【アナザーストーリーズ】その時、歌舞伎は世界を席巻した~十八代目中村勘三郎の挑戦~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ その時、歌舞伎は世界を席巻した~十八代目中村勘三郎の挑戦~」を観ました。
2004年にニューヨークで平成中村座公演を敢行した勘三郎(当時勘九郎)は「歌舞伎を現代に息づく演劇にしたい」という強い思いを持っていた。それをその3年前の2001年における野田秀樹とタッグを組んだ「野田版研辰の討たれ」から紐解いていっているのが良い。
1980年代に勘三郎と野田は渋谷の百軒店商店街で運命的な出会いを果たした。当時、野田率いる劇団夢の遊眠社はその型破りな演劇で新風を吹かせ、若者の熱い支持を得て、時代の寵児になっていた。一方の歌舞伎は客足が伸び悩んでいた。勘三郎は「現状を打破したい」と考え、野田と芝居談義する中、「行き着くところは人間だよね」と意気投合した。
勘三郎は1955年、後に人間国宝になる十七代勘三郎の長男として生まれた。4歳で初舞台を踏み、名子役と呼ばれ、14歳で映画「風林火山」の武田勝頼、17歳で大河ドラマ「新・平家物語」の平敦盛などを演じる。坂東玉三郎によれば、「両親から厳しい指導を受け、基本の根幹がしっかりしている。だから、おちゃらけても、おちゃらけて見えない」と評価した。
だが、父勘三郎が1988年に逝去すると、32歳だった「波野哲明」は後ろ盾を失い、役に恵まれなくなる。そんなとき、野田と出会い、「歌舞伎を変えたい」という熱い思いを伝えたのだ。
まず、8月の歌舞伎座で納涼歌舞伎を始める。それまで、歌舞伎座の8月は三波春夫ショーやSKD公演が行われていたが、1990年に「怪談乳房榎」など若手を中心とした座組で観客を楽しませ、楽屋には若い女性ファンが押し寄せる人気を呼ぶ。さらに、1992年に渋谷文化村の劇場でコクーン歌舞伎をスタート。串田和美を演出に迎え、「東海道四谷怪談」を斬新な演出で上演して好評を博した。
そして、2001年に勝負をかける。従来の「研辰の討たれ」を野田秀樹の脚本・演出で上演したのだ。当時の朝日新聞の記事にこうある。
「歌舞伎を壊すのか」という声も聞かれるが、本人は「そんなつもりはさらさらない」と苦笑い。今にピッタリのテーマを今の人が書く。それが元々の歌舞伎の精神なんです。
歌舞伎独特のだんまりを「ウエスト・サイド・ストーリー」のミュージカルのワンシーンのように演じる演出、主人公の辰次の仇討への思いに現代社会に巣くうテーマをかぶせる台本。芝居が終わっても、拍手がやまず、前代未聞のカーテンコールとなった。そこに、現代に呼吸する歌舞伎という勘三郎が舞台にかけた想いや情熱がこもっていたのだろう。玉三郎いわく「陰惨な原作を面白くして、最後はジーンとさせた」。歌舞伎役者がやれば、それはすべて歌舞伎なのだという思いがそこにあった。
勘三郎が「自分の小屋で芝居をしたい」という夢を持ったのは19歳のとき。唐十郎主宰の状況劇場、通称紅テントで観客と一体となった演劇を観たことがきっかけとなった。「これこそまさに歌舞伎だ。芝居の原点と思いました。いつかこういう芝居をやってみたいという夢につながりました」。
その夢を45歳で叶える。2000年の浅草隅田公園での平成中村座。これを成功させた勘三郎は「これをニューヨークに持って行く」と考え、当時の松竹の社長・永山武臣に直談判した。そして、法的規制や集客の不安、高額な人件費などの不安要素に臆せず、挑戦した。演目は「夏祭浪花鑑」。
「連獅子」や「棒しばり」など、いわゆるパフォーマンス的な歌舞伎でなくて、台詞の芝居、ドラマとしての歌舞伎を観てもらおう。冒険だった。義理人情に厚い団七九郎兵衛の人物描写、そして繊細なシーンを幻想的に描く。最後は屋台崩しで背景からニューヨーク市警のポリスが登場するという仕掛け。観客は総立ちとなった。
ニューヨークタイムズの劇評が一面に載った。「恐ろしい夢のような歌舞伎の祝祭と迷宮」という見出しで、罪や魂の恐れを呼びさます、まるでドストエフスキーの小説のような心象風景に変化している。チケットは全日程完売した。
勘三郎がこう振り返っている。確かに歌舞伎は江戸という時代が生んだ古典です。同時に僕らが演じる21世紀の演劇でもある。今を生きる役者として演じる場所に境目を付けたくないんです。
2005年、勘九郎から十八代目勘三郎襲名。そのとき、50歳。異例の三か月興行だった。息子である勘九郎や七之助は「父は伝統に抗い、破天荒に思われるかもしれないが、実は古典をこよなく愛する役者だった」と口を揃えて言う。古典を尊重して、「今を生きる歌舞伎」を追求した。勘三郎襲名以降はより古典を型通り演じることに熱心だった。だが、2012年12月5日、五十七歳で逝去。歌舞伎界を背負うと誰もが期待した矢先の訃報だった。
勘三郎がはじめた平成中村座は、2014年ニューヨーク、15年浅草、17年名古屋、18年スペイン、19年小倉、22年浅草、23年姫路、24年名古屋と勘九郎・七之助兄弟が継続している。
今を生きる歌舞伎。その精神は確実に次の世代に引き継がれているのではないだろうか。

