三K辰文舎、また逢う日まで 新型コロナウイルス感染拡大の一刻も早い収束を祈って

渋谷らくご×noteコラボの生配信で「特別企画 三K辰文舎in渋谷らくご」を観ました(2020・04・10)

7日に緊急事態宣言が出て、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、4月の渋谷らくご全日程(10日~14日)が中止になった。noteさんがこの社会情勢を鑑みて「オンラインイベントおうえん制度」をスタートさせ、その第1弾として初日に予定されていた「三K辰文舎in渋谷らくご」のみ、生配信が実現。演芸ファンにとっては、とても楽しく拝見、拝聴させていただきました。

三K辰文舎。メンバーは橘家文蔵、入船亭扇辰、柳家小せん。バンド名は三人の本名の苗字の頭文字が全員Kであること、高座名からそれぞれ一字を取って組み合わせた(小せんは、結成当時は二ツ目で鈴々舎わか馬)。「東京かわら版」2014年8月号の今月のインタビュー「三K辰文舎」の記事によれば、08年に高円寺ノラやの開店15周年のときにオーナーに「三人でフォークやって」と言われたのがはじまりとか。そのときのインタビューから興味深い部分を抜粋。(当時は文蔵襲名前で、文左衛門)

文左衛門 小学校のときかな、フォークブームがおきて、ヤンソン(雑誌『明星』の付録の歌本)でコードみて覚えて、難しいのはあきらめて、3コードでやっていこう、そんなノリでした。エレック時代の泉谷しげるとか、古井戸とか初期のRCは3コードですむんですよ。

扇辰 歌が好きだったし、歌番組も好きだった。親父もオルガンやピアノ弾いてた。中学に入って親にフォークギター買ってもらって、そこからかな。トーカイギターだったかな、キャッツアイ。

小せん 私は5歳から高校までピアノをやっていましたね。あと大学までブラスバンドでラッパやタイコを。(フォークギターを買ってもらったのは)チェッカーズとか出てきたころ。アルフィーとか安全地帯が好きでした。

このインタビュー記事が出たころは、結構、落語もフォークも好きという需要に乗って、鈴本演芸場や練馬文化センターなど、キャパの大きな会場で、前半は落語、後半は音楽ライブがセットという会が人気になっていて、ついには本物の「産経新聞社」が主催の会まで開かれるように!

でも、恥ずかしながら、音楽に疎い僕が初めて三K辰文舎の演奏を聴いたのは、17年7月「Kと三K」@晴れたら空に豆まいて。喬太郎師匠とのジョイント企画で、落語は喬太郎「綿医者」、小せん~扇辰「お血脈」リレー、文蔵「千早ふる」、喬太郎「オトミ酸」。で休憩をはさんで音楽ライブ。文蔵師匠が井上陽水「氷の世界」の替え歌「稲葉の世界」を歌い、喬太郎師匠が飛び入りで「木綿のハンカチーフ」を歌ったのを覚えている。

再び、「東京かわら版」2014年8月号の今月のインタビュー「三K辰文舎」からの抜粋。

扇辰 この人(文左衛門)はとにかく本番に強いの。すごく助かるんだ。

小せん 強いですねえ。

扇辰 演奏もそうだし、ステージ、高座の表現について、僕らはどうしても、音楽だとマジになっちゃう。でもこの人が、ふざけてくれたり・・・。

小せん うまく雰囲気をね。

扇辰 MCでぶっ壊してくれるから助かる。

文左衛門 そうしないともたないんですよ。

扇辰 それがないと学芸会になっちゃうからね。

小せん 「真面目にやりました。練習の成果を発表シマース」じゃね。

文左衛門 芸人がやっているっていう表現の仕方があるんじゃないかなと思ってやっています。音楽的な難しいことはわからないけど、二人がやっていることに調味料を足すくらいの気持ちでやっていますね。

そこが「三K辰文舎」の魅力だし、人気の秘密ではないか。それは文蔵師匠が文左衛門時代に取り組んだ「僕たちの鹿芝居」にも共通したものを感じる。要は噺家のシャレとしてのスタンスの面白さ。本当は我々も日常で持ちたい精神です。

最後に、 生配信で「特別企画 三K辰文舎in渋谷らくご」プログラム

サンキュータツオ 特別企画の説明

入船亭扇辰「寿限無」

橘家文蔵「ちりとてちん」

柳家小せん「人形買い」通し

サンキュータツオ×門朗改め橘家文太 入門の経緯トーク

三K辰文舎ライブ

やさしさに包まれたなら 荒井由実

不器用な花 さだまさし

里帰り 泉谷しげる

I love you  チューリップ

コーヒールンバ 西田佐知子

桜散る フォークシンガー小象(大堀こういち)

~アンコール~

野良犬 泉谷しげる

加茂の流れに かぐや姫

また逢う日まで 尾崎紀世彦

ということで、コロナウイルス感染拡大が収束し、みんなが笑顔で落語と演奏を聴ける日が一刻も早く来ることを祈りつつ。