柳枝のごぜんさま 春風亭柳枝「猫の災難」、そして立川寸志トリ噺五十席「錦の袈裟」

「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝勉強会」に行きました。「猫の災難」と「寝床」の二席。
「猫の災難」。熊五郎の酒に対する卑しさがポイントの噺だ。頭と尻尾しかない鯛を友人が早とちりして「すごいじゃないか」と言って、良い酒を買ってくれた。鯛は隣の家の猫がかっさらっていったという狂言を拵えて、何とか誤魔化し、さらに友人は「じゃあ、俺が鯛を買ってくる」と言って出ていったのだから、これで全ては丸く収まり、熊五郎はラッキーなのだからおとなしくしていればいいものを…。
友人が鯛を買いに行っている間、熊五郎はなぜ我慢できないか。一升瓶の酒を前にして、友人が帰ってくるのを待てない。「あいつも店で一口やっていた」というのを口実に、湯呑で一杯。まあ、ここまでは許せる。次の「まあ、もう一杯くらいはいいかな」がいけない。「湯呑に半分」と思って注ぐが、丸々注いでしまい、二杯目を飲む。これがいけない。後を引くのだ。
そして、自分勝手な理屈を作る。「あいつは一合上戸なんだ」と言って、一合徳利に酒を注いで、友人用の酒を確保するというのだ。なんて身勝手な。その上、その徳利の口に一升瓶から酒を直接注ぐのだが、これが上手にいくはずがない。案の定、こぼしちゃって、「勿体ない!」と畳にこぼれた酒を吸う。さらに徳利の口いっぱいに注がれた酒を見て、「こんなにいらない」と吸い上げて飲むうちに、結局一合徳利丸々飲んでしまう。ひどい話だ。
挙句の果てに、この酒も猫が蹴飛ばしてこぼれたことにする。そして、図々しくも「そうと決まったら、こればかりの残りの酒もあっても仕方ない」と飲んでしまうという…。熊五郎の意地汚さを炙りだした見事な高座だった。
「寝床」。繁蔵が皆のことを思って、様々な口実を作って、旦那の酷い義太夫を聞かないで済むようにしてあげた結果、旦那が言う。「繫蔵、お前はどうなんだ?」。この一言に繫蔵を哀れに思う。「18歳のときに髄膜炎を…今は因果と丈夫です」。
繫蔵は思う。そうだよな。いつも他人のことを思い、自分のことは後回しにしてきた。母一人子一人。もしものことがあったら…。そして、覚悟を決める。わかりました!いいですよ!私一人が犠牲になれば!どこからでもかかってきてください!母さん、ごめん。先に父さんのところに逝くよ…。
皆のことを思って行動したのに、自分だけが割を食う形で損害を被る。情けは人の為ならず、ではなかったということは人生の上でよくあることだ。なぜ自分だけが辛い思いをしなければならないのか…。組織の中核にいる人間ほど、その地雷を踏みやすい。この噺だと旦那はさながらワンマン経営者というところか。世の経営者は自分の「寝床」を押し付けるという、今で言うパワハラになっていないか、そっと胸に手を当てて考えてほしい。
「立川寸志トリ噺五十席」に行きました。「粗忽長屋」と「錦の袈裟」の二席。これが「トリ噺かあ?」という疑問を残しつつ、1時間ちょっとで終了した。
「錦の袈裟」は与太郎が肝。隣町の緋縮緬の長襦袢の揃いに対抗して、錦の褌の揃いで吉原に繰り出して女の子をキャーキャー言わせようという趣向を考え出すが大概は質屋の番頭から聞いた質流れの錦が十枚あるという情報から「それを借りよう」という発想で、だけれども一人分足りなくて与太郎を仲間外れにしてしまい、「悔しかったら、錦を都合しろ。仲間に入れてやる」という設定で演じられる。錦と言えばかなり高価なものだから、その流れが順当だし、与太郎はそれでも仲間に入りたいから、おかみさんに正直に趣向を説明すると、おかみさんは鼻っ柱が強いから、「何とかしてしまう」ところにこの落語の愉しさがある。
だが、寸志さんの演じた型は「錦の褌は各自が用意する」というものだった。錦のような高価なものをそう簡単に用意できるのだろうかという疑問が残る。でも、その分、与太郎を仲間外れにしていない。そこへの配慮だろうか。与太郎は趣向を聞き、「愛するおかみさんに相談する」と言う。果たして、おかみさんはその趣向を聞き、「面白いわね!」と乗り気なのが面白い。そして、知恵を働かせて金泉寺の和尚さんに錦の袈裟を借りて来なさいと言う。「親類の娘に狐がついたので、和尚さまの有難い経文の滲みついた袈裟をお借りして、狐を落としたい」。与太郎の女房になるくらいの女性だ、このくらいの知恵が浮かぶのだろうと思う。
可笑しいと思ったのは、与太郎が借りて来た新品のキンキラと輝く袈裟を受け取ると、おかみさんが手早く与太郎の褌を締めてやるところ。「私が締めたんだ。お前さん独りではもう一度締められないだろう…フフフ」と笑うのだ。吉原に行って花魁と同衾しても、事に及ぶことができないだろう…という含みがブラックでいい。果たして、仲間の中で一番立派な褌をしていた与太郎はお殿様扱いされ一番上等の花魁を宛てがわれて、良い思いをするのだから、わからないものである。そこまで寸志さんは計算していたのだろう。

