SWA名作選 春風亭昇太「おくりもの」、そして一花繚乱 春風亭一花「雛鍔」

SWA名作選に行きました。テーマは「春の夢」。
「おくりもの」春風亭昇太/「桜の夜」三遊亭白鳥/中入り/「さとみ」林家彦いち/「やとわれ幽霊」柳家喬太郎
昇太師匠の「おくりもの」にジーンとなった。ユウちゃんは小学校時代に同級生のオカムラ君が早逝してしまった。いつも大人びていたオカムラ君は今でもユウちゃんの夢の中に出てきて、調子に乗り過ぎると時々叱ってくれる。人間は幸と不幸を上手にすり抜けながら生きている。長生きできるかどうかわからないから、大人になったら好きなことを沢山しよう。それは自分勝手に生きることとは違うんだ。
ユウちゃんは「落語家になろう」と思った。でも、ただ笑わせればいいというんじゃない。時折、人情に訴えることも大切だ。幇間のようにヨイショしていればいいというものでもない。相手を見て、どうしたら楽しませることができるかを考えることが大事。そういうことを天国のオカムラ君が時々教えてくれて、ユウちゃんは素敵な落語家になったのかもしれない。泣きそうになった。
喬太郎師匠の「やとわれ幽霊」もノスタルジーな世界の中に、人間として生きていく大切なものを教えてくれる。母校の中学校の校舎が取り壊されると聞いて、夜中に忍びこもうと考えた三人組。教育実習で来ていた音楽のマナミ先生、保健室で優しくしてくれたイガラシ先生、男らしくて憧れた体育のセキ先生…。三人が思い出を語りながら、音楽室や保健室を探検すると…。彼らの抱いていたイメージとは違う先生たちの姿が現れて失望するという展開も面白い。
そして、創立100年の中学校のすべての卒業生、教員、出入り業者、保護者を見守ってきたという「学校そのものの幽霊」。47年前に卒業した、62歳の三人に伝えるメッセージが素敵だ。形あるものはいつか壊れる。今、生きていて、目の前には明日しかない。何歳になろうが未来を見れば今日が一番若い。お前たちには未来しかないんだ。前向きに生きる勇気をありがとう。
「一花繚乱~春風亭一花独演会」に行きました。「雛鍔」「啞の釣」「明烏」の三席。開口一番は春風亭一呂久さんで「道灌」だった。
「雛鍔」が良かった。僕はこの噺の芯は旦那が植木屋宅に謝罪に来るところだと思うのだが、その部分をきちんと丁寧に演じている。昔は「我が家ではこの仕事は代々この職人に任せている」という信頼関係で成り立っているところがあって、お互いを気遣うという美学があった。それが底辺にある噺だと思う。
植木屋の手が空いていなくて、少々待ってもらうことにしていた仕事を、番頭が気を利かせたつもりで「ちょいとばかりはいいだろう」とよその植木屋に仕事を依頼してしまった。偶々、部外者が入っている現場を酒に酔っていた植木屋が目撃して、ついカッとなり、「こっちの方から出入り止めだ!」と怒鳴ってしまった。「親父の代からお世話になっている」という植木屋が裏切られたと思う気持ちはよく判るし、それを謝りに来る旦那の気持ちもよく判る。植木屋もその後反省していて、「謝らなければいけないのは、あっしの方です」としている。
この発注者と受注者の間にある美学はまさしく「江戸」で、近代資本主義が入ってきた日本ではなかなか理解されなくなってきたことは確かだ。僕の幼少時代、明治生まれの祖父が元気だった昭和40年代くらいまでは僅かではあるけれども存在していたと認識している。これが落語の良さだと思う。
勿論、「青菜」同様にお屋敷の価値観に憧れる植木屋の可笑しさも、この噺にはある。銭の存在を教えずに鷹揚に若様を育てていることに、植木屋はカルチャーショックを受けるだけでなく、我が家でも同じ八歳の倅を同じように育てたいと思ってしまう。当然、上流階級と長屋では躾も違うわけで、女房が「うちではオアシが金坊を育てているようなものだから」と言う理屈の方が正しい。なのに、亭主はつい旦那に見栄を張ってしまうところが可愛い。
植木屋が旦那に羊羹を出すように女房に言いつけるとき、「羊羹を程の良い厚さに切って、二つばかり並べ、半紙を三角に折って皿に敷いて品良く置いて」出せというところも、植木屋亭主なりの見栄が垣間見えるし、言いつけられた女房の付け焼刃がはげてしまうところも微笑ましい。長屋が舞台の落語の魅力はこういうところにあるのだなあと思う。

