つる子の赤坂の夜は更けて 林家つる子「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「しじみ売り」、そして音楽劇「ポルノスター」

「つる子の赤坂の夜は更けて~林家つる子独演会」に行きました。「のめる」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「しじみ売り」の三席。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はどくさいスイッチ企画(銀杏亭魚折)さんの創作落語。つる子師匠がよく演じる「スライダー課長」と同じ作者だ。面白い。
別れ話をするのに、彼氏が選んだ場所がメイド喫茶という…。それも路地から奥まったところにあるビルの6階という怪しげな立地で、どうやら彼はこの店の常連のようで、ウエイトレスからは「お兄ちゃん」と呼ばれ、メニューも見ずに「日替わりオードブルとマジカルふわとろオムライス」を注文する。それを見た彼女は寒気を覚え、震えている。
元々この店は紅茶とスコーンが売り物の純英国系のメイド喫茶だったが、顧客の需要に応えているうちに、こうしたメニューになったという。ちなみに日替わりオードブルは「筑前煮」だった!見習い魔法使いだというウエイトレスと一緒にオムライスが美味しくなるように、お呪いをかける。ストロベリー・フィールズ・フォーエバー!
彼女は堪りかねて、「私が好きなら二度とこの店には来ないと約束してくれ」と言うが、彼氏は「それはできない」。彼女が怒りを露わにしているのとは対照的に、彼氏は「これまでに見たことのないような幸せそうな顔」をして、「ここが一番落ち着くから、別れ話の場に選んだ」と言う。
益々困惑する彼女。だが、彼氏の次の一言で今までの疑問やモヤモヤが一掃される。「ここが僕の実家なんだよ」。最初は現実世界と区別がつかなくなっているのか?と思ったが、彼氏の運転免許証の住所がこのメイド喫茶と合致することで合点がいった。ウエイトレスは母親で、だから長男のことを「お兄ちゃん」と呼ぶし、入店したときに「お帰りなさい」と言われたのも当たり前といえば当たり前、生まれたときからメイド喫茶を経営している家庭に育ったから、この店の沿革にも詳しい。
これらを全て把握した上で、彼女はこの彼氏に理解を示し、付き合うことを継続するという判断をするのか…。実に緻密に計算して理屈を組み合わせ、笑いに変換する作者の技量、それをしっかりとした噺運びで聴き手に届ける演者の手腕。あっぱれな高座だった。
「しじみ売り」はつる子師匠の真打昇進披露興行の新宿末廣亭初日で掛けたのを聴いて以来だった。鼠小僧次郎吉版ではない型で、大変興味深く聴いたが、きょうはその記憶が蘇った。
口入れ稼業の親方である稲葉屋清五郎は、十歳になる長吉という蜆売りを子分が下駄泥棒と早とちりした詫びに、蜆をそっくり、二朱で買い上げてあげる。空腹の長吉に出した巻寿司とお稲荷さんを、病で寝ている母親に食わせたいから土産に包んでくれないかと長吉は頼む。哀れに思った清五郎は蜆代とは別に小判三枚を長吉に差し出す。
だが、長吉はこれを拒む。「小判が憎い。小判に恨みがある」というのだ。姉が深川芸者をしていて、田原町の下駄問屋の若旦那と深い仲になった。若旦那は放蕩が過ぎて勘当になり、姉と二人で小間物屋を始めたがうまくいかず、借金ができた。姉は吉原の女郎になって返済しようとするが、それを知った若旦那はそんなことはさせられない、死んでお詫びをするという。姉はそれなら私も一緒に死にますと言って、二人で吾妻橋に行って身投げしようとした。そこをある旦那が止めて、20両を恵んでくれ、「命を粗末にするな」と言って去っていった。ところが、近所の質屋に泥棒が入り、若旦那が持っていた20両が疑われ、番所に呼び出された。でも、若旦那は恵んでくれた旦那に迷惑をかけてはいけないと、人相など一切口にしないので、番所に居続けになっているという。それを気に病んだ母親が寝込んでしまい、長吉がこうして蜆売りをして暮らしを支えているのだった。
実はその20両を恵んだのは稲葉屋清五郎だった。長吉の話を聞いて、「名前ぐらい名乗れば良かった」と悔やむ。そして長吉に言う。冬っていうのは寒くて辛いな。嫌になっちまうな。でも、そう長くは続かない。必ず春がやって来る。お前のところにも、そろそろ春の便りが来るぞ。「良いことをしてやった、人の命を助けてやった」と思っていた天狗の鼻がへし折られた清五郎は番所に行く…。長吉の姉と若旦那にやがて春が来ることを願う、寒い冬の人情噺だった。
音楽劇「ポルノスター」を観ました。
コンプライアンスが喧しい現代において、エンターテインメントはこうでなくちゃ!と思わせてくれる愉しいご機嫌な芝居だった。作・演出の青木豪氏はパンフレットに「不毛をお楽しみください」と題して、出演の古田新太氏に「豪ちゃん、面白がっちゃいけない話を面白い音楽劇にしない?」と言われ、古田氏が主演した「ロッキー・ホラー・ショー」と同時に思い浮かんだのが、赤塚不二夫先生の名作「ワルワルワールド」だったとして、こう書いている。
「ワルワルワールド」はシンプルなギャグ漫画です。善悪の価値観が逆転した町で、主人公となる家族がただただ「悪いこと」をするだけです。読み進むうち「悪いこと」も「良いこと」も、なんだか価値基準というもの自体がどうでも良くなっていくという不毛の極みな漫画です。しかし、人間が他人と暮らしていくために仕方なく拵えたルールを「良いこと」や「正しいこと」と呼ぶならば、本当は「悪いこと」こそ人間らしいのではないか?などという不思議な感覚になる名作です。子供の頃に読んだ時は、怖くて読むのを躊躇うくらいでしたが、大人になって読むと不思議な爽快感があります。今回なんだか、そんな境地に至れたらと思って台本を書き進めました。(中略)
頭のおかしな人たちが次々と出てきては不毛な悪いことをやりまくり、お客様が見終えてどうでもいいや、って気持ちになっていただけたら最高だな、と思いながら日夜稽古に励んでおります。以上、抜粋。
また、古田新太氏もインタビューでこう言っている。
笑いというのは、「あいつはバカだな」と思うことで生まれる。実は差別なんです。もちろんハラスメントは良くないという前提はあるけど、オイラたちはわざとバカなことをやって、笑われにかかっている。オイラはそれが好きだし、今回の稽古場では一人残らずちゃんとバカに見えるから、お客さんはそれを観て笑って、「あ~私たちは普通だ」と思って、安心して帰ってくれればいいんじゃないかな。(中略)
何しろこれはファンタジー。キャラクターにリアリティはいらないし、お芝居における信憑性とか真実味みたいなものもなくていい。表層だけでいいんです。表層に浮かんでいるものだけで、十分みんな狂っているんだから、それをヘラヘラ笑って観るのが正解なんです。これを観て何かを考えてもらいたいなんて、これっぽっちも思ってません!(笑)以上、抜粋。
マスメディアには出来ない表現や笑いこそが、生で観るエンターテインメントの魅力なのだと改めて思った。コンプライアンスに怯むことなど、何もない。「ただただバカを貫く」ことの尊さを思った。

