【アナザーストーリーズ】桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏~」を観ました。
桑田真澄と清原和博。二人がPL学園1年生だった1983年からの3年間の甲子園…83年夏優勝、84年春準優勝、夏準優勝、85年春ベスト4、夏優勝。すごい記録である。
桑田は甲子園で通算20勝3敗。1983年春に入学して、野球部に入部すると桑田は先輩たちに滅多打ちにされ、二カ月でピッチャーを首になったという。「もう野球をやめたい」と母親に相談した。一方の清原は打つと全てホームランになってしまうため、左方向に打つことを禁止された。しかも金属バットや木製バットではなく、折れた竹のバットで打たされた。桑田はひたすら走り込みを続け、清原はひたすら素振りを続けた。
だが、7月。野球部に衝撃が走る。夏の甲子園の大阪予選に一年生の桑田がエース、同じく一年生の清原が四番に抜擢されたのだ。結果、桑田は2安打完封、清原はホームランを打った。そこから人生が変わり始めた。
甲子園では快進撃を続け、準決勝で徳島の池田高校と対戦する。蔦監督率いる池田は“やまびこ打線”と呼ばれ、1982年夏、83年春と連覇をしていた。ピッチャーの水野雄二はPLを「楽な相手」と思い、キャプテンの江上光治は「(桑田・清原は)まだ中学生」と舐めていたと振り返る。ところが桑田がツーランホームランを放ち、強力打線を封じこめ、7―0でPL学園が勝利する。決勝では四番清原がホームランを打ち、3-0で横浜商業を倒して優勝を飾る。
翌1984年の夏。茨城の取手二高に優勝を奪われる。決勝戦で延長10回表に4点を取られ、4-8で負けたのだ。そのときのことが忘れられないと桑田は振り返る。野球をしているときは歯を見せて笑うことなどあり得ないと思っていた。ところが、取手二高の選手は三振しても、エラーをしても笑っている。のびのびとプレイし、笑顔が絶えなかったというのだ。
実はこの決勝の三か月前に、取手二高とPL学園は練習試合をしている。このときは13-0でPLが圧勝した。清原が特大ホームランを打ち、桑田が1安打完封をした。だが、取手二高率いる木内幸男監督は「管理する野球」ではなく、「選手のやる気を引き出す自由な空気」を大切にしたという。それが、本番の決勝で見事に実を結んだ。
桑田が振り返る。全国の高校球児が「打倒PL」を目指し、そのプレッシャーに押し潰されそうだった。追われる立場だった自分が強くなるにはどうしたらよいのか。その年の冬、桑田は独りで寮を出て、取手に向かった。そして取手二高のグラウンドを見た。さらに全日本選抜の韓国遠征で仲良くなった取手二高のエース、石田文樹の家を訪問し、家族と交流した。
自分はなぜ負けたのか。桑田は学びを得た。目標は同じでも、色々なアプローチがあるのだ。楽しむこと、自分らしさを大切にすること。練習方法を改革し、明るいチームカラーを目指した。そして、ピンチに立っても笑顔を忘れないこと。桑田は新たな野球観を持ったのだった。
天才バッター、清原。甲子園通算13本塁打は新記録。プロでも歴代5位となる525本塁打を打つ。サヨナラホームラン12本、サヨナラヒット20本はプロ野球で1位の記録だ。そんな清原は著書でこう書いている。自分はすごいと思っていると、必ず神様が反省するように失敗をさせる。
頑固な桑田に対し、清原は天真爛漫な性格だった。だが、その一方でバッターとして一番でありたいと考えていた。高校2年の甲子園で清原は桑田に何度も言ったという。「相手チームの四番には打たれないでくれ」。
ピッチャー志望だった清原だが、桑田を見た瞬間に「甘い幻想」は消し飛んだという。こいつには勝てない。それで、バッターとして日本一になることを目指した。ここぞという場面で打てるバッターになりたい。
高校3年の春の甲子園、準決勝は高知の伊野商業との対戦だった。だが、エースの渡辺智男に3三振を喫し、PL学園は1-3で敗退してしまう。渡辺は打たれたらホームランになってしまう、三振を取ることだけを考えたと振り返った。清原は悔しくて仕方がなかった。試合後にピッチングマシーンを最速に設定して、ガンガン打つ練習をしていたと後輩は語る。
85年夏。3年生として最後の甲子園で清原は打ちまくった。2回戦、東海大山形。準々決勝、高知商業。準決勝、甲西。決勝、宇部商業。桑田が打たれると、清原が打った。清原は何度も「俺が打つから頑張れ」と桑田を励ました。そして、桑田は調子を取り戻した、結果は4-3で9回サヨナラ勝ちで優勝を決めた。桑田と清原は抱き合い、お互いの思いを共有した。
1985年のドラフト会議。桑田が巨人に1位指名され、清原は西武に入団することになる。87年の日本シリーズで、西武は巨人を相手に日本一を飾り、清原は試合終了前から男泣きをしたのは有名だ。そして、1997年、清原は巨人に移籍。桑田と同じユニホームを着た。桑田の復帰登板で、清原はホームランを打った。それはまるで甲子園のようだった。
清原、2008年現役引退。25年にわたるKK伝説が幕を閉じた。桑田は言う。「二人はそれぞれに違う形かもしれないが、野球界に恩返しをしていきたい」。高校野球の熱闘を眩しく見つめていた、あの頃の自分を懐かしく思い出した。