任気の漢・五代目痴楽のDNA 柳亭小痴楽

ニコニコネット超会議2020で「小痴楽・宮治二人会」を観た(2020・04・14)

ニコニコ生放送のシステムを使うのが初めてだったので、デジタルに疎い僕は難儀しましたが、何とか配信を観ることができました。元々、産経新聞社さんの主催の「小痴楽・宮治二人会」@文京シビックホールのチケットは買っていて、行くつもりでしたので、こういうご時世なので、このような形でもお二人の高座を拝見できて嬉しかったです。※今月30日までタイムシフト有効とのこと。

桂宮治「初天神」/柳亭小痴楽「両泥」

柳亭小痴楽師匠は去年9月に落語芸術協会から単独で真打昇進したホープ。成金11人のメンバーでは、香盤最上位ながら最年少という存在でしたが、その父親ゆずりの漢気で、昔気質なところもあって、成金リーダーとして引っ張ってきました。人気と実力を兼ね備えた噺家さんです。

簡単なプロフィール。88年東京生まれ。父は故・五代目柳亭痴楽。05年桂平治(現十一代目文治)に入門、ち太郎で前座。08年、五代目痴楽門下へ。09年痴楽没後、楽輔門下。二ツ目昇進して、三代目小痴楽。19年9月下席より真打昇進。

僕の最初の記憶は前座ち太郎時代。古今亭志ん輔師匠に可愛がってもらって、今はなくなった神楽坂のシアターイワトで年に数回独演会があり、必ず開口一番でち太郎が上がっていた。繊細な神経の持ち主で、高座の途中で絶句して下りてしまったことがあった(ご本人は思い出したくないだろうけど、ごめんなさい)。また、寝坊で寄席に遅刻したなど、しくじりが多くて、志ん輔師匠が無理やり「そのしくじりの数々をお客様に喋ってきなさい」と命じ、高座にあがったのを聴いた記憶もある。2世と聞いて、サラブレッドと思うかもしれないが、けして順風満帆ではなかった。

でも、確実に父・五代目柳亭痴楽のDNAは受け継いでいて、芸でいうと江戸前口調(実はお父さんは北海道出身なんだけど)、また普段の仲間との付き合いも漢気があると伺っている。一見、チンピラっぽいんだけど、実は繊細で優しくて、温かい。東京かわら版から出版されている「成金本」の「僕の家族の乱暴な愛情」の中で、本人がこう書いている。以下、抜粋。

中学三年の時に親父の本棚にあった柳枝師匠の「花色木綿」を聴いた。途端に「これやりたい!」になった。親父に気持ちを伝えると、「じゃあこれ読め」渡されたのが談志師匠の「現代落語論」。この人の考え方って何か凄い!この人の落語が聴きたいと言ったら、テープを貸してくれた。正直、当時は好きになれなくて思わず「たいした事ねぇや」と言ってしまった。途端に親父が「表出ろ」。玄関前でばんばん殴られて、真冬の夜に水かけられて、鍵閉められて、締め出し食った。以上、抜粋。

五代目痴楽師匠は小遊三師匠の言葉を借りれば「任気がそのまま男になったような人間。まさに“漢”。いつも強くて優しかった」。

僕は五代目柳亭痴楽師匠に生前、大変お世話になっている。四代目痴楽師匠が93年12月1日に亡くなり、「おはよう日本」で「もうひとつの綴方狂室があった」と題した15分の特集番組を制作した。四代目は人気絶頂だった73年に脳卒中で倒れ、以来、浅草の特別養護老人ホームにいた。右半身麻痺になった本名・藤田重雄はションボリしていたが、寮母や理学療法士のサポートでリハビリに励み、ひっそり創作活動を再開。ホームの機関紙に「綴方狂室」の連載をはじめ、誕生会や新年会などでは一席披露していたという心温まるエピソードだ。

その取材、ロケ、制作に大変尽力してくれたのが当時の小痴楽師匠だった。豪放磊落だった四代目の遺族に取材許可をとりつけたのも、ご自身がトリを務めていた末廣亭の高座および楽屋の様子の撮影について席亭に話をつけてくれたのも、すべて小痴楽師匠だった。また、最近亡くなった三笑亭笑三師匠が保存していた四代目の高座の貴重なフィルムを提供いただけたのも、小痴楽師匠のおかげだった。トリの高座が控えているというのに、直前まで末廣亭の二階の色物さんの楽屋で火鉢を前にインタビューに応じてくれたのも、お人柄が現れている。まさに任気の塊、漢だった。改めて感謝申し上げます。

そんなDNAを継ぐ当代・小痴楽師匠は成金をステップに真打になり、将来の芸術協会、いや、落語界を背負って立つ噺家になろうとしている。二ツ目時代に僕が聴いた高座の記録を調べた。

2015年8月28日ミュージックテイトでの成金で「巌流島」を聴いたのを皮切りに、その年は「明烏」「磯の鮑」。※以下は初めて聴いた演目のみ記します。

16年「一目上がり」「湯屋番」17年「花見の仇討」「粗忽長屋」「締め込み」「花色木綿」「風呂敷」「浮世根問」「佐々木政談」18年「浮世床」「あくび指南」「金明竹」「宮戸川」「干物箱」19年「羽団扇」「大工調べ」「らくだ」

真打昇進以降では、去年の披露目で「明烏」を聴き、今年の渋谷らくごで「粗忽長屋」を聴いたが、初聴きのときよりも、より江戸前な味が素晴らしくなっていた。

最後に、「東京かわら版」19年10月号の「今月の特集 真打昇進 柳亭小痴楽」からの抜粋で締めくくりたい。

(痴楽襲名の話も出たそうですが辞退されたそうですね)そうです。「これで真打になれるんだったら本当に誰でもなれるんだね」って思われてしまうような芸しかまだ出来ていないんじゃないかという思いがあります。襲名は多分自分の芸を見つけて本当に評価がもらえた時か、世間が勘違いでも僕の存在をしってくれた時、どっちかですね。でも本当は十年以内の襲名が理想です。現在、芸協もいいじゃんって流れになってきたんで、それを忘れられる前に、痴楽襲名をこちらに注目してもらう花火に使いたいんですよね。

演芸ファンとして、この逞しい言葉にワクワクである。あすは、桂宮治さんについて書きます。