むずかしそうなシェイクスピアはとても美味しかった
日生劇場で「天保十二年のシェイクスピア」(2020・02・18)、シアターコクーンで「泣くロミオと怒るジュリエット」(02・19)を観た。
やっぱり、井上ひさし先生はすごい!74年初演の「天保十二年のシェイクスピア」は、一言でいうと、大衆性の中に文学性をちょっと混ぜこんで、結果として大衆的な音楽劇に仕立てた天才的戯曲だ。なにせ、大衆の娯楽である講談の侠客伝である「天保水滸伝」の笹川繁蔵と飯岡助五郎の抗争をベースにしながら、シェイクスピアの37全作品のエッセンスを大なり小なり挿入して、井上先生の思想である人間讃歌の物語にしてしまうのだもの。
02年いのうえかずき、05年蜷川幸雄が演出を手がけ、その蜷川版を今回は弟子である藤田俊太郎という若き演出家が手掛けることで面白い芝居になっていた。音楽を担当した宮川彬良の力も大きいと思うけど。井上先生が信条とした「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」が精神は、没後10年の現在も生きている。
文教大学の英文学専攻の鈴木健司先生のゼミと、日本文学専攻の磯山甚一先生のゼミの共同研究で、2012年に「井上ひさし追悼プロジェクト・天保十二年のシェイクスピア」が一冊の本にまとめられ、興味深い。大衆文学と純文学の双方を肯定し続けてきた井上先生だからこそ生まれた傑作と、この芝居のプログラムで鈴木先生は書かれていて、だからこそ、劇団新感線の演出など第一線で活躍する、いのうえかずき版も観てみたいなぁ、と思った次第です。
で、翌日に観た「泣くロミオと怒るジュリエット」。ロミオは桐山照史、ジュリエットは柄本時生!と言っても、男優がジュリエットを演じることに何の違和感もなく、おちゃらけた芝居ではないことを予め断言しておく。作・演出の鄭義信さんは、「パーマ屋スミレ」「焼肉ドラゴン」など、日本の戦後、主に関西を舞台にした人間ドラマを得意としているが、この作品でもその路線が貫かれていた。
「天保十二年のシェイクスピア」の冒頭と幕切れで「もしもシェイクスピアがいなかったら」という歌が歌われるのだけれど、その中の歌詞に「ツーナイト、ツーナイト、というヒット曲も生まれなかっただろう」という部分があるのだけれど、鄭さんはまさにその「ウエスト・サイド・ストーリー」を土台に、今回の芝居の脚本を書いたのだそうだ。「ロミオとジュリエット」は垣根の物語で、両家の対立が描かれているが、それを人種問題に置き換えたミュージカルが「ウエスト・サイド・ストーリー」であると考えたと。
プログラムに鄭さんはこう記している。「ロミオとジュリエットには(中略)喪失を抱えた者同士が出合い、必死に求め合った末に、愛し合うことで、微かな希望を見出すという結びつきに担わすことにしました」。井上ひさしの人間讃歌と、鄭義信の描く人間の絆。シェイクスピアを共通項とする舞台で人間の生きる力強さを感じた2日間だった。