「真一文字」の10年間 春風亭一之輔

国立演芸場で「真一文字の会」を観た(2020・03・09)

※4月9日に予定されていた「真一文字の会」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止になったそうです(オフィスエムズHPより)

春風亭一之輔。今や、「落語ディーパー」をはじめテレビやラジオでも活躍し、国民的落語家となった。彼の高座を初めて聴いたのは、2009年2月三越落語会の「鈴ヶ森」。そして、4月の百栄師匠との二人会「落語101」での「あくび指南」と「花見の仇討」。この二ツ目さんは面白い!と気になりはじめた。

※このブログを書いた後、過去の日記を読み返してみたら、2008年1月「柳家三三独演会~冬」で「引越しの夢」、3月「朝日いつかは名人会」で「鈴ヶ森」、10月「若手研精会OB会」で「初天神」を聴いていることを発見しました。

彼のホームグラウンドである「真一文字の会」には、その年の5月に初めて行った。日暮里サニーホール。「粗忽長屋」「唖の釣り」「鰻の幇間」、三席ネタ出しで、しかもネタおろし、である。メールで予約し、当日は開場前に列に並び、当日精算方式。日大芸術学部の後輩が受付を手伝っていた記憶だ。列に並びながら、ほかのお客様から「一之輔さんは、早く真打になるべきだよね」という声が聞こえてきた。

会場は2010年に「真一文字三夜」と題して3日連続公演がお江戸日本橋亭で開催された以外は日暮里のままで。そして11年に、それまで3カ月に1回開催していた「いちのすけえん」の内幸町ホールに移動。2、3度は日本橋社会教育会館になったことがあったが、真打昇進後も14年に国立演芸場に移動するまで、内幸町ホールがベースだった。

データとして書いておくと、「真一文字三夜」①「鈴ヶ森」「不動坊」「青菜」②「あくび指南」「提灯屋」「五人廻し」③「初天神」ロングバージョン「らくだ」。僕が聴いたのは、2009年26席、10年41席、11年60席、12年65席、13年65席、14年47席、15年82席、16年64席、17年81席、18年91席、19年104席。

この間、2011年秋に当時の落語協会の柳家小三治会長が21抜きの真打抜擢昇進を発表し、12年3月から真打に。14年からよみうり大手町ホールでの「一之輔一夜」がスタート。毎年、「二夜」「三夜」と増え続け、去年「五夜」。毎回ネタおろしが課されていて、去年は「ねずみ」「付き馬」「帯久」「意地くらべ」「中村仲蔵」の5席をなんとネタおろし!5年間にこの会だけで、15席をネタおろししたわけで、その映像は「春風亭一之輔十五夜」というDVD-BOXが長井好弘さんの解説で小学館から発売された。一之輔師匠の落語の魅力は、皆さんご存じだろうし、長井さんの解説に詳しいので、あえて書く必要もないでしょう。

「真一文字の会」は、15年2月から会場がキャパ300の国立演芸場に。(それまでの内幸町ホールは188)。「寄合酒」「井戸の茶碗」「藪入り」を演っている。今や、もっともチケットの獲れない落語会のひとつだ。今年2月「悋気の独楽」「三方一両損」「紺屋高尾」、今回の3月は「粗忽の釘」「甲府い」「らくだ」。新型コロナウイルスの影響で「しばらく高座にあがっていない」と言って、まるで、落語への熱い思いを吐き出すかのような三席だった。

ハードロック/ヘヴィメタル月刊誌「BURRN!」編集長の広瀬和生さんの筆で、当時としては画期的な著書「この落語家を聴け!」が出版されたのが、2008年8月。そこに「春風亭一之輔」の名前はない。10年10月に、その文庫版が出たときに、「文庫版のためのあとがき」という項目を立て、こう記している。以下、抜粋。

僕個人の「追いかける対象」も微妙に変化した。今、僕にとって最もホットな若手は桃月庵白酒と春風亭一之輔。(中略)「この落語家を聴け!」の企画を立てた2007年の時点で、僕は一之輔に言及するかどうか決めかねていた。(中略)印象がガラッと変わったのは2008年の後半あたりからだ。

とあり、毒のある「クールな爆笑古典派」と称し、そのアレンジ能力の高さと落語の上手さを評価し、「落語界の未来を背負って立つ逸材」としている。文庫本化の2010年から10年。ますます、一之輔師匠の勢いは止まらない。