柳家喬太郎 「何とも面映ゆく、誠に面目ない」30年(上)

ザ・ズズナリで「ザ・きょんスズ30」を観ました(2019・11・01~30)

東京かわら版新書から発売されている「柳家喬太郎 バラエティブック」の冒頭で、師匠はこう書いています。以下、抜粋。

師匠に入門を許して頂いてから、三十年という歳月が流れた。あっという間だったような気もするが、前座修業、二ツ目時代、真打昇進、そして今日まで経験させて頂いた沢山の高座、仕事、出会い、別れ、諸々の出来事を思い返すと、やはりそれなりの年月だったと思わざるをえない。(中略)

その三十年の歳月を、東京かわら版が、東京かわら版を通じて、あぶり出してくれたのが本書である。柳家喬太郎の三十年というのが何とも面映ゆく、誠に面目ないが、喬太郎というフィルターを通して、演芸界の三十年を感じ取って頂ければ、心から嬉しく、有り難い。

そして僕自身は、この先四十年、五十年、六十年をただ、歩むのである。柳家喬太郎

「東京かわら版」スタッフが、「柳家喬太郎 バラエティブック」の刊行のために、のべ10時間超にわたるインタビュー取材をして構成した「最新インタビュー 柳家喬太郎ができるまで」を読めば、師匠自ら語る30年の歩みがわかると思います。

その上で、このブログでは、主に「東京かわら版」のバックナンバー記事からの若干の抜粋と、僕の一方的な喬太郎師匠の思い出と、「ザ・きょんスズ30」の公演記録で、個人的に喬太郎師匠の30年を、僭越ながら3回に分けて、振り返ることをお許しいただければと思います。

2000年、2年ぶりに落語協会から待望の真打が誕生した。林家たい平と、柳家喬太郎。20世紀最後の真打と、当時あった協会機関誌「ぞろぞろ」で謳っている。その直前、「東京かわら版」99年8月号の「編集部へようこそ 演芸界若手の星」にこんなインタビューが残っている。以下、抜粋。

今月のお客様は柳家喬太郎さん。来年3月に真打昇進も決まり、ここ最近の活躍ぶりはご周知の通り。8月15日にはなんとあの「東京ホテトル音頭」がCD発売されます。ついに曲の全貌が明らかに!嬉しいカラオケ付き。購入方法はまだ未定ですが小誌でお知らせ致します。喬太郎さんの会でも販売がありますので、是非お求め下さいませ。そんな多忙な胸の内をきいてみました。(中略)

▶趣味 子供の頃は怪談。それから漫画。ギャグ漫画が好きで、赤塚不二夫命でした。中学生の時は探偵小説。横溝正史が好きでしたね。ブームでしたし。あとはお芝居。つかこうへいさんが好きでした。中3だったかな、自分のお金で初めて「いつも心に太陽を」を見まして、それで衝撃を受けて、子供心にわかんないなりにすげえや、って。それからあちこち行きはじめて、高校の時はずいぶん見ました。あの頃つかさん好きになったから三浦洋一の「熱海殺人事件」に間に合ってるっていうのは嬉しいですね。最近また芝居づいてます。先日も「新・幕末太陽伝」見てきました。もちろん落語も平行してずっと好きでしたよ。

円歌師匠が歌奴から襲名した時も覚えているし、談志師匠が出演していた「笑点」も見てた記憶もあります。初めて生で落語を聴いたのは中学2年の時の「学校寄席」です。紙切りの注文に友だちと「金網をよじ登るウニ、ってのにしようぜ」なんて言ってふざけてました。扇橋師匠が「饅頭こわい」をやって、体育館中の1年生から3年生まで全員がもう、顔真っ赤にして腹よじって笑ってたの鮮明に覚えているなあ。以上、抜粋。

2000年3月下席からの真打昇進披露を前にした、たい平さんと喬太郎さんを新世紀の落語界の旗手と謳って、僕は当時担当していた「週刊ハイビジョンニュース」で20分の特集番組を制作しました。池袋演芸場1月下席に二人が出演した高座(たい平「七段目」、喬太郎「夜の慣用句」)を収録。座右の銘に「人間万事塞翁が馬」「飼い犬に手を嚙まれる」の前、部長が「受信料はちゃんと払いましょう、だ」と言い、「こういうことは、きょうしか言えないだろう!」と突っ込むサービスのアドリブ。もちろん、使わせていただきました。

また喫茶店でノートを広げて新作落語のアイデアを練っている様子もロケ。小さな駅のホームになぜか創業200年の老舗の家具屋の本店があり、向こうのホームにはライバルの家具屋があって、線路越しに喧嘩するという。「うちは釘が違うんだ!」「建付けがいいんだ!」みたいな説明をしてくれました。綺麗な楷書体の文字で、几帳面にズラッと自作の新作落語の演目名が記してある手帳まで見せて頂いて、貴重な思い出です。

落語協会の二階で、今は休刊した機関誌「ぞろぞろ」の編集会議、さらにはすごいことに、各席亭が集まる「顔付け」の様子も撮影させていただきました。当時の三遊亭円歌会長にインタビューし、「追っかけが増えているのを上もわかっている。全国的に落語、面白いな!と思ってもらえる人気者になってほしい」というコメントをいただきました。(本当は三平・歌奴のときの方がすごかったんだというプライドがある上での配慮だと後日伺い、恐縮した覚えがあります)

番組最後のインタビューで喬太郎さんは抱負をこう語っていました(昔のVHSを再生しました)

たかだか10年ちょっとですが、喬太郎の世界でお客様に遊んでもらいたい。狭い、マニアックな世界を広げて、古典、新作、創り続け、覚え続け、稽古し続け、練り上げて、作業しながら、喬太郎の落語世界の幅というか、土俵を広げていきたいと思います。

この精神を20年以上、ずっと続けている師匠はすごい。「東京かわら版」04年12月号の「見る目嗅ぐ鼻スペシャル 定本喬太郎伝説 八日間連続レポート」に掲載されたネタを見ると、その努力がよくわかる。(2004・11・07~14@「劇」小劇場)

初日 「喜劇駅前結社」「すみれ荘201号」

二日目「夜の慣用句」「午後の保健室」「純情日記~横浜編」

三日目「中華屋開店」「白日の約束」「棄て犬」

四日目「結石移動症」「怪談のりうつり」「日曜日のカルテ」

五日目「五段目異聞~猪怪談」「一日署長」

六日目「柚子」「いし」「ほんとのこというと」

七日目「母恋いくらげ」「与話情浮名夕鶴」

千穐楽「派出所ビーナス」「ハワイの雪」

僕は過去の手帳をめくって確認したが、三日目しか行くことができていない。だが、1公演だけでも観ることができ、僕の「青春の落語」というアルバムに深く刻まれたことは、今振り返っても幸せだったと思う。

ザ・きょんスズ30@ザ・スズナリ(★は僕が行った回)

11・01 小んぶ「幇間腹」喬太郎「井戸の茶碗」左龍「佃祭」喬之助「出来心」喬太郎「すみれ荘201号」

11・02昼 小んぶ「持参金」喬太郎「稲葉さんの大冒険」円丈「ランボー怒りの脱出」喬太郎「ぺたりこん」

11・02夜 小んぶ「時そば」喬太郎「諜報員メアリー」歌武蔵「蒟蒻問答」喬太郎「おせつ徳三郎」

11・03 小んぶ「浮世床~本」喬太郎「酒の粕」さん助「めがね泥」喬太郎「午後の保健室」小傳次「粋逸天国」喬太郎「粗忽長屋」喬志郎「派手彦」喬太郎「孫、帰る」

11・04 小んぶ「そば清」喬太郎「抜けガヴァドン」文三「親子酒」喬太郎「心眼」

★11・05 小んぶ「初音の鼓」喬太郎「残酷なまんじゅうこわい」小せん「夜鷹の野ざらし」文蔵「猫の災難」喬太郎「赤いへや」

11・07 小んぶ「安兵衛狐」喬太郎「禁酒番屋」市馬「穴泥」喬太郎「ハワイの雪」

★11・08 小んぶ「強情灸」喬太郎「ウルトラ仲蔵」奈々福「牧野弥右衛門の駒攻め」喬太郎「文七元結」

★11・09昼 小んぶ「あくび指南」喬太郎「笑い屋キャリー」紋之助/江戸曲独楽 喬太郎「双蝶々」通し

11・09夜 小んぶ「新聞記事」喬太郎「路地裏の伝説」たい平「らくだ」喬太郎「偽甚五郎」

11・10 やなぎ「初天神」喬太郎「夜の慣用句」松喬「住吉駕籠」喬太郎「死神」

(中)へ続く