六月大歌舞伎 八代目尾上菊五郎・六代目尾上菊之助襲名披露

六月大歌舞伎昼の部と夜の部に行きました。八代目尾上菊五郎・六代目尾上菊之助襲名披露だ。
昼の部 元禄花見踊/菅原伝授手習鑑 車引/同 寺子屋/お祭り
夜の部 暫/口上/連獅子/芝浜革財布
昼の部の「車引」で、新菊之助が梅王丸を演じた。一生懸命に演じていたが、年齢的に無理があったのではないか。荒事の役として「声が弱くなりすぎないように、腹から声を出す」ことを心掛けていたようだが、力みすぎて何を喋っているのか、台詞が聞こえてこない。松王丸の中村鷹之資や桜丸の上村吉太朗と較べるのは酷かもしれないが、梅王丸だけ台詞が浮いてしまうのは芝居として良くない。杉王丸の中村種太郎の方がはきはきとして良かったので、余計目立ってしまったのは可哀想だった。
続く「寺子屋」は寺入りからたっぷりと見せてくれて良かった。新菊五郎の演じる松王丸の苦悩がしっかりと伝わってきた。武部源蔵は菅秀才の身替りに小太郎の首を討って、松王丸の前に差し出した。検分役の松王丸は若君の顔は知っているはずだが、松王丸は「菅秀才の首に相違ない」と言い切る。そのときの心中は苦渋に満ちているであろうが、冷静沈着に首実検を終えて立ち去る様子が良い。
松王丸の女房の千代が寺子屋に戻って、「我が子は身替りの役に立ちましたか」と尋ね、源蔵が驚くところへ、また松王丸が現れる。そして、源蔵に対して藤原時平と主従の縁を切るため、考えあぐねた結果、我が子小太郎を菅秀才の身替りとして源蔵の許へ送り込んだと打ち明ける。そして、小太郎の最期はどうだったかと訊ねるところは秀逸だ。小太郎は身替りだと聞いてニッコリ笑って潔く首を差し出したと聞き、松王丸が「でかしおった」と泣き笑いをするところ、胸にジーンと響くものがあった。
新菊五郎はプログラムでこう語っている。菅秀才の犠牲という以上に、小太郎が親の思いを汲んでいる、というところが物語の良さですので、親子の絆が伝わるように演じたいです。たとえこの世の縁は薄くとも、未来でまた小太郎と会えると松王丸は信じていると思います。一生、小太郎のことを思い続けるに違いありません。
親子、夫婦、兄弟の別れが全編を彩る「菅原伝授手習鑑」の魅力がここに凝縮されていた舞台だった。
夜の部の口上。片岡仁左衛門丈は新菊五郎が女方から入り、立ち役へと芸の幅を広げたことを評価し、「現在の活躍はめざましい」と讃え、歌舞伎界を背負って立つ男だと期待した。新菊之助は先月の娘道成寺、今月の連獅子は大したものだ、「芸筋が良く、将来が楽しみ」とした上で、まだ十一歳なので「これからが修業」と言って、その伸びしろに期待を寄せた。
中村梅玉丈は新菊五郎を初舞台のときから見ている、カズ君が益々第一線で活躍を続け、大名跡に恥じない実績を挙げるだろうと褒めた。博多座で「与話情浮名横櫛」を上演したときに、新菊五郎が与三郎を演じ、自分が多左衛門を演じた舞台がとても印象に残っているそうだ。「新しい歌舞伎」にも意欲的であり、團十郎や松緑とともに研鑽し、新しい菊五郎像を作ってほしいと願った。
市川團十郎丈は新菊五郎とは同学年で同じ学校だった、学校が終わると一緒にバスに乗り、稽古場へ通った、小学6年生のときには「ワニと歌う」というミュージカルをやったと思い出を語った。新菊之助と息子の新之助も同級生、気の早い話だが、彼らが九代目菊五郎、十四代目團十郎になるまで応援してくださいと笑いを誘った。
新菊五郎は歴代の菊五郎が大切にした「伝統と革新」の精神を持ち続けたいと抱負を述べた。新菊之助は父が29年間名乗っていた名跡を継ぐことに感謝するとともに、精進したいと語った。最後に七代目菊五郎が「こうやって親子三代で披露目ができるのは、この上ない喜びだ」と言って、音羽屋一門、さらには歌舞伎界全体に引き続き御贔屓頂きたいと頭を下げた。
「連獅子」。新菊五郎が菊之助、新菊之助が丑之助だった令和5年9月歌舞伎座以来のコンビ。八代目の曽祖父、六世菊五郎は舞踊の名手でもあり、獅子物を得意とした。そういう思いもあって、この演目を選んだと新菊五郎はプログラムで語っている。新菊之助は「毛振りは腰で回さなければならないので、最初の頃は難しかったが、初演で身に付いたはずなので、当時より成長した体をどう上手く使うかが課題。仔獅子の気持ちを表現できるようにしたい」と語っているが、その逞しい勇姿を観ることができた。
間狂言で法華の僧の蓮念を演じた中村獅童丈は「新菊五郎さんとは2年前の『ファイナルファンタジーⅩ』で久しぶりにご一緒し、その頃から私の考えを伝え、“時代に取り残されることなく、歌舞伎がこれから先こうなっていけたら”などと話しています」。新菊五郎の「新しい歌舞伎」への意欲が感じられる。
また、浄土の僧の遍念を演じた片岡愛之助は「以前、『夏祭浪花鑑』で私が団七九郎兵衛を勤め、新菊五郎さんが一寸徳兵衛をされた時、義太夫も上方の訛りもきっちり勉強されていて、違和感のない上方言葉を話してくださいました」。八代目菊五郎の勉強熱心の逸話がいい。