「現在」の落語を模索する気鋭の噺家 立川吉笑

表参道ラパン・エ・アロで「立川吉笑ひとり会」(2020・03・07)、連雀亭で「のちのちのち」(03・21)を観た。

立川吉笑は新しい時代の落語を常に模索し続けている。彼の落語への向き合い方は、2015年に出版された著書「現在落語論」(毎日新聞出版)に詳しいから、それを読んでいただければと思う。

「のちのちのち」の会で客に配られた一枚の紙にこう書いてある。「不親切な告知しかしていないのに辿り着いてくださりありがとうございます。落語を何席か勉強させて頂くシンプルな会です」。以下は秘密の会なので、と断って内緒話が書いてある。落語という狭いジャンルを超えて、さまざまなカルチャーと接触し、新たな挑戦をしようとしている姿が読み取れる。(ちなみに、秘密の会と書いてありましたが、僕は「東京かわら版」で会の存在を見つけ、予約しました)

表参道の会は月例で、いわばホームグラウンド。「狸の恩返しすぎ」は昔からの鉄板ネタ、「桜の男の子」は談春師匠の弟子だった春吾さんが作った新作落語で、これも非常によくできていて愛着をもって吉笑さんが頻繁にかけている。ご本人が「これ、どうかな?」と思っている噺を客前でかけて試し、「これはいけると思いました」とコメントしているように、天才だからこそ一般大衆の聞き手を意識していることがわかり、嬉しい。

で、「ヘリウム工場横裁判所」は、シブラクの「しゃべっちゃいなよ」でネタおろしした作品だが、その後あちこちでかけ、手応えを感じているようだ。僕がはじめて聴いたのは「似せ札」。これが、吉笑さんが今回、どういう反応になるか試した作品だが、極めて分かりやすく、一般に通用する噺だと感じた。面白かった。ネタばれになるといけないので、詳しくは書かないが、偽札作りの職人の作ったお札を噂を聞きつけて求めにきた男。しかし、その値段は額面よりも高くて・・・。職人は美術家の了見で偽札を作っているというところが実に良い。

連雀亭は3席。「道灌」「明晰夢」「ヒミツ」。前座噺の「道灌」に、ほど良くオリジナルのギャグをあざとくなく織り込み、落語ファンを飽きさせない。独特のリズムがあるのもいい。「明晰夢」は以前から何度か聴いているが、良く計算された吉笑さんらしい落語だ。八五郎と熊五郎が寄席にいき、そこの噺家が演じるのが八五郎と熊五郎が寄席にいく噺。そして、その寄席ではまた別の噺家が八五郎と熊五郎が寄席に行く噺をしていて・・・。最初に「寄席にでもいくか」とはじまったこと自体がもはやなんだかわからないという。何度聴いても愉しい。

そして「ヒミツ」。これはネタおろしなのかも。演目も(仮)なのかも。前の「明晰夢」にちょっと似ていて、夢の噺。縁起の良いとされる「一、鷹。二、富士。三、茄」のうち、富士と茄の夢は見たが、鷹が見つからない。八五郎を連れて、一緒に探すのだが、時間がないので、一旦起きて、翌日に持ち越し。なかなか見つからないので、それを繰り返しているうちに・・・。という噺だ。

理数系のコンピューターのような頭脳から生まれる吉笑落語。だけれども、文学やアートにも造詣が深く、それが合体した新しいカルチャーとでもいうのだろうか。一見、理屈っぽく思えるが、ちゃんとユーモアに包んで、面白い。独特の吉笑ワールドがある。新作落語は様々なスタイルやテーストがあって、古典落語よりも奥が深いという気になってくる。

立川談笑という合理主義の師匠に恵まれ、2010年10月に入門、2012年4月には二ツ目昇進という才能と努力の人。そのレールに乗って学究肌の新作派として順調に歩んでいる。「落語ディーパー」レギュラーをはじめ、ラジオや活字媒体などメディアでの活躍もめざましい。鯉八、昇々、太福と「ソーゾーシー」というユニットを組んで、常に新しい挑戦を続けている。昨今のコロナ騒動では、率先してデジタルを駆使した配信をおこない、時代の最先端にいる。ますます、この吉笑という天才から目が離せない。

※なお、4月4日に予定されていた表参道の「立川吉笑ひとり会」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止になったそうです(吉笑さんからのメールより)