文楽 80年ぶりの名跡復活、そして勧進帳の大迫力

国立劇場で第210回文楽公演を観た。(第1部2020・02・09、第2部02・16、第3部02・22)

第1部

菅原伝授手習鑑 吉田社頭車曳の段

佐太村茶筅酒の段

喧嘩の段

訴訟の段

桜丸切腹の段

第2部

新版歌祭文 野崎村の段

傾城反魂香 土佐将監閑居の段

第3部

傾城恋飛脚 新口村の段

鳴響安宅新関 勧進帳の段

今回の文楽公演の目玉は2つあった。一つは六代目竹本錣太夫襲名、もう一つは文楽による「勧進帳」が上演されることだ。

先代の五代目錣太夫(1867~1940)は昭和初期の名人と謳われた浄瑠璃語りだそうで(40タイトルのレコードが残っているのは当時としてはいかにすごかったか)、実に80年ぶりの名跡復活である。六代目を襲名した津駒太夫は1969年に竹本津太夫に入門、師匠没後の89年に五代目豊竹呂太夫門下に。国立劇場文楽奨励賞は93年、99年、02年と3回受賞している。70歳。

プログラムに襲名に至ったインタビューが掲載されている。師匠の津太夫の33回忌の去年、そろそろ新しい名前をと考えていたら、人間国宝になった咲太夫師匠に「文楽には大きな名前がたくさん眠っている。もったいない。掘り起こして世に出すことも文楽の世界の人間の務めでは」と言われ、三味線の六代目鶴澤果寛治師匠が預かっていた「錣太夫」の名前が挙がった。七代目寛治師匠も亡くなっているが、奥様が「義父も喜ぶと思います」と快諾をもらったそうだ。

六代目錣太夫になった当時の津駒太夫に、浄瑠璃の「いろは」を教えたのが六代目寛治師匠。彼は團六時代に五代目錣太夫の相三味線をを勤め、レコードをいっぱい出している。また七代目寛治師匠に稽古をつけてもらうたびに「昔、錣さんという太夫がおってな」と思い出話をしていたとか。そして、今回の襲名披露狂言では、寛治師匠の弟子の宗助さん、孫の寛太郎さんが三味線を弾く。芸というのは縁でつながるものだなぁと思った。

「傾城反魂香」は、絵師として身を立てたい又平と女房おとくの一心な願いと祈りが、吃りというハンディキャップを超えて、奇跡を起こす。そして歌舞伎と違って、吃りも完治してしまうというハッピーエンド。披露目というおめでたい公演に相応しい演目であり、また六代目錣太夫の気合いの入った語りが素晴らしかった。とくに朴訥なキャラの又平が吃りながら、必死に師匠の苗字である土佐を授けてもらおうと懇願する件は、まさに熱演。昔から引き継がれた由緒ある名跡は埃をかぶったままにせず、常に現在の芸の世界で躍動させることが肝心だと思った。

さて、第3部の「勧進帳」だ。歌舞伎では何度となく観る人気演目だけれど、文楽で僕が観るのは初めてだった。太夫・人形遣いの順に書くと、弁慶が藤太夫・玉男、富樫が織太夫・玉助、義経が芳穂太夫・文昇。スペシャルその1は、床が七枚七丁であること。つまり太夫7人、三味線7人。スペシャルその2は、弁慶の人形遣いが、出遣いであること。通常、三人遣いのうち、主遣いのみ顔を出すのが、出遣いは左遣いも、足遣いも顔を出す。普段の狂言では主遣いを担当する玉佳が左遣い。それだけ、力量がいる。スペシャルその3は、勧進帳だけではないと思うが、舞台面が能舞台さながらに松羽目だけ。

まず山伏問答の激しい詞の応酬は圧巻。織太夫富樫vs藤太夫弁慶の音だけでなく、玉助富樫vs玉男弁慶の舞台上の人形遣いの表現にも迫力を感じた。そして、延年の舞の重厚さ。床の大合奏と弁慶のキビキビした動きは見応えあった。最後の飛び六方。歌舞伎と違い、花道はないけれど、特に足遣いが一段と高らかに高下駄を踏み鳴らし、床の三味線と相まって、見事な舞台を魅せてくれた。

追加:

第1部の「菅原伝授手習鑑」。人気の段の寺子屋の前の部分を公演してくれたことに感謝。特に桜丸切腹は千歳太夫の語りが圧巻。

第2部の「新版歌祭文」睦太夫~織太夫~咲太夫というリレーが素晴らしかった。