志の輔らくごinPARCO「ドドンガドン」「踊るファックス」「浜野矩随」

志の輔らくごinPARCOに行きました。「ドドンガドン」「踊るファックス」「浜野矩随」の三席。

「ドドンガドン」。志の輔師匠の発想の柔軟さに舌を巻く。盆踊りの♬ドドンガドンというリズムは日本特有かと思っていたが、そうではないと隠居が八五郎に例を挙げながら説明するのが愉しい。縁遠そうなクラッシック音楽だが、ビバルディの四季、モーツァルトのアイネクライネナハトムジークも、イタリアのカンツォーネも、フランスのシャバダバダも、スイスのおおブレネリも…皆、♬ドドンガドンになっている!それを袖のお囃子演奏を駆使して納得させるのがすごい。

さらにディズニーのミッキーマウスマーチ、イッツアスモールワールドまで!♬ドドンガドンは世界共通、実はこのリズムで世界平和を実現できるのではないかという…。その極致がビートルズという論にビックリ!そうなのだ。民謡歌手の金沢明子さんが半世紀くらい前にリリースした、「イエローサブマリン音頭」はそれが判った上でのビートルズオマージュなのか!終演後もずっと僕の頭の中を♪イエローサブマリン、イエローサブマリンの音楽がグルグルと回り続けていた。すごい。

「踊るファックス」。最近、いくつもの大手企業がサイバー攻撃に遭って営業停止を余儀なくされたとき、助けの神となったのがファックスだったという。なんでもかんでもデジタルという社会の中で、一周回って「新しい」技術に注目が集まるということに目を付けて過去の志の輔らくごの傑作に光を当てたセンスが良いと思った。

この噺は従来、ヨシダ薬局に送られてきたミサコという女性からの間違いファックスをきっかけに、親切心が仇となって両者のやりとりが罵り合いにエスカレートするところが面白い。男に捨てられたミサコがその男に恨み辛みを書いた文面で、「死んでやる」と書いていたものが、罵り合いによって敵意をむき出しにする余り、「生きてやる!」という気持ちに変わっていくというところにユーモアがあった。

ところが、最近のコンプライアンスを鑑みたのだろうか、男に捨てられ死んでやるという要素が消え、職場のセクハラやパワハラに堪えかねて訴えてやるという内容に変更されていた。最終的にミサコは「弁護士になってやる!」と前向きに考えるようになる…。でも、やはり「死んでやる!」が「生きてやる!」に変貌する面白さには敵わない。個人的には残念に思った。

「浜野矩随」。矩随の父親である矩安存命の際には大変にお世話になったという恩義を忘れず、他の道具屋が見捨てる中、若狭屋だけは矩随が彫ってくるものは必ず一分で買い取っていた。だが、馬の足の一本を居眠りをして彫り落としたものを臆面もなく持ってきた矩随の了見が若狭屋はどうしても許せなかったのだろう。

父親のように名人になってくれと頼んでいるわけじゃない。私は道具屋。商売できるのは職人のお陰。だからこそ、言ってもいいんじゃないか。腕の悪い職人は死んでしまえ。クズを彫るようなことをされるのは迷惑だ。ここに五両ある。これを持って、二度とこの店の敷居を跨ぐんじゃない!

矩随はショックだったろう。でも、父のような名人ではないことはよくわかっている。しょうがない。せめて、あいつは腕は悪かったが、死に際は立派だったと言われよう。僕は個人的に思う。死んだ気になって努力もせずに自分に才能がないと諦めて死のうと思う根性なしなのか、矩随という男は。

「伊勢参りに行く」という嘘をすぐに見抜いて、最善の策を考えた母親が偉大だと思う。お前の決めたことを止めたりしない。その代わり、私のために形見を彫っておくれ。お父っつぁんのいる処へ先に逝くんだ、目印がほしい。お父っつぁんの好きだった観音様を彫っておくれ。

母親は矩随に「死んだ気になって」仕事をさせた。それを若狭屋に持って行き、「三十両、ビタ一文負からない」と言って来い。名人と言われた矩安の女房である。この矩随が彫った観音様の価値は判ったのだと思う。「優しいお顔をなさっている。ありがとう、矩随」。

この観音様を若狭屋が見ると、当然良い出来だと思う。そして、先代(矩安)の作がまだ残っていたのかと思う。観音様に対し、「先代!若狭屋です!お懐かしゅうございます」。この観音様は慈眼といって、魂が入ると優しい顔になるのだと矩随に講釈する。そして、千両、万両出しても惜しくない代物だという。それを聞いて、矩随は泣く。

これは自分が彫ったのだと言うと、若狭屋は怒る。世の中には言っていい嘘とよくない嘘がある。「これ、父に向かってもう一遍言ってみろ!先代に申し訳がない。ここまで性根が腐っているとは…」。ここまで若狭屋を表現すると、矩随が彫った観音様がいかにこれまでの矩随の作とは雲泥の差で、名人の父親に近い素晴らしいものであるかが伝わってくる。

そして、観音様の銘を見て驚く若狭屋。「本当にお前が?どうして、これができた?」。事情を聞き、「俺の目は節穴だ」。こんな慈眼を彫れたのは、世間様に褒めてもらおうという欲など一切捨て、ただ母親のためだけを考えて彫ったから魂がこもったのだ。

母親が命を懸けて勝負に出た。その勝負に矩随が本気で応えた。これがきっかけで矩随は名人の階段を昇ることになる。素敵な人情噺である。