古典と新作は共存してこそ栄える~六月大歌舞伎夜

歌舞伎座で「三谷かぶき 月光露針路日本~風雲児たち」千秋楽を観る。(2019・06・25)

僕は勘三郎に間に合っていない。談志師匠が亡くなったときに、浅草の平成中村座で勘三郎主催の追悼落語会が開かれ、そのときに生の勘三郎丈を拝見したのが最初で最後であった。そのときは、確か、談春、志らく、談笑、生志の4人の落語と勘三郎丈を交えての座談会だった。談春が「白井権八」を演り、ちょうど歌舞伎座で「鈴ヶ森」がかかっていたので、志らくが「兄さん、意識したんでしょ?」と突っ込んでいたのと、終演後、打ち上げ会場にいち早く向かう勘三郎丈が僕の脇を小走りで通り抜け、「意外と小柄なんだな」と思ったのを覚えている。

勘三郎丈は野田秀樹と「鼠小僧」や「研辰の討たれ」、宮藤官九郎とは「大江戸りびんぐでっど」、また串田和美とはコクーン歌舞伎を沢山やり、演劇の他の分野とのコラボレーションに力を入れて、歌舞伎を活性化していたことは耳学問で知っている。三谷幸喜とは「決闘!高田馬場」。今回の歌舞伎座六月夜の部は、三谷幸喜がそれ以来の歌舞伎への挑戦、それも歌舞伎座公演は初ということで話題を呼んだ。古典芸能は新しい活力を注入することで大衆に支持されるということを、とりわけ意識していたのが勘三郎丈ではなかったか。

同じく落語ファンの間でよく言われるのが、「志ん朝に間に合わなかった」。僕は落語に関しては早熟だったので、ありがたいことに間に合うどころか、大いに楽しませていただいた。ソニーレコードの京須偕充氏が口説きまくってレコーディングにこぎつけた三百人劇場の会には、まだ中学生だったので間に合っていないが、そのレコードを父親が購入し、自宅でよく聴いた。そして、大学生になって初めて、国立劇場のTBS落語研究会で生の高座を拝聴して以来、独演会にもよく通った。その後、社会人になってから京須先生と会う機会を得て、「志ん朝師匠の勢いのある芸は何歳まで続くのでしょうか」「その後の枯れた芸も楽しみですね」と話した記憶がある。まさか、63歳で亡くなってしまうとは思ってもみなかった。

志ん朝師匠が亡くなったとき、マスコミはこぞって「落語の灯が消えた」と書いた。しかし、そんな心配いらなかった。亡くなる前年に真打に昇進した喬太郎師匠らを筆頭格に若手の踏ん張りは期待以上で、落語界の屋台骨をベテラン、中堅らとともに支え、今日の落語ブーム(?)がある。だから、最近になって落語が好きになった人たちも、志ん朝のCDやDVD(最近実によく発売されている)を観ることができるし、今現在に活躍している噺家さんを追いかければ十分に落語を愉しめる。その根底には、志ん朝師匠が「落語なんてさぁ、街角で屁をするようなもの。あれっ、何か匂った?くらいがちょうどよいんだよぉ。芸術を鑑賞しようなんて、野暮だよぉ」という精神が流れている。もはや、古典とか新作とかの垣根はない。「昔は良かった」なんて言っている團菊爺は皆無。

話が横道に逸れたが、古典に新作を取り入れて活性化するという手法は今の歌舞伎人気の理由の一つと考えても良いのでは。最近の「ワンピース」の大ヒットはその象徴だ。野田秀樹「満開の桜の下で」しかり。「マハーラーバタ戦記」しかり。今年12月は「風の谷とナウシカ」だという。それは、落語も歌舞伎も同じことで、白鳥師匠の「任侠流れの豚次伝」が今、落語に限らず講談や浪曲などの様々な芸人によって演じられている。半世紀後には古典になっているのかもしれない。

みなもと太郎の漫画「風雲児たち」を原作に、三谷幸喜が歌舞伎の脚本を書き、演出をした。今回の題材となった大黒屋光太夫のロシア漂流は実話で、それが漫画となり、歌舞伎となる。それは近松門左衛門が実話を取材して文楽の狂言にし、さらに歌舞伎となったのと似ている。率直な感想を言えば、前半でコミカルを入れすぎて、かえってダレてしまったのが残念。後半になってようやく芝居に緊張感が出てきて、感動のフィナーレとなったが、ストーリー自体はドラマチックであるだけに、少し勿体ない気がした。今後の再演に期待したい。