六代目神田伯山襲名 「講談」が新時代のエンターテインメントとして輝きはじめた

松之丞改め六代目神田伯山襲名真打昇進披露興行を新宿末廣亭(2020・02・11)、お江戸日本橋亭(03・23)で観ました。

YouTubeの神田伯山ティービィーで「グレーゾーン」を観ました。2月17日の真打披露目ver.すごかったです。前座初演ver.(2011・01・30)、二ツ目封印ver.(2016・10・06)も併せて公開されていたので、比較しながら観ました。僕自身は15年4月2日のDVD発売記念の会@ミュージックテイト、16年1月11日の朝練講談会@お江戸日本橋亭と生の高座は2回だけ拝聴しています。

映像の冒頭に「この新作講談はフィクションです。実在の人物、番組、団体などが出てきますが、あくまでモチーフにしただけですので、ご了承頂ければ幸いです」とテロップ表示して、4年前に封印したこの作品を披露目7日目でかけたこと、そして、その高座を新型コロナウイルスによる非常事態宣言が出され、我々がかつて経験したことのない社会状況の中で、YouTubeに公開したことは、神田伯山先生の大いなるご英断と敬意を表します。

伯山先生は、松之丞時代から自ら「呼び屋」と名乗り、講談という話芸をメジャーなエンターテインメントにしようと、切磋琢磨し、邁進されてきました。ヨシダとカキモトの「プロレス」「大喜利」「大相撲」を題材にした会話を中心に、メディアの功罪を問う作品を世に出したことは、深い思慮があってのことと推察申し上げます。

アントニオ猪木さんと渥美清さんのことについて語った心に響くマクラ。ヨシダの「俺は大乃国になるんだ!落語家になって舌先三寸でガチンコで勝負するんだ!」というセリフ。最後のカキモトの「マコトさんは大乃国だ!」という言葉に胸が熱くなりました。この末廣亭7日目の高座は寄席の歴史に刻まれる名演だと思いました。20年後、30年後、僕はもうこの世にいないかもしれませんが、伝説として語り継がれ、伯山先生が何十年ぶりかの再演をするときがくるかもしれない。そんな講談だったと僭越ながら思いました。

松之丞さんの前座から二ツ目時代にかけて残した足跡と功績は、多くの評論家、ライター、クリエーター、作家の方たちが書かれているので、僕のような素人が書く必要もないでしょう。

このブログでは、2020年2月11日と3月23日の披露目の雑感を書くことにします。

2月11日。16時。新宿末廣亭の大初日はすごい行列。従来、昼夜入れ替えなしの寄席を入れ替えありにし、入場整理券を配るという、席亭、落語芸術協会、そして伯山先生の配慮によって混乱することもなく、開演。

開口一番の松麻呂さんが高座にあがる前から大入り満員の客席は熱気に包まれる。番頭の今いちさん「雨乞い村」。小すみさん、豊島生まれで神田の育ち、今じゃ噂のあの講釈師~、松の枝から光が満ちて、押しも押されぬあの六代目~と替え歌で祝う。太福さんも披露パーティーのために作った「神田伯山物語」で大爆笑をとる。小助六師匠「擬宝珠」。阿久鯉先生「柳澤昇進録~お歌合わせ」。弟弟子の披露目に嬉しい表情を隠せない。遊雀師匠は「初天神」の金坊を克彦ちゃんにして、また爆笑。バイオリン漫談、マグナム小林先生。米助師匠、昇太師匠もお祝いムード満点の愉しい高座。中入りはさんでの口上は、ゲストの毒蝮三太夫さんが緊張した空気を独特の笑いで和らげる。師匠の松鯉先生「谷風の情け相撲」。「この子」と呼んで息子のように普段から可愛がっているお人柄が現れる。ボンボンブラザーズは鉄板のヒザ。

そして、六代目神田伯山先生、登場で万来の拍手。「中村仲蔵」だ。ホールでいつもやっていたコールドオープニングはやめて、歌舞伎役者の階級制度の説明からスッと入る。売り物のドラマチックな演出を抑え気味にしても、仲蔵の心理描写は巧みな話芸で光る。寄席の「中村仲蔵」を、この日に向けて作ってきたのか。友人によると、前日のよみうりホールの仲蔵とは全く違ったそうだ。僕は2015年11月に初めて聴いて以来、数えてみたら16回目の「中村仲蔵」だった。そして、この日の仲蔵が一番ジーンと胸に響いた。大初日の高揚感を差し引いても余りある素晴らしい高座だと思った。

幕が下りても拍手が鳴りやまず、寄席では異例のカーテンコール。再び伯山先生が高座に出て、マイクに向かって一言「ありがとうございました。明日からも来てください」。僕は仕事のスケジュールが合わないのと早朝に整理券配布に並ぶ体力がないために、残念ながらこれ以降、浅草、池袋と出向くことができなかった。翌日にアップされる伯山ティービィーは毎日見ていて、カーテンコールだけでなく、スタンディングオベーションまであったようだ。

寄席の歴史はじまって以来ではないか。伯山ティービィーは毎日、楽屋の寄席芸人さんたちのチャーミングな様子が映し出され、その効果もあったのだろう、披露興行は連日大入り満員だったそうだ。こんなフェスティバルみたいな寄席を見たことがない。残念ながら国立演芸場の興行(初日、三日目、千穐楽とチケットを取っていたのに)は中止になったが、その後、今年1月の池袋あうるすぽっとでの「畔倉重四郎五夜連続通し公演」の全19話が伯山ティービィーで公開された。コロナの影響を受けた演芸の世界でも、伯山先生に限らず、色々な芸人さんがネット時代の工夫と知恵で頑張っている。戦後まもない頃のラジオの普及がそうであったように、東京と大阪の地域芸能だった講談、浪曲、落語といった演芸が全国区になるチャンスと前向きにとらえることもできないか。今、寄席演芸に大きな変革が起きようとしていることだけは確かだ。

3月23日18時。お江戸日本橋亭。18時開場、18時半開演と書いてあったので、17時半過ぎに「早いかな」と思いながら到着したら、すでに開場していて、半分くらい客席が埋まっていた。二番太鼓が18時前に鳴り、開口一番として鯉花さん登場。「海賊退治」をきっちりと。しばらく病気療養中だったので心配していたが、この日が復帰第一弾の高座だと後から聞き、嬉しかった。さらに同じ前座の松麻呂さん「井伊直人」。落ち着いた高座。で、18時半。番頭の鷹治さん「元犬」。そして、頼れる芸協の大先輩、遊雀師匠。何を思ったか、「尿瓶」を!あとから伯山先生が「ビックリしましたよ」と高座で言っていた。そして、立川流から龍志師匠。「あの高座の後だと、考えていたネタはやりにくい」と言って「長命」。美人の女房を持つとなぜ短命なのか。伊勢屋の娘は「ミミズ千匹」「カズノコ天井」の名器という要素を入れた型を初めて聴きました。納得!

中入りをはさんで口上。司会は遊雀師匠。龍志師匠が「私は師匠・談志が落語協会を脱退した後に真打になったので、披露目も談志と先代文治師匠しか出てくれなかった。こっちが主役なのに談志が「黄金餅」、文治さんが「火焔太鼓」をやったんで、誰が主役?という散々な披露目でしたよ」と。松之丞を前座のころから目にかけていたそうで、愛情あふれる口上。師匠の松鯉先生は寄席3軒よりリラックスした様子。講釈師見てきたような嘘をつき、講釈師扇三つで首つなぎ、と川柳を並べ、「一つだけ固有名詞が出てくる川柳があるんです。伯山は天一坊で蔵を建て、っていう。伯龍の82番目の弟子で、でも一番優秀だったので、初代伯山を名乗らせ、後継ぎにしたんです。三代目伯山も優秀で、二代目から32歳で伯山の名跡を生前贈与されています。大名跡に早すぎるということはないんです。この六代目が、ますますこの名前を大きくしてくれるでしょう」と笑顔で期待を述べた。

松鯉先生、水戸黄門記から「雁風呂由来」。のちに慶応義塾長となる小泉信三が息子信吉が海軍大尉として戦争で亡くなったことを思い、座敷に志ん生師匠を招いて大津絵を唄ってもらい、涙していたという逸話が良かった。ヒザは丸一小助・小時の太神楽曲芸。

そして、松之丞改め神田伯山先生登場。マクラで、このお江戸日本橋亭は六代目伯龍先生の「雨夜の裏田圃」を聴いて講談の素晴らしさを知った思い出の場所と。で、きのう文珍独演会のゲストで出演してボロボロだった「安兵衛婿入り」をリベンジでやりたいと。常連さんが多いから、「駆け付け」はいらないでしょう、あれやっちゃうと、堀部弥兵衛のセリフが息切れしちゃって大変なんですよ、と言って、妻しんと娘はなが戻ってくるところから。でも、すごいサービス精神旺盛な笑い沢山の高座。「どうせ芝居見物にでも行っていたんだろう」と疑うところは今の歌舞伎役者の名前がポンポン飛び出して、毒舌を吐くし。娘はなが高田馬場の果たし合いを見たときの描写は実に詳細に映像が浮かぶように読み、さらに緋鹿の子のシゴキを投げるところは何度も繰り返して、笑いを大いに取っていた。これだ!松之丞の講談の面白いところは!それは伯山先生になっても変わらないでほしいです。

僕はあと何年生きられるかわからないが、30代の伯山先生、40代の伯山先生、50代の伯山先生…と、ますます魅力的になっていく講談を聴きたいと思った。