追悼 柳家喜多八師匠 清く、けだるく、美しく(下)

喜多八師匠の命日だった一昨日から、「東京かわら版」2015年11月号「今月のインタビュー 柳家喜多八」、同2016年7月号「追悼 柳家喜多八」、2014年に出版された柳家喜多八著・五十嵐秋子(東京音協)編「柳家喜多八膝栗毛」(まむかいブックスギャラリー)、2012年刊行の柳家喜多八・三遊亭歌武蔵・柳家喬太郎著「落語教育委員会」(東京書籍)などから抜粋をして勉強させていただきながら「喜多八師匠の魅力」を考えています。

きょうはその最終日。喜多八師匠の、自分の落語をこしらえる、自分のスタイルを貫くという情熱やこだわりについて、2004年に三遊亭歌武蔵師匠と柳家喬太郎師匠と一緒に結成したユニット「落語教育委員会」という切り口を軸に考えていきたいと思います。

「東京かわら版」2016年7月号「追悼 柳家喜多八」の「喜多八を偲んで3 落語教育委員会編」からの抜粋です。

歌武蔵 結成前は、普通に先輩後輩の間柄。私が入った時にはもう二ツ目だったし、教育委員会始まってからの昵懇ですよね。鈴本の楽屋で喜多八兄さんが「もっとお前、会やんなきゃ駄目だ」「じゃあ一緒にやって下さいよ」って話になって「二人じゃアレだからもう一人加えよう。明日までにお互い考えてこよう」って。次の日、鈴本で「喬太郎さんなんかどうでしょう」って言ったら「俺もそれ考えてた」って。

喬太郎 僕も兄さんと同じで、柳家の先輩・後輩っていうぐらいのお付き合いで。二ツ目の小八の頃の兄さんってちょっとピリピリしてる感じで怖かった。

歌武蔵 あの頃の兄さんは無頼というかツッパってたっていうか。おっかない雰囲気があった。

喬太郎 ちょっと緊張する兄さんだった。歌武蔵兄さんにも元相撲取りだし緊張してたんですけど。そういう先輩方からお話頂いてびっくりしたし、こんなチャンス逃しちゃいけない、って思った。以上、抜粋。

「落語教育委員会」の公演では、落語の前に3人による「携帯電話の電源オフ」を喚起すると称した趣向を凝らしたコントが名物だった。毎回、時事ネタなどを取り入れながら、ユーモアに包んで、「人の噺を聴くときは携帯電話は切りましょう」とさりげなく伝える芸人さんらしいやり方が大好きだった。同じく、「喜多八を偲んで3 落語教育委員会編」から、以下抜粋。

喬太郎 はじめ、教育委員会でコントやりましょうってなった時に嫌がるのを説き伏せて演ってもらって、途中で「俺はもうコントはいい」って言い出した。結局、コントがウケる事に苛立ちがあって、要するに落語がついでみたいになってると、喜多八兄さんは思われたみたいです。それで「俺はもうコントはいいよ。やるんならお前らだけでやれ」って言い出して、そしたら本田久作さんが「名人がやるからいいんですよ。志ん朝が学ラン着てたらお客さんが喜ぶでしょう」って言ってくれて。

歌武蔵 次の日電話掛かってきましたもん。「俺が間違ってた!」って。いや、あんたは志ん朝じゃない(笑)。でもあの本(「落語教育委員会」)の、裏表紙の学ラン姿が似合ってたんですよ。

喬太郎 似合ってましたねえ。(亡くなった16年)3月の旅では「コントは悪いけど無理だ」って仰ったので、俺と兄さんで漫才やったんです。それでそこに俺もいたいなって思ってくれたらしくて。

歌武蔵 4月30日の横浜にぎわい座が最後の公演でした。

喬太郎 「死神」の新作コントやったんですよね。座ってればいいように喜多八兄さんが死神役で。

歌武蔵 僕が病人役で寝てて。

喬太郎 僕が医者役で。またあの兄さんがニヤニヤしながら病人の歌武蔵兄さんの顔をずっと見てる。僕が「何とかできねえかなあ。あそこで死神が座ってやがる」って言ったらドカーンとウケたんですよ。兄さんもうノリノリでね。ご自分の持ってる中で一番死神らしい着物を…あれ、次回にって言ってたんでしたっけ。

歌武蔵 グレーの絽の長襦袢を持ってるから、次回はそれを着て演るって言ってた。

喬太郎 自分で墨で染めたんですって。乱暴な人だよね(笑)。だから夏あたり、元気だったら演るつもりだったんでしょうね。

歌武蔵 高座に上がりたい、という気迫があった。鬼気迫るものがありましたね。

喬太郎 特に今回の東北の旅は緞帳があるところが一、二か所しかなかったんですよ。それで客前で一緒に行ったさん若の背中に掴まって。高座上がって「足が悪くてね」ってちゃんと自分のネタにしてて、そういうところもさらけ出して見せちゃう。それでも一席終わる頃には客は噺に引き込まれて。

歌武蔵 見せたくない人のほうが多いですからね。高座に上がらなくなる人もいるし。

喬太郎 喜多八兄さんのような生き方も素敵だな、って思う。以上、抜粋。

お客様を笑わせる!という猛烈な執念。洒落の世界で生きる人たちの素敵な世界。演芸に携わる芸人さんの生き方に敬意を表する思いだ。その見本のような「柳家喜多八」という存在は楽屋仲間から敬愛されていたのだと思う。素晴らしい。さらに、コントに関する抜粋。

歌武蔵 最初の頃のコントで「セリフがないほうがいい」って言うから。喋らない・動かない役って無理難題を俺らに出してさ。モモレンジャーの格好させたり。

喬太郎 喋らない・動かない・俺が全部持って行くっていう(笑)。あの兄さんね、楽屋のトイレットペーパーをカーッと2つ丸めて胸に入れてパイオツにしてた(笑)。

歌武蔵 看護婦の格好させたりね。足が悪くなったっていうから、じゃあハナ肇さんみたいに銅像にしちゃおうかとか(笑)。

喬太郎 「らくだ」にしてかんかんのう踊らせちゃおうかとか(笑)。

歌武蔵 「死神」の次は「らくだ」だな、って言ってたんだよ。あとはドローンで吊ろうとか色々言ってたね(笑)。「よせよぉ」って当人は言っててましたけどね。

喬太郎 ニヤニヤしながらね。

歌武蔵 まあ足かけ十二年、やらせてもらって本当によかった。

喬太郎 ついこの前、佐世保に行ったんですよ。一之輔さんと扇遊師匠と僕だったんですけどね。世話人さんが「さすがに三本締めはあれなので、僕が出て挨拶します」って。始めたらぽろぽろ泣いちゃって、「やばいなこれ」って思って一之輔と出て行って「まあ喜多八は死にましたけれども!扇遊師匠は着替え終わりましたかー?」なんつって、舞台呼んで。「ずっと飲み歩いてた扇遊師匠です。早い話がこの人が殺しました!」「よせよおいっ!」って。それで扇遊師匠が「喜多八さんが天国に行けるように三本締めしましょう」って。

歌武蔵 そういう商売だよね。

喬太郎 それが楽屋の追悼なんじゃないですかね。僕らも、亡くなった当初は散々泣いたけど、今はずるいけど向き合わないようにしてる。思い出さないようにしても思い出しちゃうから。ちょっと逃げてるかな。泣いてる暇あったら稽古しろ、って兄さんに言われそうだし。僕らも早く立ち直るし、虚勢も張りますから、早く喜多八兄さんの話をゲラゲラ笑って聞いてもらえるようにお客様方にもなってほしい。…時間はかかりますけどね。以上、抜粋。

噺家の了見。芸人の了見。その見事さに拍手喝采を送りたい。そして、それを拝見、拝聴する観客にも了見あって然るべきだ、と改めて思う発言が飛び交う、2012年刊行の「落語教育委員会」(東京書籍)からの、抜粋。

喬太郎 あんまりいい気持ちしないなと思うのは、例えば喜多八の会とか、歌武蔵の会、僕の会があったとしますよね。そこで、打ち上げがあって、参加してくださるお客さまがいる。ありがたいんですけど、現場にきている若い子がいるわけですよ。僕の弟弟子であったりとか、頼んでる若い子だったりとか。例えば小太郎という子がきてるとしましょう。まぁ誰でもいいんですけど、仮にね。「おい、小太郎、こっち、酒ないよ」と、その人が言うときがあるんですよね。前座は働き手だから「小太郎さん、ちょっとお酒をもらっていかな」だったら全然問題ないんですけど。

喜多八 噺家がいばってるんじゃないんですよ。だけど、やっぱりその人の人間性ってあるじゃない。それなのに、そういう態度をとられると、何かさびしいよね。

歌武蔵 要するに、あんたの弟子や後輩じゃないんです。この人も前座だけど芸人なんですよ。喬太郎師匠のために小太郎は一生懸命働いているわけですよ、ってことでしょ!なのに、そのお客がそういう若い子のことを仲居さんとか女中さんと勘違いしちゃうんですね。

喬太郎 その前座さんとお客さまが、僕とは関係ないところでそれを言ってもいい関係性があればいいんだけど(笑)。だからね、お客さまの教育というか、そういう意味での教育委員会でもあるんですよ。昔はお客さまが噺家を育ててくれたんだけど、今、お客さまはダメな人がいるから。

喬太郎 ダメなお客さまというのは一部の人ですよ。圧倒的に少ない。

歌武蔵 もちろんごく一部ですけど。でも、今は、芸人がお客さまを育てなきゃいけない。ファンと贔屓は違う。あと、今、落語評論がネット上で溢れかえってるでしょ。

喜多八 評論家なんて誰でもなれるからね。でも、俺は彼らの意見に耳を傾けてるよ。

喬太郎 これについては、事と次第によっては俺、相当頭にくることがあるので。

歌武蔵 俺もこのあいだ、ものすごい頭にきたことがあったけど、そういうのは言った方がいいよ。

喬太郎 ちょっと待ってね、個人が特定されちゃうから。

喜多八 あ、わかった。安藤鶴夫だろ(笑)。俺、あいつのこと大嫌いなんだよ。

喬太郎 そんなに古い、偉い人じゃない。

喜多八 今、みんな第二の安藤鶴夫になりたがって困るんだよな。

喬太郎 ツイッターとかブログとか、個人の自由ですからいいんですけど、責任取らなくていいのに発言できることを知っちゃったでしょ。憶測でものを書くくせに記名制じゃないから、責任を取らない。(中略)もちろんああいいうものにいい面もいっぱいあるんでしょう。でも、一部にそういうことがあると、こっちは芸人だからオモチャになるのはかまわないと言ったって、ある程度以上までズカズカ踏み込んでくるなよ、と思うことも出てくるんです。

歌武蔵 昔は、板に上がる芸人は、お客さまはみんな味方だと思っていたんですよ。ところが、ツイッターとかブログとかで、味方だと思えない行動をするんですよね。喬ちゃんが言うように、たぶんいい人のほうがいっぱいいるんでしょう。ところがねえ、「えっ、敵かよ」みたいなね、「何?お金を払ったら何をしてもいいの?」っていうような、今はそういうことになってきちゃっているからね。確か入場料を払ってきてくださるお客さまは誠にありがたいんですけれども、土足で踏み荒らしたり、他のお客さまを否定するような、そういうことをされるとちょっと困るので、ただただ、笑って楽しんでいただければ、それが一番いいお客さまなんですけどね。

喬太郎 知り合いの人で、友達なんですけど、その人がうまいこと言うなと思ったんです。僕らは「いい客がついてさ」とか、「客んとこ、行くんだよ」って言うけど、その客んとこの行き先っていうのはお座敷だったりするんです。そういうことをしてくれる人を客とすると、客と観客とは違うんだと。我々は観客なんだから、客のつもりになって生意気しちゃいけないんだよねって、そう言う人がいたんですよ。以上、抜粋。

そうです!昔、小泉信三が志ん生師匠をお座敷に呼んで大津絵をリクエストしたとか、圓生師匠の最後の高座はお座敷で「桜鯛」をちょっと演ったお座敷だったとか、そういうのが「客」であって、寄席やホール落語に足繫く通う我々は、あくまで「観客」なんです。だから、僕はその「観客」目線でこのブログを更新している。また絶対にあってはならないのは、憶測などでモノを書かないこと。データ的なこともウィキペディアを信用しない。ちゃんと裏をとる。これは絶対です。そして、ポジティブなことを書く。だけど、ヨイショじゃなくて、ちゃんとした根拠に基づいて誉める。ここでは「落語ファン」の目線のブログとして書くことを肝に命じています。

さらに、喜多八師匠のスタンスが素敵。これも「落語教育委員会」(東京書籍)から、抜粋。

喜多八 俺はパソコンはできないから、2ちゃんねるなんてのは自分で見られないけど、人に頼んで見せてもらうのね。あれ面白いよ。書いてある自分の悪口を読んでると、やっぱり自分を知ることになるんだよ。あれを読んで腹を立ててる奴はバカだよ。むしろ言ってくれて、その中で「あ、これは確かにそうだな」と思うような自分の欠点を探すんだよ。となると、あれはアドバイスみたいなもんですよ。

喬太郎 こっちは気づかないけど、向こうは客観視してくれているものもありますからね。

喜多八 そうそう。だから、こっちもけなされたってそういうものをアドバイスにしてしまってさ。転んでもただじゃおきねえみたにさ、そういうところは下品になっていいと思うんだ。品よく拾ってる場合じゃなくて、もう必死になってしがみついていかないと。でも、芸は品がなくちゃ駄目だけどさ。

喬太郎 そうですね。

喜多八 逆に怖いのは、ほめられるのはうれしいんだけど、一つ間違えるとそれにすがっちゃうんだよね。そういう意味では俺は仲間意識でそういう意味でのほめ方はし絶対にしない。

喬太郎 これも語弊があってむずかしいんですけど、お客さまってご贔屓にしてくださるのはとてもありがたい反面、贔屓の引き倒しみたいになっちゃうことも多々あるんですよね。

喜多八 あるよね。向こうは誠意で言って、喜んでいるんだけど、それでこっちがうれしくなって、それにすがっちゃうのが悪いんだけど。以上、抜粋。

お客(いわゆるお旦)と観客の違い。贔屓の引き倒しにならない。今後も十分に心してこのブログも書きたいと思います。

落語の中の「言葉」の使い方についても、示唆のある発言が興味深い。「落語教育委員会」(東京書籍)から、抜粋。

喬太郎 前座の頃に「たらちね」で「嫁さんを紹介してやる」みたいなことを言っちゃったんですよ。そのとき、「『紹介』なんて言葉はおかしいから、『世話してやる』とか言わないと」って注意いただきましてたね。それで、それから、そういうことにすごく注意するようになりました。

歌武蔵 志ん朝師匠も熟語のことをかなり言っていたんだよね。例えば、「結局」じゃなくて「とどのつまり」だとか。ところが、その志ん朝師匠が晩年になったら「今はそういう言葉でも使わないと通じないことがあるからなあ」って。だから明らかに江戸の町人の噺だったらまずいけど、明治・大正の時代のものであればいいんじゃないかっていいうことでしたよね。

喜多八 むずかしいよね。俺もその時代には存在しない現代語を、例えば「適当に」なんて思わず言っちゃうから。だから、四文字熟語はあるべく使わずに、なるだけ簡単な言葉を探すようにはしてる。そうやって探した言葉もひょっとすると当時はなかった言葉なのかもしれないけど、それでもまあ、それらしく聞こえるんじゃないかとか、そういういい加減でずるい気の使い方はしてるつもりだけどね。(中略)

歌武蔵 言葉に関して言うと、兄さんはどうですか。「もやってある」とか、「清正公様の生まれ変わり」とか使います?

喜多八 「もやってある」はお客さまにわかんなくてもいいから入れたいね。「清正公様」は、俺はもう抜いてる。それに代わるものがなきゃ別にないでいい。噺の幹が変わらなければいいわけだから。

歌武蔵 僕も「もやう」って言葉は入れたいですね。

喜多八 かっこつけたいしね。だけど、それってつらいものがあるけどさ。だから「もやってあるじゃないか」「ああ、なるほど。つないでありますねえ」って言う人もいるわけで。

歌武蔵 若旦那が勝手に変換してますよね。

喬太郎 さっきの話に出てきたように、例えば「ほしい」って言ったほうがお客さまに伝わるみたいに、登場人物の気持ちとかを伝えるために必要なことはいいと思うんです。ただ「もやってある」みたいな言葉を変換してわかりやすくしてあげるような、お客さまに対してそんな親切にする必要はないと思うんですよね。極端なことを言っちゃうと、ゆとり教育みたいになっちゃうので、それは必要ない、察してくれっていうか。

喜多八 俺もそう思う。だから「あれ?もやうって何?」って、わからない人たちがそう思ってくれたほうがむしろいい。以上、抜粋。

落語を聴くのに「ゆとり教育」など要らない。御意。円周率を3.14ではなく、3にしてしまうと、落語の空気感は削がれるし、そこで引っ掛かってストーリーの展開がわからないということもない。小学生の僕は吉原のことは、小学生なりになんとなくわかっていたけど、親に「花魁ってどんな仕事?」とか、「玉代っていくらぐらいなの?」とか、そういう質問はしちゃいけないと思っていた。大胆に言えば、そういうことではあるまいか。

最後は喜多八師匠の「自分の芸をつくるしかない」という信念をテーマにしようと思います。まずは、2014年刊行「柳家喜多八膝栗毛」(まむかいブックスギャラリー)の本田久作さんによるインタビューからの抜粋。

今の寄席に昭和の名人をもってきても受けるかどうかわからないってことだ。そりゃ巧いだろうけど、そんなことを知らない、名人の権威なんて感じてない、普通のお客様にしてみれば、昔の名人芸なんて「だから、何なの?」ってもんかもしれない。あたしが巧いって思うけど興味がないと言うのはそこでさ、巧くたってお客様は喜んでくれないんだ。普通のお客様は楽しみに寄席に来ているんだから、そういうお客様を喜んでくれてなんぼじゃないか。それには巧さなんかよりも、その時々のお客様と芸人の相性の方が大事。まして第二の安鶴(安藤鶴夫)になるりたいような人はごめんだね。ひっく。

―それは、さっき言ってた「行く先々のの水に合わせる」で、お客の好みに合わせていくってことですけど、悪く言えば、お客に迎合するってこと?

ちがうよ。もっと素直にとりなよ。このかんぷらちんき!おにいさん、お酒―っ!つまりさ、お客様よりも紙一重だけ上を行ってないといけないってこった。こっちがお客様を引っ張っていかないとね。お客様との相性は大事だけど、お客様の好みに妥協しちゃったら芸人もお客様もどんどん下がっていっちゃう。だから、お客様のためにも紙一重だけ上を行く。二重も三重も上だと駄目。それじゃあお客様を突き放すことになっちゃう。だから、紙一重。あたしゃ紙一重上を行ってんだぜっていう、その程度の自惚れは持っているべきだと思うんだ。もっともそれができりゃ苦労はないけどさ、ひっく。お客様に気づかれたら駄目だし、巧そうに演ったり、巧いなんて思わせるのは論外。志ん朝師匠が「お客様がいきたがってんなら、気持ちよくいかせてやりゃいいじゃないか」って。あの方はそれができたから言えんたんだけど、まさにその通りだと思うね。

―でも、それって難しいですよね。

難しい。でも本当は難しくないんだ。

―どっちなんですか?(笑)

噺家が正直にやればいいの。あとはお客様のことを信じていればいいんだ。あたしたちは商売人なんだから、商売人っていうのは商売したい品物を前に出して、今売っているのはこれです、このレベルのもんです、これでよかったら買ってくださいって、そうやって商いをするんだよ。まがいものを出すよりも、不出来でも自分を正直にさらけだす。その方が買ってくれるお客様だってよっぽど気持ちいいと思うんだ。なかなかそういうふうにもいかないけどさ。あたしだって、お客様に何とか受けてもらいたくて必死でさ。以上、抜粋。

さらに、2012年刊行の「落語教育委員会」(東京書籍)からの、抜粋。

喜多八 俺はもう随分前から愚痴を言ってるけどさ、喬太郎落語にウケてる人たちの感覚が、俺もやっぱりわからないところがあるわけだ。白鳥なんかもっとわからない。年寄りぶるわけじゃないけど、やっぱり育った時期が違うからさ、俺なんか月光仮面で、そっちはウルトラマンって違いがあるじゃない。

喬太郎 うーん。はい。

喜多八 俺は落語教育委員会で二人と組ませてもらって、二人からどこか取れるところがあれば、取りたいと思ってたんだ。でも、実は、ほんとうに悲しいけど、諦めたんだよな。新しいものを取ろうと思って小ゑん兄貴と組んで今二人で勉強会をやってるんだけど、新作落語の了見というか、腹というか、そういうものが俺にはないんだよね。

歌武蔵 いや、でも…。

喜多八 ないもんはないんだ。結局、自分の芸をやるしかないんだよな。

歌武蔵 いや、でも、センスはすごくいいですよね?

喜多八 早くそれを言ってくれよ(笑)。

歌武蔵 ネタの中でも、言葉のチョイスとして全然違和感のない、前からその台詞がそこにあったかのようなくすぐりを入れてくるじゃないですか!!

喜多八 やだなあ、もう(笑)。

歌武蔵 いや、兄さんにヨイショじゃないんだよ。

喬太郎 ほんと面白いですよ。そんときそんときで、全然違う話だし。以上、抜粋。

喜多八の落語をやればいい…。「落語教育委員会」(東京書籍)から「おわりに」の、抜粋。

私は幸か不幸か柳家喜多八ですから、柳家喜多八の落語しかできないんです。名人とか上手と言われる人みたいにやりたいと思ったって、それはできない。でも、その代わり、どれほどの名人上手でも喜多八の落語はできないんです。だから、まあ、いいかなって。

名言である。

おわり