「つい笑ってしまう。それが落語」 柳家小三治(6)

テレビ北海道のネット配信で「柳家小三治からのメッセージ」を観ました。(2020・04・25)

おとといから、TBS落語研究会のプロデューサー・白井良幹さん(2005年没)との関係から、小三治落語の魅力について考えています。引き続き、TBS落語研究会が収録した映像を収めたDVD-BOX、07年「柳家小三治」12年「柳家小三治 大全 上」13年「柳家小三治 大全 下」©TBS・小学館のブックレットを中心に、「東京かわら版」のバックナンバー、19年刊行「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)、14年刊行の広瀬和生著「なぜ『小三治』の落語は面白いのか?」(講談社)などからも抜粋させていただき、僕自身の思い出も少々、交えながら考えました。調べれば調べるうちに、白井良幹という人の偉大さ(そういう表現は白井さんが嫌うだろうね)に、身震いしました。そして、これは自分のためにきちんと整理しなくては、そう思いました。きょうはその3回目。これで白井さんの回は終わります。

Eテレで不定期に放送されている「落語ディーパー」という番組がある。人気落語家・春風亭一之輔と落語好き俳優・東出昌大がMCを務め、毎回噺の演目を決めて、一般の視聴者にもわかりやすく噛み砕いて、かつ楽しく伝える演芸ファンも必見の番組。この実質的な制作は、スタートした当初から、NHKから業務委託を受けた制作会社イーストが担当していた。プロデューサーは今野徹さん。TBS落語研究会の制作では、故・白井良幹さんの薫陶を受け、白井さん亡き後、プロデューサーを引き継いだ。浅草演芸ホールでの「禁演落語の会」で解説者として高座に上がり、寄席のお客様にもおなじみの顔だった。今野さんが突然亡くなったのは18年12月。白井さんと同じ、がん。57歳という若さであった。ご冥福をお祈り申し上げます。今も、さらに今野さんの薫陶を受けたイーストのスタッフが頑張って、魅力的な「落語ディーパー」が放送されている。

今野さんもまた、小三治師匠いうところの「いい番組をつくって評判を得て、視聴率を得て自分の評判も上がって地位も上がっていく」「これは誰がつくった?〇〇がつくった?おおー、やるじゃないかって言われるような人になりた人」ではなかったのではないか。残念なことに面識はなかったけど、そう勝手に推測している。「考え方が単純、安直、上から目線。そんなものに乗ってたまるものか」、そんな精神を白井さんや今野さんから学びたい。そして、春枝さんが白井さんに言ったように、棺桶に入るときに妻にだけ、「あなた、幸せね。勝手に歩いて、勝手に逝って。時代もよかったわね」と言われればいい。そう思う今日この頃です。

13年発売のDVD-BOX「柳家小三治 大全 下」©TBS・小学館のブックレットの白井さんの奥様、春枝さんが書いた「特別寄稿 師匠、そして私の夫」にこうある。以下、抜粋。

主人は最初から落語の担当ではありませんでした。もとはラジオで、やがてテレビも手がけるようになり、バラエティー番組全般を担当しておりました。落語の担当になるとき、「落語は趣味だから、仕事にするのはいやだ」というようなことをもらしておりました。それでも、担当になった以上、仕事として精魂傾けていたことが、仕事のことは何も話さないとはいえ、自然に伝わってまいりました。

個人的にも落語家さんのことは親身になって相談の乗って差し上げていたようです。先代の圓樂師匠が腰痛に苦しんでいらしたときには、茅ケ崎の整体師を紹介し、そこまでご一緒していました。「噺家は孤独なものなんだよ。ときには大きな批判も受ける。けれどもそれを克服して、勉強を続けていけば、体さえあれば生涯続けていかれるんだからね」と主人は言って、「そのために少しでも力になってあげたい」と言うのでした。(中略)

また、これは主人が亡くなってからのことですが、昭和のいる・こいるの所属する事務所の社長さんが、わざわざ家まで訪ねてくださり、「白井さんには、横浜でよくお酒をごちそうになり、お話を聞いていただきました」と言われるので、とても驚いたものです。お酒はまったく飲まない主人でしたが、有望な芸人さんやその周辺の方々とは、こんなおつきあいもしていたことを知ったのですから。

華やかな場も嫌いなら、目立つことも、写真も撮られるのも大嫌いでした。例外は、五代目小さん師匠が人間国宝に認定されたとき、パーティーに出席したことでしょうか。小さん師匠のお隣に立って師匠のご家族とともに写した記念写真が残されていますが、いかにも居心地悪そうに緊張している様子が伝わってきます。

白井ほど自分のことを語らなかった人は、いないのではないでしょうか。以上、抜粋。

同じく「柳家小三治 大全 下」©TBS・小学館のブックレットの「落語研究会と白井良幹さん」から、白井さんの信条を小三治師匠が語っている部分を抜粋。

山の中を歩いていて、道端に咲く花にふっと目が止まって、そこから動けなくなった、なんてこれこそその花の魅力じゃないですか。「あそこにきれいな花があるから、みんなで見ましょう」と言って、ぞろぞろ行って見て、「あった、あった」というのは、私の頭の中にないですよ。ガイドブック片手に探しに行って見つけても、喜びでもなんでもない。

という考え方でいくと、白井さんという人は、言ってみれば山奥にひっそりと咲く花、いや、落ちていた馬糞みたいなものだと(笑)。こんなこと聞くと白井さんはどういう顔するかね。思わず苦笑いをして、きっと横向くでしょうね。そういう人です。でも、その馬糞には昆虫もたかる。

で、昆虫が私だったんでしょう。植物の種もそこに埋まって育っていくでしょう。しかも、視聴率視聴率というシステムの中で、ああいう人がいた。TBSの奇跡でしょうね。以上抜粋。

「TBSの奇跡」なんて言われた白井さんは天国で知らんふりしているのだと思う。褒め言葉がほしい、評価してもらいたい、そんなもの要らないんだよなぁ。ただ、自分の思う道、信じる道を突き進む勇気、心意気がありさえすればいい。そう、白井さんの生き方は私たちに教えてくれる。

19年刊行「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)にこうある。以下、抜粋。

ずっと白井さんは、落語研究会で若い人にも「こういう噺をやんなさい」って言ってました。そのあとを継いだのが、今野徹さん。早逝されたんですけど、彼も白井さんの影響をうんと受けましたね。へえこらしない。地味だけど、ニコニコ笑うと愛嬌がある。今は彼の薫陶を受けた人がやっています。

白井さんは「違うよー」なんて、声を荒げたことはない。なにか気に沿わないことがあると、ちょっと首をかしげて軽く首振って、いやあーなんてそれも声にならないくらい。人の耳元へ来て、小声でささやきかけるような、いやらしいおじさんだった(笑)。じわじわじわっと、下から来るような。ラッパ吹く人じゃなかったから、そういう意味で影響力が大きかったですねえ。以上、抜粋。

白井さんは歌舞伎をはじめ、芝居にも造詣が深かったようだ。再び「柳家小三治 大全 下」©TBS・小学館のブックレットの「特別寄稿 師匠、そして私の夫」から。以下、抜粋。

私は歌舞伎が好きで、よく芝居見物に出かけましたが、主人はどこで勉強したのか、歌舞伎についても義太夫についても、まるで字引のように知らないことはなく、何を聞いても的確に答えてくれ、お茶を飲みながらおしゃべりしていれば、あっという間に三時間くらいは経ってしまうのでした。以上、抜粋。

再び「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)から。以下、抜粋。

帝劇でやっていたミュージカルの「ミス・サイゴン」を見に行きましょうって、声かけられて一緒に行ったこともあります。都はるみの復帰コンサートにも行きましたねえ。あんなに心を揺さぶられるとは思わなかった。今考えると、メロディーや言葉じゃなく、魂だったんでしょう。それまでは魂に乗せているように歌ってるけど、そうじゃない。声や節回しを「どうだ!」って見せたい、はるみだったんじゃないんですか。そういうものを全部そっちのけにして、その中の魂だけを歌ってたと思いますよ、日生劇場では。見事でした。

あと、舞台の「濹東綺譚」。そのとき出てた藤間紫っていう人に、舌を巻きました。それまで私は、人の芝居や舞台を見ていなかった。自分をどうしようかってことばかり考えていましたから。白井さんは、前々からいろんなものを見なきゃダメだよって感じていたんでしょう。白井さんが言うなら行ってみよう、っていう癖もつきました。以上、抜粋。

白井良幹さん、あなたはなんて素晴らしい「人間」なんでしょう!

07年発売のDVD-BOX「柳家小三治」©TBS・小学館のブックレットの「前口上 刊行のご挨拶にかえて」にこうある。以下、抜粋。

元々、私は自分の落語の記録を残すのは嫌な人です。噺家なんてどんどん変わっていくものですしね。でも、「まあ、しょうがないか…」と妥協、いや堕落してCDなどを出してきたわけです。

これまでもこの「落語研究会」の映像を使ってビデオやDVDを作ろうという話はいくつか方々からありまして、その度に落語研究会のプロデューサーを長年されていた白井良幹さんに「こういう企画の依頼があるんだけれど」と話をしてきました。すると、「おやめなさい。時期を見て、いっぺんに世の中に出す時がありますから」って返事でした。「この人は、何を考えているのかね?」と、私は思いましたよ。けど、二人三脚でやってきた白井さんが言うんだから、そうだ、流れにまかせて抛っておけばいいんだ…。

それで私もこう答えておりました。「わかった。でも、その時は白井さんがおやんなさい。あなたが担当するなら、高座の映像をどう料理されてもかまわない。でも、あなた以外の方が担当するのでは駄目です」。

そして4年前、この全集の企画が白井さん本人から出てきました。私は「かねて申し上げていた通りです。どうぞお進め下さい」と、申し上げたわけです。結果的に、白井さんはこのDVD全集が出来上がる前に亡くなってしまわれたのですが。

でも、「どうぞお進め下さい」と答えた時、どこかで「柳家小三治も、そろそろ年貢を納めなきゃならない時が来たのかもしれないな」という気が一瞬いたしました。しかし同時にこうも感じました。「DVDを見た方が『小三治をDVDで見たら、昔とはまた違った印象で面白かった!』ってこともあるかもしれない」って。

これってやっぱり“堕落”と言うんでしょうか?

ひとつ“新しい節目”ってことでいきませんか。

十代目 柳家小三治

再び「柳家小三治 大全 下」©TBS・小学館のブックレットの「特別寄稿 師匠、そして私の夫」から。以下、抜粋。

2007年に発売された「落語研究会柳家小三治全集」の企画が具体化したころからでしょう、「この映像は小三治も見るのだから」と言って、家でも書斎にこもりきりで仕事をしておりました。それまでの全集は落語家さんがお亡くなりになってからのものでしたが、小三治師匠の場合は例外的に、ご本人がお元気なのですから、よりいっそう神経をつかって編集にあたっていたのです。「1日にビデオ5本も見ると、さすがに疲れるね」と言ったことがありましたが、ただ見るだけではなく、細かなところまでチェックしながらの仕事でしたから、さぞ疲れたと思います。

それまでの私は、主人のことを、会社からお給料をいただいて、好きな落語を聴いて、申し訳ないような仕事ではないかしら、ひそかに思っておりましたが、寝る間も惜しんでビデオを繰り返して見て、映像と音声とをチェックしているのを知ってからは、見えないところでこれほどの地味な努力をしているのだ、と自分の夫ながら頭が下がりました。以上、抜粋。

いや、本当に頭が下がる。だからこそ、小三治師匠は「あなたにお任せします」と言ったのだ。14年刊行「なぜ『小三治』の落語は面白いのか?」(講談社)で、DVD化について広瀬和生さんの質問に小三治師匠はこう答えている。以下、抜粋。

どの噺を入れるかってことで、白井さんに「あれはどう?」って訊いてみたこともある。でも、白井さんが聴いてみて、これこれこうだから、あれはあんまり…って言われると、うん、そうなのかな、じゃ、やめとこうか、ということになったり、という風な取捨選択はありました。でも、一巻目の「全集」に白井さんの選んだものが全部入ってるとは限らない。出版する時に、もう白井さんは故人になってました。それならば、というので、その中から幾つか落としてもらって、「これ入れて」って私が言って入れてもらったものもあります。だから、白井さんが検閲してないものもある。以上、抜粋。

志半ばで天国へ行ってしまった白井さんは、いまどう思っているのかは、小三治師匠さえもわからない。ただ言えるのは、生涯、これをやった!という思いをもって天に召されたと信じたい。だって、落語研究会の高座に至るまでの、白井さんの努力たるや、それはそれは人間業ではないし、その魂が宿った演者の高座なのだから、収録されたDVD-BOX三巻とも、天国で見ながら、微笑んでいらっしゃるのではないだろうか。

最後に、07年「柳家小三治」©TBS・小学館のブックレットで、「こわいような… 柳家小三治と落語研究会 そして白井良幹」に書かれた京須偕充さんの文章で締めくくりたい。以下、抜粋。

たしか、1998年3月だった。18日の夜、第357回落語研究会でのこと。会場は今と変わらぬ三宅坂の国立劇場・小劇場。(中略)

この夜、小劇場のロビーには大判ポスターほどに拡大された落語研究会第1回のプログラムが飾られていた。ちょうど30年前―1968年3月14日の同じ時刻に、ここでこんなはなしかたちがこんな噺をやっていた…。白井良幹さんは、仰々しさやお祭り騒ぎを忌むこと堅い人柄だったが、その夜ばかりは楽屋中に「時間があれば前へ回って(客席側へ座って)見て下さいね」と嬉しそうに触れ回っていた。

小三治さんは軽く腕組みをして、何も言わずに30年昔の記録の前に立っていた。70年代初めあたりまでのホール落語会は7席構成が標準だが、演者と演目を読みとるのに造作はいらない。でも、しばらく無言だった。やがて小三治さんは小さく「こわいようだなあ。こわいような顔ぶれだ」。「そうでしょう!」白井さんの細くてやや高目の声が弾んでいた。「あの頃はこうだった、わかってはいてもね、改めてこうして見ると」。

うん、小三治さんはうなずき、もう一度低く、「こわいよ、これは」。それ以上の長い会話はなかったが、二人はしばし30年前のそれぞれの自分に還っていたのだろう。その第1回とは―。

千早ふる/柳家さん八(九代目入船亭扇橋) 花見の仇討/三遊亭圓樂(五代目) 小言幸兵衛/三遊亭圓遊(四代目) 三人旅/林家正蔵(八代目・彦六)<口上>猫久/柳家小さん(五代目) 明烏/桂文樂(八代目) 妾馬/三遊亭圓生(六代目)

言うまでもなく、すべて鬼籍に入った名人たちである。

※白井良幹さんにまつわる小三治師匠の魅力はこれで終わります。

数日置いて、小さん師匠、白井さんに続く、ゆかりの人「入船亭扇橋」から小三治師匠を考えていきたいと存じます。