談春と和義という二つの勾玉がふれた
シアターコクーンで「立川談春35周年記念 玉響」を観た(2019・08・31)
二つの勾玉がふれあって、かすかな音が聞こえることを「たまゆら」というそうだ。談春がこの言葉を「玉響」という当て字でタイトルにした、6日間連続の記念公演だ。音楽とのコラボレーション。この日は、斉藤和義とのコラボ。忘れられない夜になった。
2010年9月に、毎日放送が開局60周年を記念して看板番組「情熱大陸」の過去の出演者を組み合わせる「らくご×情熱大陸」というイベントを赤坂ACTシアターで3公演おこなった。「立川志の輔・林家正蔵×葉加瀬太郎」「立川談春・柳家花緑・桂米団治×斉藤和義」「爆笑問題×立川談志」。僕はそのときにギターを抱えて着流しで演奏する斉藤和義を聴いて、一気にその音楽の虜になった。その日の談春「紺屋高尾」との見事な高座とのコラボレーションが印象に残り、後日、談春と斉藤は同い年で、以前から交流があったことを知った。
もちろん、談春は二ツ目時代から追いかけていたが、斉藤和義の存在は初めて知り、その後、さいたまスーパーアリーナのコンサートにまで足を運ぶほど好きになった。あの、メロディーラインに乗ったグッとくる歌詞は僕ら世代に刺さる。それを談春と共有できたことは嬉しかった。あれから、9年。その感動はさらに増幅されて僕の心に響き、泣いた。
まず、幕が開くと、ステージ上手の高座に談春。下手には演奏席に座る斉藤。「替り目と男節」。文字通り、談春が「替り目」の夫婦の会話を演じ、その合間に何度か斉藤が「男節」を歌うという交互の演出。酔っ払いの亭主が女房に悪態をつきながらも、実は心から愛していて、感謝していて、自分には過ぎた女だと思っている。そんな男女関係が「男節」の歌詞とリンクして、胸に迫った。最後に斉藤は替え唄にして、こう歌った。
俺の仕事は噺家
扇子抱えて何処までも
師匠なんて呼ばれてさ
お弁当よければ何処へでも
ちやほやされて浮かれてさ
ネタになるなら泣かせても
役者だってやっているぜ
そして、二人の「うだうだトーク」があって、齋藤和義ミニライブ。みんな、好きな歌ばかりだ。
ずっと好きだった/進めなまけもの/野良猫のうた/小さな夜/歌うたいのバラッド
休憩15分あって、談春は「人情八百屋」。確か立川談志が講釈から落語にした噺で、僕は立川流でしか聴いたことがない。2014年に志らく師匠、2013年に談笑師匠。談春版は2011年に遡る。6月の成城ホール「アナザーワールド」と10月の朝日ホールでの独演会。好きな噺だが、滅多に聴けない。
マクラがすごかった。東日本大震災直後に、被災地である岩手で落語を演じたときの地域の人の交流の中から生まれた感動的エピソード。2011年6月の成城ホールのときにも聴いた記憶があるが、そのドキュメントを聴いただけで、涙が溢れてしまった。人間って、やっぱり情の生き物なんだよね。特に生き死にに関わる事柄に出会ったとき。その情に触れたときの喜びや感動は、大切にしなければいけない。情がなくなっている現代だからこそだ。
そのマクラの流れから入った「人情八百屋」。突然両親を失った二人の子どもの面倒を看る近所の人たち、そして八百屋の平助の情愛を描いた噺は心に滲みて、潤んだ涙は乾かない。
「火消しは躾(火付け)はできない」のサゲで高座が終わり、アンサーソングは斉藤和義の「やさしくなりたい」。
やさしくなりたい
自分ばかりじゃ 虚しさばかりじゃ
愛なき時代に生まれたわけじゃない
キミといきたい
キミを笑わせたい
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい
やさしくなりたい
人情が希薄になったといわれる現代だが、僕は情け深い人間でありたいと思う。
談春と和義という二つの勾玉がふれあって、「たまゆら」と呼ぶべき、かすかな音が聞こえた。涙が再び溢れた。