【アナザーストーリーズ】サザエさん~80年愛される家族の秘密~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ サザエさん~80年愛される家族の秘密~」を観ました。
僕は小学生のとき、朝日新聞に連載されていた「サザエさん」の四コマ漫画を切り抜いて、スクラップ帳に貼っていた。姉妹社から出版されていた単行本はお小遣いで全68巻買い揃え、妹と弟と三人でボロボロになるまで何回も読み漁り、サザエさんクイズで四コマ目の落ちを当てる遊びまでした。その単行本は今も僕の書斎に仕舞われている。
長谷川町子は1920年佐賀生まれ、絵を描くのが大好きな女の子だった。13歳のときに父・勇吉が病死すると、伯父を頼って家族は上京する。母・貞子、姉・鞠子、妹・洋子という女所帯だった。14歳の町子は自分が書いたスケッチブックを持って、田河水泡の門を叩く。田河はその観察力、表現力を高く評価し、町子は15歳で女性初の職業漫画家とデビューした。
「サザエさん」は1946年、福岡の地方新聞「夕刊フクニチ」で連載がスタートした。「戦後の暗い日本を明るくしたい」という思いをこめて、ちょっとおっちょこちょいな女性サザエを主人公にしたユーモアある四コマ漫画。だが、それは単なる家庭漫画、生活漫画ではなかった。46年10月に日本国憲法が公布され、男女同権が叫ばれる。「将来の夢はお嫁さん」と話すワカメをサザエがそんなことではいけないと窘めたり、カツオが学校で習った料理を振舞うのを波平が「男の子が…」と批判すると、つかさずカツオが「そんな古い思想じゃいけないと先生が言っていた」とやりこめたり。上下関係のない仲の良い一家が描かれた。
毎日連載する四コマ漫画に忙殺される町子を姉と妹が支えた。姉妹社を立ち上げ、町子の著作を出版した。それは母・貞子の「姉妹仲良く」という教えが基礎になっている。「サザエさん」は連載開始の2年後に、全国紙の朝日新聞に引越し、サザエは日本一有名な主婦となった。町子の身上は「風刺」にある。教科書に神話が復活するという報道がされると、軍国主義思想への危惧を描いた。「世の中がすでに風刺ですの。これより強烈な風刺漫画は描けません」。自宅に脅迫状が届くこともあったという。それでも、1974年に54歳で連載を休止するまで町子の筆は衰えなかった。
アニメ版「サザエさん」が放送を開始したのは、1969年。今では最も長寿のアニメ番組としてギネス記録にも掲載されている。当初はアニメーター泣かせであったという。派手なアクションや劇的なストーリー展開があるわけではない。シンプルな動きと表情で見せなければいけない。しかし、それがかえって「じっくり物語を見せるアニメ」として人気が出て、視聴率が上昇した。
町子特有の世相を反映させた原作、例えば公害問題などは子供向けアニメとしては取り上げにくく、数年で原作を使い切ってしまうという心配があった。アニメ制作側は「四コマ漫画を使わないでアニメを作ってもいいか」と町子に打診すると、回答は「同じ四コマを繰り返し使ってください」。普段は注文のない町子だったが、そこは譲らなかった。そして、こう助言したという。「古典落語のように何回演じても観るに堪えうる名人芸を」。確かに、落語は噺家の解釈で何通りものストーリーが存在する。そのように同じ四コマを脚本家の解釈で工夫してほしいというわけだ。
有名な話がある。駆け出しの脚本家だった三谷幸喜が「サザエさん」を担当し、「タラちゃんの成長期」というストーリーを書いた。タラちゃんが筋肉増強剤を飲んで、オリンピックに出場するというユニークなモノだったが、「サザエさん」の世界観に合わないと没になってしまった。長年、波平の声を担当した永井一郎は「サザエさんの放送が続いている限り、日本は平和だ」と言っていたという。
町子が漫画家としてデビューし、駆け出しだった戦時中に、軍需工場のルポを書いている。私は作業場の隅に、コップに挿した一輪の桔梗を見つけました。この小さな心遣いは、鋼鐵とモーターの唸りの中の一滴の香水です。この香水は騒々しい機械のあふりを喰って、ふるへてをります。
同じく戦時中に、戦意高揚のための漫画を連載してほしいと依頼があり、「翼賛一家大和さん」を描いている。そこには、非常時にも、どこか笑いを見つける眼差しがあり、それは「サザエさん」と共通するものがある。政治に対するささやかな抵抗で、日常生活をほのぼのと描き、困難を乗り越えようという執念が見える。世相に迎合せず、それでいて明るさとユーモアを失わない姿勢が長谷川町子という国民的漫画家の芯に流れていることに気概を感じた。

