梅雨時に聴く今松噺十選 むかし家今松「ざこ八」「おかめ団子」「長崎の赤飯」

上野鈴本演芸場六月上席二日目夜の部に行きました。今席はむかし家今松師匠が主任を勤め、「梅雨時に聴く今松噺十選」と題したネタ出し興行だ。①井戸の茶碗②ざこ八③質屋庫④天狗裁き⑤おかめ団子⑥長崎の赤飯⑦唐茄子屋政談⑧おせつ徳三郎⑨帯久⑩鼠穴。きょうは「ざこ八」だった。

「寿限無」翁家丸果/「無精床」金原亭馬吉/太神楽曲芸 鏡味仙志郎・仙成/「道具屋」春風亭百栄/「蝦蟇の油」柳家小団治/奇術 ダーク広和/「道灌」古今亭文菊/「小政の生い立ち」宝井琴調/中入り/紙切り 林家八楽/「親子酒」蜃気楼龍玉/粋曲 柳家小春/「ざこ八」むかし家今松

今松師匠の「ざこ八」。清次郎は10年ぶりに実家のある江戸へ戻って来て、叔父さんを訪ねる。10年前に突然、家を出て音沙汰のなかった清次郎を叔父さんは「どの面下げて帰って来た」と責める。実家は兄がしっかりと継いで営んでいるが、それが問題ではない。百万長者と言われた雑穀屋八兵衛、通称「ざこ八」が潰れたのはお前のせいだと責めているのだ。

10年前、ざこ八では一人娘のお絹に養子の口はないかと探していた。そのときに、「お宅の次男坊の清次郎さんを貰えないか」と打診があった。兄は断ったが、清次郎は「こんなありがたいことはない」と喜び、兄を口説いて祝言を挙げることになった。ところが、婚礼当日、清次郎は突然姿を消してしまった。仲人は慌て、お絹は泣き、両親はがっかりした。兄さんは「申し訳ない」と謝った。

だが、お絹の気持ちは収まらない。身投げしようとするところを止めた。病の床に就いたお絹を元気づけようと、両親は川崎大師にお詣りに連れ出した。その途中で見かけた百姓が「清さんによく似ている」とお絹が言って見初めた。話をしてみると、百姓の次男坊ということで、婿養子に来てくれることになった。ところが、この婿が茶屋遊びを覚え、放蕩三昧を続け、奉公人も道楽に走る有り様。両親も力を落としたのか亡くなってしまった。とうとう身代を潰してしまった。その後、婿は悪い病を廓で引き受け、死んでしまう。お絹は独りぼっちで物置小屋に暮らし、昔は小町と呼ばれた美貌が今は乞食のようになってしまった。

伯父さんは清次郎に「だからお前がざこ八を潰したと言うんだ。なぜ、あの時に断らなかったんだ」。清次郎は詫びる。自分はお絹に惚れていた。だが、大きな店に行くと碌なことはない、繁盛するのは当たり前、うまくいかないとお前のせいになる、お前はざこ八の身代に惚れたのかとまで友達に言われた。居たたまれず、自分一人で稼いだ方が良いと思い立ち、上方に行ったのだと説明する。

乞食のようになったというお絹を心配し、「改めて養子の世話をしてくれないか」と頼むが、「ざこ八は潰れた。元のお絹さんじゃない」と叔父さんは言う。しかし、清次郎は「構わない。本気になって尽くしたい。ざこ八の暖簾に掛けて商売したい」と言う。兄に詫びを入れ、清次郎はお絹と夫婦になる。

清次郎は上方で米相場に手を出し、百両を儲けた。その金を叔父さんに預かってもらう。なまじ持っていると商売に本腰が入らない、金はないものと思って商売したいという決意だ。そして、とことん働いた。納豆売り、豆腐屋、八百屋、うどん屋、稲荷寿司…寝る間も惜しんで商売した。そして、貯まった金で小さな店を開き、米屋になった。小口の客を優遇して評判は上がり、繁盛した。そして、叔父さんに預けていた百両で米相場の勝負をして、莫大な金が入った。元のざこ八の店を買い取り、雑穀屋を開いてざこ八の暖簾を復活させる。以前の身代よりも大きくした。お絹も医者や薬で手厚く治療した結果、回復した。

そんなある日、出入りの魚留が初鰹を持ってきた。清次郎は気に入り、買うことにして、お勝手に運んでもらう。ところが、お絹が「きょうは先の仏の命日。精進日なので、生臭モノは控えたい。明日、持って来ておくれ」と言う。それを聞いた清次郎は「先の仏はお前にどれだけのことをした?6年前に俺が助けたから今日があるんじゃないか」とお絹に言う。夫婦の間でちょっとした言い争いになった。そこに魚留が仲に入り、「酷い目に遭いながら供養しようというお絹さんの気持ちが偉いじゃないですか。旦那もそれを承知の上ではないのですか」。これを聞いて、清次郎もお絹も我に返る。「つまらないことで喧嘩してしまったね」。和解した。魚留は「明日、改めてお持ちします」。さすが魚屋、捌くのが上手い、というサゲ。素敵な人情噺だと思った。

上野鈴本演芸場六月上席五日目夜の部に行きました。今席はむかし家今松師匠が主任を勤め、「梅雨時に聴く今松噺十選」と題したネタ出し興行だ。きょうは「おかめ団子」だった。

「子ほめ」入船亭辰むめ/「金明竹」金原亭駒平/ものまね 江戸家猫八/「西武家の一族」古今亭駒治/「ぜんざい公社」柳家小団治/奇術 ダーク広和/「長短」古今亭文菊/「笹川の花会」宝井琴調/中入り/漫才 ホンキートンク/「鹿政談」蜃気楼龍玉/紙切り 林家楽一/「おかめ団子」むかし家今松

今松師匠の「おかめ団子」。飯倉片町にある通称「おかめ団子」と呼ばれる団子屋は水天宮様の近所にあり、十八になる一人娘のおかめが看板娘で、大層繁盛していた。酷い風の日、客足が悪く、早終いすることにすると、そこに天秤棒を担いだ大根屋が飛び込んできた。毎日のように買いに来る常連客だが、手代の藤蔵が「もう閉店したから売れない」と断る。いつも一皿しか買わないので面倒だと思ったらしい。そこへ主人がやって来て、「団子屋は団子を売るのが商売」と藤蔵を叱り、謝らせる。

大根屋は「一皿ばかりで申し訳ない」と恐縮するが、病気の母親が好物で土産に買っているのだと言う。主人は餡子多めに竹の皮で包み、渡す。そして、それとは別に団子を皿に載せて、お茶を出して、「召しあがってください」と歓待する。大根屋は中目黒の在で、名を太助と言う。店では一日の売り上げを勘定しているのが見える。主人に聞くと「一日、五十貫から六十貫(およそ15両)、天気が良ければこの倍、水天宮様の縁日があるときは二百貫」の売り上げがあるという。大根屋とは大きな違いだと言って、団子の代金16文を置いて、去って行った。

帰宅した太助は母親に茶を淹れてやり、団子を食べさせる。親孝行で楽をさせてやりたいが如何せん稼ぎが少ない。煎餅布団に寝かせてすまない、綿の入った布団で寝かせたいが甲斐性がない、貧乏暮らしで申し訳ないと言いながら、母親の体をさすってやる。でも、このままではいつまで経っても親孝行できない。生きているうちに何とかしてあげたい…。そう思ったときに、頭に浮かんだのがおかめ団子での売り上げの勘定風景だ。あの店へ盗みに入って、親孝行しよう。悪いと知りながらも、そうするしかないと考えた。

おかめ団子の裏庭に忍びこみ、様子を窺っていると、雨戸が開き、娘のおかめが出てきた。そして、庭に出て、踏み台に乗り、木にシゴキを掛けて、首を括ろうとしている。太助は必死でこれを止めた。そして、この騒ぎに目を覚ました家族がやって来る。おかめは気に入らない婿を取ることになるのを苦にして自害を図ったのだった。「危ういところを助けていただき、ありがとうございました」と主人が礼を言うと、その男は昼間に会った大根屋の太助と気が付く。

何か訳が?と問い質すと、太助は「泥棒しようとした」深い事情を正直に話す。しょっぴかれても仕方ない、親孝行しようと思っていたことが、かえって親不孝であることが判った、二度としないのでご勘弁ください。優しい主人は太助の素性を訊く。元は庄屋の倅だった。兄が道楽者で家財や田地田畑、それに庄屋の権利まで売り払ってしまった。今は病気の母と二人暮らしだと太助は言う。

団子屋主人は「御礼をしたい」と手文庫から5両を出して、「これで綿の入った布団を買って親孝行しなさい」と渡す。太助はおかめに「もう、首括りなんかしちゃ駄目だよ」と言って帰って行った。

父は言う。おかめや、私はお前の幸せを思えばこそ縁談を進めた。だが、どうやら独りで夢中になっていただけだったようだ。お前が気に入った人を婿にする。縁談は断るから。すると、おかめはあの大根屋の太助が「まんざらでもない」と思っていることが判る。店に出ていて、毎日通ってくれる太助と言葉を交わして、岡惚れしていたようだ。父親は「あの母子ともども引き受けて、夫婦養子にして店を任せよう」。大根屋だけに親孝行(こうこ)だ、でサゲ。良い人情噺だ。

上野鈴本演芸場六月上席六日目夜の部に行きました。今席はむかし家今松師匠が主任を勤め、「梅雨時に聴く今松噺十選」と題したネタ出し興行だ。きょうは「長崎の赤飯」だった。

「芋俵」柳亭市遼/「のめる」金原亭駒平/ものまね 江戸家猫八/「上京物語」古今亭駒治/「雑俳」柳家小団治/奇術 ダーク広和/「狸札」隅田川馬石/「宇喜多秀家 配所の月」宝井琴調/中入り/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「蔵前駕籠」蜃気楼龍玉/紙切り 林家楽一/「長崎の赤飯」むかし家今松

今松師匠の「長崎の赤飯」。昔の諺に「長崎から赤飯が来る」というのがあって、現実離れしている、ありえないことを指した。それだけ、長崎は江戸時代には遠い土地だったということだろう。

日本橋の両替商、金田屋金左衛門の息子、金次郎は二十三歳のときに勘当になり、三年が経った。別に道楽が過ぎたということではなく、芸事として唄を稽古しただけなのに、親父は怒って追い出した。だが、母親は金次郎の味方で、季節の便りが金次郎から送られてくる。その手紙を読むと、金左衛門が眼病を患ったと知ってお薬師様に日参したことが書かれている。親父は「親でもなければ子でもない」と思っているが、息子の方は「親子だと思えばこその信心」をしていることが判る。母親によれば、伊勢に住む伯父の六右衛門の紹介で肥前長崎の長者屋の一人娘おそのに見初められ、婿に入ったという。

金左衛門はこのことを知り、金次郎に会いたくなる。番頭の久兵衛に頼んで手紙を書いて送ってもらった。だが番頭は「旦那が大病なので江戸に戻って来てほしい」という嘘を書いた。これを読んだ金次郎は居ても立っても居られず、おそのに事情を説明して、長崎を出立、三十五日で江戸へ到着した。

金田屋を訪ねた金次郎が「父が心配で大急ぎで来た」というのに、金左衛門はいたって元気、その上勘当が揺れて一安心だ。すると、今度は長崎にいる妻のおそのが身重ゆえ、心配になり長崎に戻ると言い出す。金左衛門は番頭と足止めする作戦を考え、「嫁を持たせよう」ということになった。背負い小間物屋の重兵衛が八丁堀岡崎町のお武家で渡辺喜平次の娘おいちを紹介すると、両者ともに乗り気となり、話がまとまる。だが、当人の金次郎は「気は確かですか。女房を二人持つなんておかしい」と困惑する。当たり前だ。だが、押し切られてしまい、結納を済ませ、あとは婚礼の日取りを決めるまでとなった。

一方、長崎のおそのは「戻ってこないのではないか」と不安になる。婆やに相談し、両親には内緒で江戸へ旅に出る。だが、この時代の女の旅は厳しかった。わざと乞食に身をやつしし、何とか江戸まで出る。そして、日本橋の金田屋へ。「長者屋のおそのです」と聞いて、番頭と金左衛門は大慌て。「金次郎は亡くなった」と嘘をつくが、金次郎が程なく帰宅して、嬉し泣きをする乞食の女がおそのだと知り、大喜びだ。綺麗に風呂で垢を洗い流すと、さっきとは大違いの美しい女性だった。金左衛門は掌を返したように、「こんな綺麗な嫁なのか」と喜び、「進めてしまっている縁談をどう断るか」を考える。

そこへ重兵衛が婚礼の日取りを決めにやって来たので、長崎の女房が出てきたので嫁は要らなくなった、間に合っていると言うと、重兵衛は「二股をかけていたのか!」と番頭を殴る、蹴る。渡辺喜平次もやって来て、「けしからん!」と言って、おそのを連れ出して駕籠に乗せ、「取り調べる」と言って去って行った。

旦那と久兵衛は話し合って、200両を詫び賃として差し出して許してもらおうとする。だが、渡辺は「何のことだ?よくわからぬ」と言って、上方から江戸へ行くには関所で検めなければ抜けられない、女一人で来れるわけがない、もしそうだとしたらおそのは関所破りで天下の大罪だと主張した。

そして、番頭にあくまで「婚礼の支度をするように」と言いつける。そして、祝言の日がやってきた。おいちを迎える覚悟を金次郎もする。花嫁と引き合わせると、何とその花嫁はおそのだった…。渡辺が言う。「夫恋しさで長崎から江戸まで出て来るとはあっぱれだ。だが、関所破りは見逃せない。おいちは母の菩提を弔うために尼になった。おそのをおいちとして嫁入りさせる」。渡辺喜平次の力で関所破りの罪はいかようにも取り払うという。

おそのが身籠っている赤ん坊を長崎の長者屋の跡目として相続させ、渡辺家の家督は金次郎に継がせる。喜平次の慈悲のある裁きだった。やがて産まれた男の子は金太郎と名付けられ、長崎の長者屋が引き取った。金太郎の初節句の祝いを渡辺家から贈ると、返礼として強飯が贈られてきたという…。金左衛門と久兵衛の身勝手な振る舞いも、渡辺喜平次の温情によってハッピーエンドとなった。面白い噺を聴けて嬉しかった。