【アナザーストーリーズ】「およげ!たいやきくん」伝説

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 『およげ!たいやきくん』伝説」を観ました。

1975年12月25日にリリースされた「およげ!たいやきくん」は、1976年に443万枚を売り上げ、2位「北の宿から」88万、3位「木綿のハンカチーフ」86万を大きく離すヒットとなった。歴代のシングルレコードの総売り上げ記録では、2位「女のみち」3位「世界に一つだけの花」に100万枚以上の差をつけてダントツトップである。当時小学5年生だった僕も祖母にレコードを買ってもらって、繰り返し聞いていたのをよく覚えている。

高度経済成長が曲がり角となり、オイルショックもあった1973年。フジテレビで幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」がはじまった。プロデューサーの野田宏一郎は従来の幼児向け番組にはない番組作りを目指した。流す音楽も童謡ではなく、オリジナル曲。吉田拓郎に依頼した「たべちゃうぞ」は、その歌詞が刺激的だと視聴者からクレームが殺到し、放送中止になった。それでも、若いスタッフに「好きなことをやれ。面白いものを作れ」と発破をかけたという。

作詞家の高田ひろおは異様な世界観を創造した。鉄板に上で焼かれていることに嫌気がさし、海に逃げ込んだものの、針を飲み込み、どんなにもがいても取れない。そして、最後には人間に食べられてしまう。世間の現実の厳しさを表現した。スタッフの一木正穂は「たい焼きに人間性を持たせた。これは絵になる」と思ったという。

作曲を担当した佐瀬寿一はこの歌詞を見せられて、悲しげなメロディーしか思い浮かばなかったという。暗い歌ゆえ、メジャーコードの発想は浮かばず、でもマイナーだと聴き手は離れてしまうと悩んだ。そこで、悲しみの中に潜む可笑しさを表現しようと考えた。冒頭にドラムロールを入れたのは、「紙芝居の柝」のつもりだったと振り返る。映像制作も工夫した。当時はCGなどない時代。手作りの工作を撮影して合成した。

放送開始は1975年10月21日。はたして視聴者に受けるのか。心配もなんのその、熱烈なリクエストハガキが殺到した。そして、レコード会社を説得して、発売すると、爆発的に売れた。年末年始だけで150万枚が売れた。

ヒットの要因は子どものために作られた曲が中高年層に広がったことだ。楽しいような、悲しいような、世知辛い歌詞と物悲しいメロディーが受けた。これはサラリーマンのテーマソングだと言われるようになる。「時々サメに苛められるけど、そんなときゃ、そうさ、逃げるのさ」。部長や課長の顔を浮かべて歌う。自由に海に泳ぎに出るたい焼きはサラリーマン組織からの解放願望だと解釈された。

作詞家の高田ひろおは「お釈迦様の一生を書こう」と思ったのだという。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。無常観を書きたかったのだ。形あるものはいつか消えてなくなる。食べられちゃうのが可哀想というかもしれないが、それが現実なんだ、と。

「およげ!たいやきくん」のテレビ放送を開始したのは1975年10月。そのときの歌手は生田敬一郎だった。だが、生田は別のレコード会社と専属契約を結んでおり、レコード化にあたっては歌手の変更が必要となった。音楽ディレクターの小島豊美はフジテレビの子会社のフジテレビ音楽出版に相談した。すると「ウチの藤川を使ってよ」という返事。藤川正治、のちの子門真人は音楽出版の経理を担当していたサラリーマンだったが、アルバイトで「仮面ライダー」や「科学忍者隊ガッチャマン」などアニメやヒーローモノの歌手をしていた。パワフルな歌声が売り物だった。

レコーディングスタジオでスタッフは「前(生田)と違う」と違和感を持ったが、フジテレビの編成会議では異論は出なかったという。それは「会社の中に期待値が全くなかったから」。皮肉である。それが「デビュー戦サヨナラ満塁逆転ホームラン」になった。

レコードは22億円の売り上げを出したが、子門の受け取ったギャラは5万円だったという。カップリング曲「いっぽんでもにんじん」を歌ったなぎら健壱によれば、この曲は童謡扱いなので印税は1枚1円、5000枚プレスしても5千円にしかならないと言われ、印税契約ではなく、買い取り契約にしたのだという。もし、印税契約にしていたら…興味深い逸話だ。

「およげ!たいやきくん」のヒットで、子門真人はお茶の間で人気を博し、子どもたちのスターになった。だが、30年前に芸能界を引退した。今回の番組でも出演を依頼したが、断られたという。

実は子門は1966年に一度、藤浩一という名前でレコードデビューしている。だが、鳴かず飛ばずだった。後年、子門は「あの頃の歌には一番肝心のハートがなかった」と振り返っている。

子門と一緒にラジオ番組のパーソナリティを2年勤めた大橋照子も、子門がよく遊びにくる乗馬クラブのオーナーの田中光法も口を揃えて、「他人とは一線を画す人。でも、子どもみたいな純粋さ、誠実さを持った人」と言っている。敬虔なクリスチャンでもあった。

子門は雑誌のインタビューで「道を間違えずに歩いていきたい。ただ、そのことだけです。ただ、そのことだけ」と答えている。番組では1992年のクリスマスに養護施設で「およげ!たいやきくん」を歌っている映像が流れた。それから間もなくして、子門は芸能界を去った。「一人の人間として生きていきたい。芸能人は嫌だ」と思っていたのではないかと45年の付き合いである田中は思ったそうだ。

「およげ!たいやきくん」誕生秘話から、子門真人の素敵な人間性を垣間見たような気がした。