俺の弟子になれ!文蔵の弟子であるのと、どっちがメリットあるんだ?」と言うから、とりあえず「うちの師匠です」と答えた。「落語のピン」の文吾時代のネタと演っていることは変わっていないです。荒削りだった。文蔵師匠と志ん朝師匠は仲が良かった。あるとき、電話がかかってきて、「弟子が『寿限無』を教えてくれって言うんだ。セイちゃん、教えてよ」「いつ?」「今!」。電話で教えている。途中で「チョウさん、聞いている?」。ネタの交換もしていました。基本に忠実な人ですから。稽古台になる。小三治や志ん朝、喜多八、市馬、一朝なんかが教わりに来ていた。それを横で聞いていました。師匠はよく「俺から教わるな。外へ行け」と言っていました。小里ん、小燕枝、「道灌」は林蔵、「のめる」は右朝です。喬太郎に「『転失気』は兄さんから教わった」と言われたけど、覚えてない。俺はいっぱい習って、覚えたのに、今できるネタが少ない。だから、来年から毎月、ネタおろしの会をやるんだ。らくごカフェで。小さいところの方がいいでしょう?秘密倶楽部みたいで。

(今、演っていて楽しい落語は?)「笠碁」。「化け物使い」、これは白酒から教わった。「天災」と交換でね。「転宅」、これは三三から教わった。(「笠碁」は誰からですか?)これは師匠からなんだ。馬生の型。でも、小さんの形が好きで、目白のVを花緑から借りて、覚えた。(小さんは)臭いのがいい。無駄がない。今になって良さがわかってきた。昔は黒門町みたいな、通が好むものが評価されて、(小さんは)評価が低かった。小さんは「受けなきゃ駄目」と言っていました。小三治師匠も「無駄が多いと言われた」と。俺が真打になりたてで、くすぶっていた頃、小三治師匠に「若いうちに恥をかけ。つまらないと思うから、客もつまらない。面白くやればいいんだ」と言われて、ふっきれた。この間、喬太郎と池袋で飲んだとき、シュンとして「受けなかった」と言っていたから、「何でだか、わかるか?面白くやっていなからだよ!」と言ったら、「そうか!」だって。

権太楼師匠には世話になった。口利きでホール落語とかに出られるようになった。権太楼師匠の「鰻の幇間」を、そのまま演っている先輩がいて、師匠は「それじゃぁ、つまらないだろう」と言っていた。金馬の倅だけどね。そっくり演っているんだ。「楽しい?」と訊いたら、「だって、面白いじゃん!」。この人は、ここまでの人なんだな、と思いました。「代書屋」も、同じように演っている先輩がいる。生年月日!演っていて、面白くないじゃん。どう評価されようがいいけど、自分が面白くないんじゃないか。折角、落語家になったのに。よく、つまらなそうな顔をしていると言われる。緊張しいでね。石橋を叩いて渡る。「菊之丞さんみたいに演りなさいよ!」なんて。とっつきにくいと言われる。でも、小三治も家元もそうですよね。見てくれが怖いから。これをハンディと思わずに、チャームポイントにしようと思って。二ツ目勉強会のときに「らくだ」を演って、志ん朝師匠に寸評会で「お前のは怖いんだ。笑えないんだ。震えあがっちゃうよ」と言われた。お前の八五郎は乱暴者じゃない。柄が悪いんだ。品がない。段々、角が取れてきましたか?今日あるのも、色々な先輩方のお蔭です。

以上です。落語は「のめる」と「文七元結」を演りました。基本的なスタンスは文蔵襲名以降も全くぶれず、その魅力はますます増すばかりだ。らくごカフェで「秘密俱楽部みたいな会」をやるという発言があったが、それが師匠の先代文蔵の持ちネタをネタ下ろしする「文蔵コレクション」になり、文蔵襲名以降も、「ザ・プレミアム文蔵」という名で定期的にネタ下ろしの勉強会を続けている。「寄席芸人」としてのスタンスも変わらず、だからこそ、今回のコロナ禍に即座に対応して、文蔵組を作り、いち早く配信をスタートさせた。今後も目を離せない、「細心かつ大胆、繊細かつ豪快」な文蔵師匠である。