浪曲定席木馬亭 天中軒雲月「瑤泉院 涙の南部坂」東家孝太郎「幡随院長兵衛 桜川と黒鷲」

木馬亭の日本浪曲協会六月定席四日目に行きました。
「一休の婿入り」東家一陽・馬越ノリ子/「甚五郎 京都の巻」東家志乃ぶ・東家美/「神崎与五郎東下り」東家恭太郎・水乃金魚/「五稜郭始末記 義侠熊吉」東家一太郎・東家美/中入り/「幡随院長兵衛 桜川と黒鷲」東家孝太郎・沢村まみ/「黒部の山賊」田辺一記/「二十四の瞳」富士琴美・沢村まみ/「徳川家康 人質から成長まで」天中軒雲月・沢村博喜
孝太郎さんの「桜川と黒鷲」。旗本奴の水野十郎左衛門率いる白柄組と町奴の幡随院長兵衛の一家のいわば“代理戦争”として、水野が贔屓にする大関の黒鷲と長兵衛が贔屓にする幕下の桜川が蔵前の本場所で対戦するというもの。本来、格が違う両者の取組が組まれることはないが、水野の謀でこのようになったというのが面白い。
式守伊三郎の軍配が返って、両者が立ち合うと、出足鋭い桜川が押されて思わず黒鷲は退く。桜川は左を差して頭をつけるが、黒鷲は苦し紛れに小手に振る。桜川の態勢が崩れたところを、黒鷲はここが勝負とグイグイと攻め立てる。だが、桜川は相手の力を利用して、グイと捻ると、黒鷲は仰向けになって倒れた。勝負あり!桜川の勝利だ。桟敷席の白柄組はすごすごと去って行く。
長兵衛たちは桜川を囲んで祝杯をあげる。一方の水野は黒鷲に「もし負けたら首を差し出すと言ったな。そこへ直れ」と刀を抜く。そこへ家来の兼松又四郎が仲に入り、「ここは一晩、待たれてはいかがかな」。水野は兼松に何か企みがあると見て、その場を収める。兼松は黒鷲に「お前の真の千秋楽はこれからだ」と言う。
暗闇の入谷田圃。大粒の雨が降る中、桜川は褌担ぎを連れて帰路に就こうと急いでいる。そこに三尺の稲妻が光った。桜川に前から2人、後ろから1人が斬りかかる。剣術の心得があった桜川は長脇差を抜き、防御した。そこへ「命はもらった!」と襲う男、桜川は足がもつれて倒れたが、襲い掛かる男の胸に脇差を突き刺し、息の根を止めた。男は黒鷲だった。
すると、藪の中から覆面頭巾の侍が竹槍を持って、桜川の右の脇腹を突いた。深い傷を負って、虫の息の桜川。褌担ぎが長兵衛の許へ走り、「桜川が入谷田圃で曲者に襲われた」と伝えると、長兵衛は虎の子走りで現場へ。雨はあがり、満月が桜川を照らす。「わかるか?傷は浅いぞ…襲ったのは兼松か?」と必死に長兵衛は桜川に呼びかけると、「どうか、おふくろをよろしくお願いします」「わかった。心配するな」。桜川は微笑みを浮かべ、事切れた。そして、長兵衛は仇の兼松を討とうとする…。「鈴ヶ森」の続編として興味深く拝聴した。
一記さんの「黒部の山賊」。戦後の混乱期、北アルプスの黒部山麓では盗みや殺人などの凶悪な犯罪が多発し、警察の捜査でも犯人は見つからず、世間では「山賊の仕業だ」という噂が立つ。山小屋の一つ、三俣小屋は持ち主が戦死し、引き取り手を探していた。名乗りを挙げたのは松本で航空エンジンの研究をしていた伊藤正一で登山や冒険を趣味としている男だった。
伊藤は2人の友人を連れて、三俣小屋を目指す。途中、猟師が「山賊に襲われるからやめた方がいい」と助言するが、兎に角辿り着こうと“何も知らない登山者”を装い、小屋を訪ねると、立派な紳士が出迎えた。紳士は山での体験を色々話してくれた。熊の喧嘩はすごい、大蛇を見た、白い蝦蟇がいた、狸に悪戯された等々。伊藤らは興味深く話を聞き、小屋に一泊し、宿泊料を払って引き揚げた。
「山賊」と誤解されていたこの紳士こそ、明治の時代から山岳ガイドなどをしていた土着の猟師、遠山品右衛門の末裔で、遠山富士弥だった。後に伊藤は遠山と懇意になり、“伊藤新道”と呼ばれる山岳路を切り拓き、いくつも山荘を建設して、大衆のための登山の発展に大いに寄与することとなる。一記さんが北アルプスを登山したことがきっかけで、これらの史実を調べて講談にしたのだそうだ。こういう好奇心が新作講談創作の基礎になる。頼もしい。
雲月先生の「徳川家康」。家康の母、於大の息子を思う母心。信長が「土産に何を持ってきたか」と問うと、「母の心、それひとつでございます」。信長も「そちの土産、確かに受け取った。竹千代に会うが良い」。
愛しい我が子の竹千代に諭す言葉も途絶えがち、独りで暮すはさぞ辛かろう。抱いてやりたい母心。溢れる涙、拭けども、拭けども、流れ出る。できることなら、許されるなら、そのまま連れて帰りたい。戦国時代を生き抜いたのは男だけでなく、こうした強い心を持った女性たちもいたことを忘れてはならないと思う。
木馬亭の日本浪曲協会六月定席五日目に行きました。
「元禄花吹雪」天中軒かおり・沢村博喜/「楽屋草履」三門綾・広沢美舟/「貝賀弥左衛門」富士綾那・沢村博喜/「母の幸せ」天中軒月子・玉川鈴/中入り/「宮崎滔天伝 うしえもん」港家小ゆき・広沢美舟/「碁石」一龍斎貞奈/「浪花節じいさん」玉川太福・玉川さと/「瑤泉院 涙の南部坂」天中軒雲月・広沢美舟
綾那さんの「貝賀弥左衛門」。小田原の廻船問屋の江戸屋幸右衛門、通称「江戸幸」の息子、寅吉が江戸で集金をして帰ってきたときに、ある間違いを犯したことに気づく。泊まった品川の旅籠、武蔵屋長兵衛に集金した283両を200、80、3と三つに分けて帳場に預けたが、いざ翌朝に受け取ったときに3両足りない。寅吉は早とちりをして、預けた宿の娘のおきせがくすねたと思い込み、詰問するとおきせは「私が盗みました」と言って白状し、3両を寅吉に渡した。
だが、小田原に帰宅すると、寅吉の着物の袂から別の3両の包みが出てきた。寅吉の粗忽で、おきせには280両しか渡していなかったのだ。では、あの3両はどこから出てきたのか?寅吉はおきせに濡れ衣を被せてしまったことを申し訳なく思い、早駕籠で品川へ舞い戻った。すると、おきせは罪を被されたことを苦に思い、高輪の浜で身投げしようとした、そこへあるお武家様が現れ、事情を訊いて3両を渡してくれたのだと真実を伝える。「世の中に間違いはいくらでもある。罪が晴れる日が必ず来る」と言って、いくら名前を訊いても名乗らずに去って行ったという。
命の恩人であるお武家様を武蔵屋長兵衛と娘おきせは必死になって探した。すると、元禄15年12月15日。見事仇討本懐を遂げた赤穂義士たちが列をなして歩いている。引き揚げる列の七人目の義士を見て、おきせは「あの方に間違いない」と言って、長兵衛が声を掛けて事情を話す。その義士は貝賀弥左衛門。弥左衛門はおきせの濡れ衣が晴れたことを喜び、「商売繁盛、子孫繁栄を祈るぞ」と言って、泉岳寺に向かった…。人間は誰も間違いを犯すことがある。それを大きな心で許す寛容が大事であることを教えてくれる高座だった。
貞奈さんの「碁石」。呉服屋の伊丹屋佐兵衛は一代で大きな店を築いた真面目一辺倒の努力の人だ。それが商売仲間の浜田屋に誘われて新町で初めて廓遊びをした。相手は蔦屋の売れっ子、尾車太夫。これがきっかけで廓通いに夢中になり、店の金に手を出し、身代を傾けてしまう。女房は病で寝込み、一人娘のお絹が意見するが、「わしが築いた店や。潰すのも、このわしや」と意に介さない。
とうとう借金は500両になってしまった。蔦屋が伊丹屋に取り立てをするが、返す当てなどない。「この店を売る」と言うが、蔦屋は「こんな店、誰が買うんだ?」と相手にしない。そして、一人娘のお絹を要求する。お絹だったら、借金を帳消しにした上で、300両を渡すと言う。しかし、流石の伊丹屋も一人娘を売るようなことはできないと拒む。
すると、蔦屋は「賭けをしよう」と提案する。巾着の中に黒の碁石と白の碁石を一つずつ入れ、白を取り出したら借金は帳消し、だが黒を取り出したらお絹を売るというものだ。立会人は浜田屋。伊丹屋は碁石を取るのを躊躇う。すると、お絹は「自分のことは自分で決める」と進み出た。大事な一生を決める賭けだから、神様に決めてもらいたいと場所を住吉大社に指定した。
太鼓橋の上でお絹が巾着から碁石を一つ取り出す。と、それをすぐに池の中に放り込んでしまった。そして、「巾着の中の碁石が黒だったら、取り出した石は白ですよね」と言う。言葉に詰まる蔦屋。実は巾着の中には黒の碁石を二つ入れていたのだった。
お絹は「黒石は那智黒の石、白石は蛤をくり抜いたもの、手触りが違うはずなのに、同じ手触りだった」と指摘する。鋭い。完全な蔦屋の負けである。これを機に、伊丹屋は改心して娘とともに一所懸命に働き、借金を返済。店も元の通りの大きさに戻したという。廓に狂ってしまった父親は愚かだったが、娘の利発によって再生した。四代目旭堂南陵先生の傑作を貞奈さんが巧みに読んだ。
雲月先生の「涙の南部坂」。まず、大石内蔵助の心中を察する。艱難辛苦の甲斐あって、いよいよ今宵は討ち入りを…と報告したいところだが、瑤泉院の周りには目付きの怪しい者もいる、敵の間者かもしれない、計画が知られたら苦労は水の泡、仏作って魂入れずになってしまう。奥方様にはすまないが、ここで本心を明かしてはいけないとグッと言葉を飲み込む。
「いよいよ、時は参りましたな」という問いに、殿の一周忌の法要も済ませ、私は山科に立ち帰る、忠臣二君にまみえず、出家して殿の菩提を弔うつもりだと答える。息子の主税は大坂の天野屋利兵衛のところに仕えさせ、商人にするという。
戸田局が激しい口調で詰め寄る。お殿様の御恩を忘れたのか?枕を並べて討死にというときに、ここで死するが忠義ではない、真の忠義は殿の無念を晴らすことと言っていたではないか。殿の仏前に良い報告ができる日まで待ちましょうという奥方様の思いを何と心得ますか。
瑤泉院が訴える。思い出します、田村屋敷の庭先のこと。浅野大学様への遺言をと求めたとき、何も申すことはないと殿は言った。そして、余は無念じゃ、ただそれだけを大石に申し伝えよと。武士には武士の絆があるのだろう。女の出る幕ではない。だが、じっと待っているわらわの気持ちも斟酌してくれ。ほんの言葉のなぞりでも良い…。女に生まれたこの身が悔しい。内蔵助ともう会うことはありますまい。さらばじゃ。
大石は胸が張り咲ける思いで、内匠頭の仏壇の前に手をついて、両の目に涙を一滴、そして雪の降る南部坂を去って行った。
一方、瑤泉院は仏壇の前に行き、無念の涙をはらはらと流す。仏壇の横に置かれた見慣れぬ一巻を手にする。それは忠臣一同の固き誓いの連判状だった。驚く瑤泉院。「忠義の心があることを知らずに罵った自分が恥ずかしい。許してくだされ」。
そこへ、「ご注進!」と駆け付けたのは討ち入り姿の寺坂吉右衛門。仇討本懐の一部始終を物語り、瑤泉院は嬉し涙に暮れた。いつの間にか、空は雪から日本晴れに変わっていた…。雲月先生の力強い節が胸に響く高座だった。