新宿講談会 田辺いちか「黄泉から」(久生十蘭原作)

新宿講談会夜の部に行きました。
「黄泉から」(久生十蘭原作)田辺いちか/朗読「巷談本牧亭」より「生きる」(安藤鶴夫作)吉橋航也・西本竜樹(東京乾電池)/中入り/「津山の鬼吹雪」(山本周五郎原作)神田春陽
いちかさんの「黄泉から」。終戦直後のお盆、美術仲買人の魚返光太郎は旧知のフランス文学研究者のルダンと偶然、出会う。ルダンは戦争によって亡くなった弟子18人全員のお墓参りをして、その若き命の供養をしているのだという。その18人の中には、光太郎の従兄弟のおけいもいた。彼女は婦人軍属としてニューギニアで亡くなり、その遺骨はまだ帰国していない。
おけいは光太郎のことが大好きだった。だが、光太郎はおけいを子ども扱いして、相手にしなかった。ルダンによれば、彼女は光太郎に早く結婚してもらって楽になりたい、そのためには自分の友人を推薦したいとまで言っていたという。おけいは光太郎がパリへ出立する前の晩、光太郎を訪ねてきて、「おばあさまの形見の琴爪」を貰い請けに来た。「もう二度と頂けない気がする」と言って。雪の降る夜だった。
光太郎はお盆らしいことをして、おけいの追憶をしようと考えた。だが、祖母がやっていた本式の供養はすっかり忘れていて、自己流ですることにした。ショコラ、キャンディ、マロングラッセ、リキュール…、そんなものを小机に並べた。おけいの写真を飾ろうと探したが、見つからなかった。光太郎がおけいの気持ちをしっかりと受け止めてあげていれば、おけいは光太郎と一緒にパリに行ったろう。そして、ニューギニアで戦死することもなかったろう。悔いが残る。
光太郎に訪ね人がやって来る。二十二、三の品の良い女性。伊草千代と名乗る、その女性はおけいとニューギニアで過ごし、偶然、きょう、「魚返」という表札を見て、訪ねたのだという。軍の暗号文書をタイプライターで作成する仕事は雨季のニューギニアでは不向きで何度も何度もやり直しをさせられたこと。衛生兵が琴職人で、琴を嗜むというおけいのためにジャングルの木を使って琴を作ってあげて、それをおけいが演奏したこと。だが、おけいは喀血し、危篤となってしまった。
お別れを言いにベッドに行くと、おけいは夢を見たと言う。「面白かった。パリに行ってきたの。光太郎さんが石畳で煙草を吸って歩いていたの」。亡くなる朝のことだった。そして、部隊長が「何かしてほしいことはあるか」と訊くと、おけいは「雪を見せていただきたい」。光太郎に最後に会った日のことを思い出したのだろうか。軍医が部隊長に耳打ちし、おけいを担架で谷間の川の近くに連れていった。すると、空から雪が降ってきた。奇跡である。おけいは「雪だわ。美しい」と喜び、眠るように静かに目を閉じた。「雪」は蜻蛉(かげろう)の大群だった。
伊草千代はおけいが「推薦したい女性」だったのだろうか。光太郎は斜向かいのルダンの家で開かれているパンケエ(宴会)に行くことにした。女中に提灯を用意させ、まるでおけいを伴っているかのように、暗い足元に注意を促しながら誘導し、ルダンの家に向かった…。光太郎が今さらながらではあるが、おけいに対してできる最大限の愛情表現のように思えた。素敵な文芸講談だった。


