桃月庵白酒独演会「馬の田楽」「付き馬」、そして下北のすけえん 春風亭一之輔「三井の大黒」

「桃月庵白酒独演会~本多劇場編」に行きました。「抜け雀」「馬の田楽」「付き馬」の三席。開口一番は桃月庵こはくさんで「金明竹」だった。午年ということで、馬のつく演目が二つ並んだ。
「馬の田楽」。冒頭、馬子の多十と馬のコミュニケーションが牧歌的で良い。自分の馬に愛情を注いでいるのが伝わってくる。その相棒とも言える馬が三州屋さんで居眠りしている間に、子どもが尻尾を抜いてしまって走り出していなくなってしまったのだから大変だ。「馬(んま)知らねえか」に茶店の婆さんが「ルンバ?」、「婆さん耳遠いか」に「バルセロナ?」。焦っている多十とすっとぼけた婆さんの組み合わせが何とも可笑しい。
多十が来ていたのは知っていたが「種も土も黒くて途中でやめるとわからなくなる」と畑に大根の種を撒き続け、居眠りしていた多十を起こすのが可哀想でずっと待っていた三州屋の御爺。「馬、通らなかったか」と訊かれ、明日は畑仕事を休みにして「カカアと婆さんは芝居を観に行き、わしは釣りに行く…明日の天気はどうだべと空を見上げたところだった」と用件の前が矢鱈と長い男。のんびりと長閑な田舎風景とそこに穏やかに暮らす人々の様子が目に見えるようで、とても幸せな気分になる。
「付き馬」。口八丁手八丁で若い衆を煙に巻く男が実に愉しい。大門潜って土手に出て川風に当たり、湯屋に行って、湯豆腐でお銚子十五本も飲んで、餃子屋、ビアホール、花やしき、機械仕掛けの象、瓜生岩子の銅像、鳩の餌売り、人形焼き、おっぱいプリン、ボギー車…。「逃げるわけがないでしょ。私の目を見て!笑って!笑って!」と終始自分のペースで若い衆に何も言わせずに雷門まで連れ出しちゃうテクニックに舌を巻く。
男は田原町の早桶屋の「おじさん」に「拵えてもらう」と騙り、若い衆の兄貴が腫れの病で亡くなったからと言って、図抜け大一番小判型の早桶を発注して、そのまま姿をくらましてしまう手口も鮮やかだ。この後に残された若い衆と早桶屋のおじさんのやりとりの面白さは白酒師匠の真骨頂だろう。
「すみません、朝早くに」「いえ、商売ですから。この度はとんだことで」「よくあることです」「長かったんですか」「いえ、昨夜一晩だけ」「急に来たというやつだ。驚いたろう」「いえ、来るなと思いました」「大層腫れたようで」「惚れたか、腫れたか…なかなかいい塩梅だったようで」「朝方、急に逝っちゃったというやつだ」「ハハハ、いっちゃったんでしょうな」「通夜は?」「芸者幇間あげて、どんちゃん騒ぎ」「仏様も大喜びでしょうね」「かっぽれを踊っていました」。
男にすっかり騙された若い衆、そして利用された早桶屋、両者ともに被害者で可哀想だし、犯罪なのだけど、その間抜けさを笑うしかない。目くじらを立てて怒るというのは野暮。そこが落語という話芸の魅力だと思う。
「下北のすけえん~春風亭一之輔ひとり会」本多劇場編に行きました。「悋気の独楽」「あくび指南」「三井の大黒」の三席。開口一番は春風亭らいちさんで「転失気」、食いつきは春風亭貫いちさんで「元犬」だった。
「三井の大黒」。能ある鷹は爪を隠す。まさにこれである。「江戸の大工は仕事がまずくて、ぞんざいだ」と甚五郎が言っているのを聞いて、政五郎親方の弟子たちは寄ってたかって殴ってしまう。それを止めた親方が「上方の番匠(大工)」だと知り、良かったらうちで働かないかと誘う。飛騨の高山出身ということだけは判り、左甚五郎先生に会ったことはあるかと問うと、「あるよ。つまらない男だよ」。それでもって、自分の名前は「箱根の山を越えるときに忘れた」。それで、弟子たちが一見ボーッとしている風体から“ぽんしゅう”という名前を付けて見下していたが。政五郎の女房のお勝も「大神宮様のお札配りみたい」と見た目を表現していたが、まさに人は見た目で判断してはいけない。
何か仕事をさせるにしても、まさか彼が甚五郎先生とは知らぬから、「板でも削れ」。これに不服も言わずにぽんしゅうは午後三時くらいまで鉋の刃を研ぎ続け、徐に二枚の板に鉋をかけて、貼り合わせてしまった。寸分の隙もない仕事だから、剥がそうとしても剥がれない。どんな力自慢が力いっぱいにやっても剥がれない。そりゃあそうだ、甚五郎先生の仕事だもの。それでも甚五郎先生はとぼけた顔して自慢することもない。これが名人というものだろう。
親方が「江戸は火事早いので、大工の仕事も丁寧にやることに重きを置かないのだ」とぽんしゅうに説明するところ、上方の丁寧な仕事ぶりに敬意を払っているのが伝わってきて良い。政五郎の弟子が踏み台を拵えたら、ぽんしゅうが「この踏み台は百年もたない」と評したというのもこれに連動したエピソードだ。
親方が上方の大工なら内職で彫物でも彫ったらどうかと提案すると、ぽんしゅうは意を得たとばかりに、二階に二十日ばかり籠って五寸ばかりの大黒様を彫り上げる。政五郎親方が見ると「目を見開き、ニコッと笑った」と思ったのだから、この時点でぽんしゅうは只者ではないということは判ったのだろう。
手紙をもらった駿河町越後屋の番頭の久兵衛が訪れ、「ここに左甚五郎先生が逗留されていると聞きました」。湯から帰って来たぽんしゅうに向かって、政五郎は「先生、人が悪いね!」。前金三十両払っていたので、後金の七十両を久兵衛が甚五郎に渡すと、甚五郎は「わしは五両もあれば良い。後は親方に差し上げる」。自分の腕を自慢したり、「先生」と特別なもてなしを受けたりするのが嫌い。そして、本当に欲がない人なのだなあ。これが名人というものなのだということを教えてくれる素敵な高座だった。


