小三治はどうしても、亡き親友・扇橋の思い出を語りかったのだ

よみうりホールで「柳家小三治独演会」を観た。(2019・08・12)

ここ数年の中では最高の小三治師匠の独演会にめぐりあった!今年は1月に鈴本初席で漫談「大惨事に気をつけて」(自分の仮タイトル)、国立演芸場で「小言念仏」。3月に三鷹で「粗忽長屋」。5月に荒川で「死神」。それ以来の高座だった。今年で80歳を迎える師匠は、恒例だった8月上席の主任興行は年々日数が減っていたが、ついに今年は池袋も末廣もなくなった。独演会でも長いマクラと落語一席が多くなっていた。

そんな中、きょうの小三治師匠は朋友だった扇橋師匠の思い出を1時間10分喋り、その後もしっかりと味わい深い「千早ふる」。終演予定時刻を過ぎていたので、これで終わりかと思ったら、中入り休憩15分のアナウンスがあり、再開。もう一度、「きょうはどうしても扇橋のことが話したかった」と振り返り、さらに仲の良い二人を描いた「長短」を演じ、気がついたら、3時間近く経っていた。単に時間量ではない。その内容の濃さ、そして79歳にして、この頭脳明晰。素晴らしかった。

僕が小三治師匠の高座を初めて聴いたのは、30年以上前だ。大学生時代。当時は志ん朝師匠を追いかけていて、出演が多かった落語研究会の年間常連席券を買っていたので、そこで小三治師匠が志ん朝師匠と同等にトリをとる回数が多く、段々とその魅力に惹かれていった。リズムとメロディで明るい芸風の志ん朝。とぼけた味わいと彫りの深い造型が同居する小三治。陽と陰の二大巨頭として夢中になって聴いた。僕がまだ20代。両師匠が50代になるか、ならぬかという頃である。マクラなしでいきなり「芝浜」に入った93年11月の高座は今も僕の脳裏に焼き付いている。小三治、当時54歳。今の僕より1歳若い。

2001年に志ん朝師匠が63歳の若さで亡くなった。現在、落語仲間としてお付き合いしている方たちの中には、ここで「生きているうちに、ナマの高座を聴いておかなくちゃ!」と、寄席やホール落語に通いはじめた人も多い。その筆頭が小三治師匠を追っかけるタイプで、現在も追いかけ続けている。長年続いていた年2回の鈴本余一会の独演会は年々マクラが長くなり、マクラだけまとめた本も出た。バイクの小三治から、歌う小三治、マクラの小三治へ。鈴本の高座にピアノを持ち込んでリサイタルのようなものにしてしまったこともあった。

これも25年も前の話だが、志ん朝師匠を口説いてライブ録音の許可をもらいレコードとして初めて発売することに成功した、亰須偕充さん。その後、ソニーを離れても、朝日名人会の立ち上げに尽力された方だが(その第一回のトリが志ん朝「火焔太鼓」)、取材でじっくりとお話する機会を得たときに、話題になったのは「小三治は20年後、30年後が想像できるが、志ん朝の勢いのある芸が20年後にどうなるかは未知数で楽しみだ」。だが、志ん朝師匠はそれを待たずに亡くなった。面白いことに、小三治師匠は芸風が年齢とともに変化し、現在に至るまで私たち落語ファンを愉しませてくれている。50代、60代、70代と、それは全く意識されていないと思うのだが、違うステージに立って、趣の違う高座を発信し続けている。素晴らしい。

で、本日の高座は「先日、(山口県の)錦帯橋に行ってきた」というマクラからはじまった。入船亭扇橋が宗匠を務めていた「やなぎ句会」で、その錦帯橋に行った思い出。桂三木助門下で芸協から落語協会に移籍したときに、なぜか兄弟分になっていた。扇橋師匠が作った名句「鮭の腹 引き裂かれるような からっ風」。アメリカに文朝師匠と三人で行ったときには、テキサスの射撃場で無邪気にピストルを振り回す扇橋エピソード。子どものような性格は、小三治を撮り続けたドキュメンタリー映画の中の入浴シーンでも有名だ。

極め付けは、「扇橋が無類の女好きだった」ことを喋ったところだ。女房のほかに4人の女性と付き合い、1週間をローテーションしていたと。5人目ができたとき、「お前に譲る」と、小三治に押しつけ、付き合ったが、結局「あなたは、(扇橋と比べて)つまらない」と振られた思い出。そして、さらに新たな女性ができたときに、夜の営みについて誰彼かまわず具体的に話したがり、訊いてあげると、「そのときにさぁ、女が反るんだよ・・・錦帯橋みたいに」。これで、マクラの冒頭とつながった!

1時間以上をマクラに費やしたのは、そのオチが言いたかったからではないと思う。本当は入門から言っても5年ほど先輩だった扇橋師匠と友人として付き合えた喜びを回顧している小三治がいた。寄席で「千早ふる」を演り終えて、楽屋に戻ったら、扇橋から「落語って、悲しいね」と最高の誉め言葉をもらったと。生涯で最高の友は扇橋だったというメッセージを籠めた「長短」。すべては、今は亡き扇橋に捧げる独演会だったのかもしれない。

長年、小三治師匠の高座を観続けてきた落語ファンとしては、忘れられない独演会になった。ありがとうございました。