忠臣蔵には男の美学がある~浪曲映画初日

渋谷ユーロライブで「浪曲映画 情念の美学」初日を観た。(2019・6・22)

忠臣蔵について知識が増えたのは5年ほど前からだ。それより少し前に歌舞伎を観るようになり、仮名手本忠臣蔵の通し狂言が歌舞伎座であったので、それが入り口になった。それまで浅野内匠頭と大石内蔵助と吉良上野之介くらいしか知らず、古典落語「七段目」「四段目」や喬太郎師匠「カマ手本忠臣蔵」のパロディとしての本当の面白さはわかっていなかったのかも、と。だが、その後に講談と浪曲と出会い、いわゆる赤穂義士銘々伝を聴くことで、様々な登場人物の魅力に触れるようになったことは大きな財産になった。

小学生の頃から聴いていた落語に比べると、まだまだキャリアが浅く、どんどん知識を吸収していかなければいけない僕だから、忠臣蔵の魅力を語る資格などないのだけれど、愛山先生いわく「義士伝のテーマは別れ」。松鯉先生いわく「男の美学」。それは駆け出しの僕にも何となくわかる。

この日に上演された映画「赤穂義士」(1954・荒川良平監督)は、殿中松の廊下、不破数右衛門、岡野金右衛門と絵図面、赤垣源蔵徳利の別れ、この4つの要素がオムニバスで構成されていながら、一本のストーリーにもなっていて、とても面白い作品だった。ビックリしたのは、それぞれの話に当時のトップの浪曲師4人の口演が演出として随所に使われているということだ。役者の台詞と浪曲のみの音声。音楽やナレーションは浪曲が担う。実に新鮮だった。

玉川奈々福「俵星玄蕃」。槍の名人と義士の交流を描いた浪曲だが、初めて聴いた。架空の人物だそうだ。市馬師匠の歌、それと、これは後で調べてわかったのだが、喬太郎師匠が2009年12月に三鷹星のホールで創作落語「俵星玄蕃」を口演したのを聴いている。そのときは、元の浪曲があったことすら知らなかったわけで、お恥ずかしい限りだ。

奈々福さんは、啖呵もいいが、節がものすごく気持ちよい。さすが、最近、歌謡曲歌手としてCDデビューしただけある声の良さと伸び。ちなみに刀剣歌謡浪曲「舞いよ舞え」「恋々芝居」のカップリング。本日の「俵星玄蕃」もとても良かった。

国本武春師匠亡きあと、浪曲界を引っ張っていくのは、彼女と弟弟子の玉川太福だろう。タイプの違うこの二人に大いに期待が膨らむ。