「本当の春」がくることを、ただひたすら信じて待とう。「スプリング、ハズ、カム」映画と舞台と
AmazonVideoで映画「スプリング、ハズ、カム」、ペテカンDVDで舞台「スプリング、ハズ、カム-THE STAGE―」を観ました。
今年、2月終わりから新型コロナウイルスのニュースが流れ、次第に感染は拡大して、ついには緊急事態宣言、さらに緊急事態の延長。外出自粛が続いている。今年、「春」は来なかったと言っていいのではないか、とさえ思う。で、僕は3年前に観た柳家喬太郎師匠が主演した「スプリング、ハズ、カム」を思い出した。2017年2月28日、渋谷ユーロスペースで公開になった映画を観て、10月21日に浅草九劇でお芝居を観た。そのときの感動が蘇り、改めて、今、その映画と舞台を観た。3年前に映画を観たときの、僕の感想を記した拙文が残っている。以下、当時の感想文。
泣いちゃったよ。ラストシーン、喬太郎師匠演じる父親が石井杏奈さん演じる娘をおんぶして歩くところで。「いい子に育ってくれた」娘が自分を離れていく。いや、あえて離れてみようと思った父親の気持ちがジーンと伝わってきたんだ。
僕は大学を卒業するまで親元で育った。そして、就職が決まり、初任地の名古屋が最初の独り暮らしだった。荷物をまとめて、さぁ、引っ越しというときに、部屋にはオヤジと僕が二人きりになる時間があった。これから巣立っていこうという息子に対して「送る言葉とか、ないのかよぉ」と言ったら、「言葉なんかあるか。何も言わなくてもわかるだろう?ずっと無言で見守っているよ」とオヤジは返した。そうしたら、なんか親の愛情みたいのが、僕の中でウワァッ!とこみあげてきて、涙が止まらなかった。もう、30年も前のことだが、今でもその場面はくっきりと覚えている。
滅茶苦茶に反抗期に暴れて、杏奈ちゃんみたいに「手のかからない、聞き分けのいい子」じゃなかったし、大学進学で上京する娘と社会人になる男の僕とでは較べようもないけれど、何か、その30年前の感情と共通するものを、この映画に感じたのだと思う。親が子を想い、子が親を想う気持ち。それは綺麗な言葉なんか要らない、心と心で通じ合うものなのではないか。
私事で恐縮だが、僕のオヤジは貧乏なために大学に進学できず、旧制中学を卒業して、単身東京におっぽり出された苦労人である。だから、職場でも昇進が遅くて、そんな苦労は露も知らない小学生の僕は「万年係長」とオヤジをからかい、罵りもした。子どもって残酷だ。でも、オヤジは自分の子供たちにはそんな苦労はさせたくない、ちゃんと大学を卒業させてやりたいと頑張った。何も言わず、無言で頑張った。今になって、その偉大さがよくわかる。身に沁みてよくわかる。ただ、ひたすら感謝である。
父親ってすごいなぁ。これが、この映画を観た感想だ。喬太郎師匠演じる時田肇はタクシー運転手をしながら、男手ひとつで石井杏奈さん演じる璃子を育て上げた。そして、「地元広島の短大に進学する」と言う優しい娘を、あえて東京の4年制の大学に進学させた。寂しいよ。本当はきっと寂しいはずだよ。なのに、あえて娘を東京で一人暮らしさせる。心配だけど、突き放す。愛だよね。これが親子の情愛だよね。
スプリング、ハズ、カム。二人それぞれに毎年春がやって来て、去っていく。そして、10年後か20年後か、わからないけれど、二人にとって人生の大きな春がやってくるのでしょう。良い映画をありがとうございました。
以上です。ちなみに、僕は現在55歳。父親は88歳でありがたいことに存命である。親孝行したいときは親はなしとならぬように、残りの時間で最大限の孝行をしていくつもりだ。で、改めて、映画を観て、舞台を観て、感じたことを書きたいと思う。映画と舞台がゴッチャになるけど、混乱しないように書きますね。
映画:監督・脚本・編集 吉野竜平 脚本:本田誠人 ©「スプリング、ハズ、カム」製作委員会
舞台:脚本・演出:本田誠人(璃子:河野ひかり)企画・制作ペテカン
映画の予告編のテロップにこうある。広島から上京してきてたシングルファーザーと一人娘。春から大学生になる娘の部屋さがしの一日。素直すぎる娘が心配な父親とひとりになる父が気がかりな娘。おたがいに言い出せない想いを抱いたまま別れの予行演習のような東京旅行。この街の人や出来事と出会ううち―なんでもない一日だったはずななのに―「きょうのことは一生忘れんじゃろなと思った」
これでストーリーの概略はわかると思います。オープニング、璃子が入学前に父・肇と決めたアパートに引っ越し業者が荷物を運び終わったとき、サインを求められ、業者のボールペンの液が切れて書けなかった。すると、璃子は「大丈夫です」と言って、段ボールの脇にあった万年筆を拾いあげ、サインをする。それは父からの入学祝いであった。もう、これでキュン!ちなみに舞台では引越し屋の男が「僕は役者になりたくて上京しました。そんなうまくいかなくて、小さな劇団で食えない役者やっているんだけど、親父が病気だという連絡があって、戻ろうと思ったら、『俺のことはいいから、頑張れ』と言ってくれて。できる親孝行はテレビに出て有名になって親父を喜ばすことかなって」という台詞に、またキュンとなった。
父の肇と璃子が最終的に決めたアパートは、一階に住んでいる大家の田所さんが、内覧中にやってきて、東京の独り暮らしのことを色々アドバイスしてくれる。世話焼きおばちゃん。隣に誰が住んでいるかもわからない、近所づきあいを嫌がる世の中だけど、やっぱり、それが決め手でこのアパートに決める。舞台は世田谷祖師谷だけど、こういう下町っぽい人情がいいんですよね。駅までついでがあるからと案内してくれ、美容室や八百屋を紹介してくれ、神社に行って拝んでくれる。温かいです。
途中、人気ドラマ「江戸っ子刑事(デカ)」の撮影現場に公園で出っくわし、見物していると、エクストラ出演を急遽、ADに頼まれる。「仲良し親子のピクニックという感じで」と頼まれたが、母親役がいないことに気づいたADは同じく見物していた女性(映画:石橋けい 舞台:四條久美子)にも参加してもらう。そのちょっと訳ありな雰囲気の綺麗な女性は「まだ、私には3歳の子しかいないけど、一緒に家族ごっこしましょう!」と乗り気になるところも好き。
あと、これは舞台にだけあった場面だけど、アパートの畳に座って、肇が言う。「初めて母さんと暮らしたの畳敷きのこんなアパートでな。風呂がないから、銭湯通い」。♪小さな石鹸カタカタ鳴った~と「神田川」を歌うと、回想シーンになる。映画「植村直己物語」を一緒に観てアパートに帰ってきたところ。あの倍賞千恵子のセリフは良かった、と。「植村と一緒に暮らせて幸せでした。巡り会えて良かったと思います」。そう言うと、肇の妻は「肇さんと・・・」と、このフレーズをなぞる。そして、今度は生まれてきた璃子を連れて「こどもの国」に行こうと言うんだ。まだ生まれてきていない子を女の子と決めて、「璃子」という名前までつけているの。そしてさ、璃子の誕生と引き換えに彼女は天国に逝った。もう、涙溢れる。そんな思い出を語る肇をパシャパシャ、一眼レフで撮る璃子に向かって、「やめんかい。お母さんはずるいよ。うちら遺して亡くなっちゃうんだもの。一緒にティーカップに乗りたかった」という肇のセリフが沁みた。
僕が3年前に書いた映画の感想文の冒頭にある「父・肇が娘・璃子をおんぶして歩く」場面のセリフ、もう一度聴いて、泣いた。
「ほい、おんぶしてやるよ」「え?なんで?」「やだよ。こどもじゃないんじゃけえ」「えーけ、ホラ!」「やよ、恥ずかしい。酔っとるじゃけえ。絶対、転ぶよ」「そんなナマッとらせんよ。ホーレ!」「恥ずかしいって。なによ、急に」「乗らんと、お父さん、この姿勢のまま動かんよ」「こどもじゃないし」「だから、三歩だけ」「三歩じゃけんね」「お前、意外と重いの。お母さんと付き合いはじめたころ、酔っぱらったお母さんの靴の片っぽがいつの間にかなくなっていて、家までおんぶして送ったことがあったんじゃ。こんな静かな道でな。何か、おんのよ。小猫。寝ているみたいに綺麗に死んでおった。そしたら、お母さん、埋めてあげようって。真夜中、近所の公園で一所懸命、穴掘って、土に埋めた。そしたら、お母さん、ポロポロ涙をこぼして、『小猫がかわいそうじゃ』って、泣きよんよ。そんとき、ああ、お父さん、絶対、この人と結婚しようと決めたんよ」。
うぅ。「璃子が優しいのはお母さんに似たんじゃけど、女の子はもう少しわがままでもえぇよ。と、お父さんは思ったりもしとる」。もう、言葉にならない感動。舞台のエンディングで、璃子の隣の部屋に住む同じ女子大生で、路上ミュージシャンをやっている女性がギターを弾きながら歌う歌詞がまた沁みる。
春は来ていない なんにも見ていない こぼれる花にも 背ける私も 花はつぼみ 膨らむもの どうか元気って言ってください 今年は見られず終わってしまうのかな 所詮はみだすソメイヨシノ おまえは帰りを待っているのね ぐっと大人になった私のこと だから故郷へ早く来るように 目にするあなたは白い魔物だ 気を抜いた隙に驚かしてくるよ 今でも震えてくじけそう この街の春 怖がってばかり 考えがない ときめきすぎて だらしがない そうさ、この街にいても笑っていたいです 電車が開いて目前で閉まる ほんの一瞬の春は匂いたつ 簡単に負けたらいられない 強がり涙が滲み込んだ東京の春。
僕は「自分の本当の春」が来ることを信じて、これからも一日一日を大切に生きていきたいと思います。ありがとう、「スプリング、ハズ、カム」。