祝!真打昇進決定 桂宮治 そのサービス精神と優しい人柄

ニコニコネット超会議2020で「小痴楽・宮治二人会」を観た(2020・04・14)

きのうは「小痴楽・宮治二人会」の柳亭小痴楽師匠について書きましたが、きょうは桂宮治さんについて書きます。来年2月中席から単独での真打昇進が正式に落語芸術協会から発表になりました。おめでとうございます!

「東京かわら版」2014年10月号の「今月のお言葉」で長井好弘さんがこのように書いている。以下、抜粋。

「魅知国(みちのく)仙台寄席」は我らがゲイキョーこと落語芸術協会が、杜の都・仙台で四年前に始めた寄席スタイルの定期公演だ。今回は二ツ目四人の競演(夢吉・小痴楽・松之丞・宮治)だという。(中略)週末に片づけるべき数件の仕事を放り出し、東北新幹線「はやぶさ」に飛び乗った。(中略)

そういえば、僕は、二ツ目昇進直後だった宮治の「宿屋の仇討」の面白さに仰天し、このコラムで褒めに褒めた。あまり早い時点では迷惑だったかなと心配したが、NHK新人演芸大賞など若手の賞を次々に獲得、宮治は二ツ目三年で、売れっ子への階段を駆け上った。

まずは、観客、主催者、世の中に毒を吐いては笑顔でフォローする。その後は最愛の娘たちの日常スケッチ。(中略)「朝、パパは普通に起こしても起きないってわかってる。タンスから着物を引っ張り出して、『お前さん、起きてくんなまし』『どこで覚えた?』『パパがやってたよ』…、もう家で稽古するのはやめよう」。そして本題。一部は「お見立て」、二部は「お菊の皿」。堂々とした高座だった。

格上との共演、充電時間の不足、外野の雑音。早い出世で辛いことも多いはずだが、宮治はそれらすべてを受け入れ、ひたすら走り続けている。しばらくは彼のいい面だけに目を向けよう。宮治が走る先に何があるのか。僕もそれを見てみたいのである。

愛情あふれる長井さんの文章だ。僕の記録から宮治さんの高座を振り返ってみます。

2012年12月10日宮治のきもち@お江戸日本橋亭「弥次郎」「反対俥」「阿武松」が二ツ目になって最初に僕が観た高座だ。13年には横浜にぎわい座のげシャーレで「よこはま宮治展」スタート。「蟇の油」「暴れ牛忌譚(瀧川鯉八作)」「お見立て」。長井さんが絶賛した「宿屋の仇討」もこの年に聴いた。14年はらくごカフェの吉笑さんとの二人会での「妾馬」、国立演芸場での独演会「居残り佐平次」「大工調べ」が印象に残っている。15年は「夢金」「二番煎じ」「鰻の幇間」「大山詣り」、そして12月大成金での「無料プレゼント」が素晴らしかった。セールスマン時代の体験を基にした新作だ。

東京かわら版刊行「成金本」の「生い立ちと家族計画 僕の場合」で、セールスマン時代の苦悩について書いている。以下、抜粋。

北海道から沖縄まで、どこへ行っても好成績を重ね続け、自分が考えられる頂点まで、営業成績が上がった。会社でトップランクの良い収入を得たが、頂点でも、ここまでなのか、という実感もあった。販売員の仕事は、作業自体は自分に向いてなくはない。

しかし、僕の販売は、他人に心から喜んでもらえる商売ではない。化粧品メーカーさんには喜んでもらえるけど、僕が目をみて話した何十人、何百人は、本当に心の底から得したと思っているのか?いや、絶対そうじゃない。悪いけど、騙してる。売り上げを重ねることが楽しくて、全国一位になっていくのは確かにやりがいがあった…。でも、いつしか疑問が湧いてきた。目の前にいる人を幸せにしていないな…、って。以上、抜粋。

今、宮治さんは確実に目の前のお客様を幸せにしている。16年は宮治展の本家の西荻窪へ。7月「宮戸川」通し、11月「野ざらし」。さらに高円寺ノラやでの「五貫裁き」、三鷹市星のホールでの松之丞さんとの二人会で「子別れ」。次々と僕の心を揺さぶる高座に出逢う。17年には、8月ののげシャーレで「文七元結」と「藪入り」の二席をドーンとぶつけられ、立ち上がれなかった。渋谷伝承ホールでの「江島屋騒動」もすごかった。18年は、やはりのげシャーレで「芝浜」。三鷹の松之丞さんとの二人会で「紺屋高尾」。大ネタばかり列挙しているが、そうでない爆笑の小品も沢山聴いた。19年、白鳥作品「戦え!おばさん部隊」や「ナースコール」、実験落語では「桃太郎リターンズ」と幅の広さも見せて頂いた。すごいです!

心の温かい、優しい人だなぁと高座を通じて感じた。どうしても、サービス精神旺盛ゆえに、おふざけが過ぎるとか、悪ノリしているとか、表面的にしか見ない落語ファンもいるようだが、そんなことはないことが、こうやって書くとわかっていただけるのではないか。

一昨年、心優しい宮治さんに個人的に助けられた。ある演芸番組の収録で芸術協会のお囃子さんに出演いただきたかったのだが、ツテがなかったので、ある知り合いを通じて宮治さんに直接電話してお願いした。客席からは応援していたが、面識もない僕の不躾な頼みに気持ちよく応じていただいた。あのときのことは、一生忘れないだろう。ありがとうございました。

来年、桂宮治師匠と呼べる日がくるのが今から楽しみである。死ぬまで応援していきたい。