花形演芸会 三遊亭青森「髪結新三」柳家風柳「帯久」、そして劇団チョコレートケーキ「ガマ」

花形演芸会に行きました。

「魚根問」立川笑王丸/「慶安太平記 正雪の生い立ち」神田松麻呂/民謡 立花家あまね/「髪結新三」三遊亭青森/「宿屋の仇討」雷門音助/中入り/「浮世根問」立川談笑/漫才 まんじゅう大帝国/「帯久」柳家風柳

笑王丸さんは今年8月に二ツ目昇進が決まっている。短い前座噺にも才能を感じる。「知らないことを知らない」隠居が八五郎に対し、がんもどきの裏表を強引にこじつけるところも面白いが、傑作なのは魚の名前の由来。アジは一番美味しい味だから、フグは毒に当たって「フグッ」と言って死ぬから、マグロは捌くときに血が撥ねてグロいから、サンマは師匠の松之助が名付けた…。流石は談笑一門、いきいきと育っている。

松麻呂さん。由井民部之助正雪は紀州大納言頼宣に気に入られ、500石取りとなるが、家老の安藤帯刀が人相を見ると、「双瞳」であることがわかり、召し抱えの「御沙汰止み」を進言する。大望を抱く人物、必ずや天下に事を起こすに違いないと見抜いた。何度も「御沙汰止み」という言葉が出てきたが、話の流れから「取りやめ」のことだろうと判ったが、補足の説明をしたほうがよいのではないかと感じた。

あまねさん。初々しい。しかも、技術がしっかりしている。発声も良いし、三味線も達者。向こう横丁のお稲荷さん~長崎ぶらぶら節、淡海節をしっとりと二番まで聴かせ、東京音頭と品川甚句で賑やかにと構成も良い。最後は立ち上がって、かっぽれを踊るが、きびきびとした動きでさらに好感を持った。

青森さん。白子屋のおくまを拐した新三からおくまを取り戻そうとするが、車力の善八では箸にも棒にも掛からず、弥太五郎源七親分が「ニッコリ笑って、俺に花を持たせてくれ」と説得するも動かず。家主の長兵衛が初鰹を引っ掛けた頓智でやりこめて、やっと30両で手離すことなる。いわゆる「鰹の強請」の部分の家主と新三のやりとりの面白さが肝で、長兵衛に半分の15両と滞っている店賃5両の計20両を取られ、結局新三は10両しか貰えず…。

ここで終わるかと思ったら、面目を潰された弥太五郎源七が閻魔堂で新三を待ち伏せして、大立ち回り。芝居台詞の応酬が続いた後、附けと三味線が入り、仕方噺となって大いに魅せた。圧巻だった。

音助さんは来年真打昇進が決まり、雷門五郎を襲名するそうだ。前の青森さんの高座で緊迫した客席の空気が変わらず、いまひとつ笑いが薄かった。源兵衛の間男をして、人を二人殺して、三百両を持って逐電したが、三年経って未だに知れないという話。「源ちゃんは色事師!」と盛り上がるところ、実に可哀想であった。

談笑師匠。弟子の根問モノにあえて寄せる形で、サバラン、モンブラン、エクレアというスイーツの名前の由来を強引に説明するのが面白い。

まんじゅう大帝国。アメリカン・ジョークの特有のリズムだけを練習しているというネタ。そして、ステーキを食べに行くコント風のネタ。どちらも一筋縄ではいかぬシュールな笑いで、ベタな笑いを避けているのが手に取るようにわかる。僕は大いに楽しめたが、お客さんを選ぶだろうなあ。まあ、そこをあえて狙っているのだろうが。

風柳師匠。演目名が「帯久」なのに、悪人の帯屋久七よりも善人の和泉屋与兵衛が主人公になっていると指摘し、帯久を主人公に作り替えた。この方が帯久の悪徳ぶりが強調されて、大変興味深く拝聴した。また、帯久のところの奉公人、藤助が主人のあくどい行いを何度も窘める場面が出てきて、これも効果的だと思った。

和泉屋与兵衛は火事に遭った後、元番頭で暖簾分けした武兵衛が10年間も面倒を見てくれた恩返しとして、「和泉屋再興」を託そうと帯久に資金を借りようと頭を下げに行く。そのときに「わずか百両」と言ってしまったことに、帯久がカチンとしたという気持ちもわからないでもない。和泉屋が帯久に金を貸していたときも、「わずか百両」と言って、無利息無証文で貸していたことを覚えていたからなおさらだ。無利息無証文なんていう甘い商売をしていたら、成功しないと帯久は自分の考えを松平大隅守に言ってしまったばっかりに、百両返せばことが済むところを「年賦1割」と決まって、利息でさらに百両払わなければなったという理屈も面白かった。

劇団チョコレートケーキ公演「ガマ」を観ました。

沖縄がアメリカから日本に返還されたのは昭和47年5月15日。僕の8歳の誕生日だったのを覚えている。沖縄県というのは明治時代からあった。琉球王国を日本に併合し、廃藩置県によって沖縄県ができた。だが、天皇への崇敬心を育てることを目的に、宗教政策として神道が広く流布される。また、学校教育の現場では標準語が励行され、方言使用に対し罰則を設ける学校も出た。日清戦争後には沖縄の同化政策、つまり日本化が促進され、沖縄独自の文化が否定されるようになってしまった。

そういう流れの中で、太平洋戦争において沖縄防衛のために日本陸軍が32軍を編成した。日本は本土決戦への「時間稼ぎ」という位置づけで沖縄戦を捉えた。昭和20年、沖縄本島に上陸したアメリカ軍は日本軍司令部のある首里を目指し前進、陣地に籠り善戦する日本軍と血みどろの戦闘が続いた。

玉音放送から遅れること20日以上、9月7日にようやく日本軍代表が沖縄戦降伏文書に署名し、公式に沖縄戦が終結した。沖縄戦の犠牲者数は国の調査が行われておらず、正確な数字は不明だが、日本側だけでも19万人近いという推計もある。

太平洋戦争における沖縄戦は実に悲劇であるが、歴史を遡ると沖縄独自の文化を否定され、本土同様に大日本帝国の純朴な人民であることが強要された時代背景が明治以降脈々と続いていたことがわかる。つまり、「欲しがりません、勝つまでは」「天皇陛下のために命を捧げる」といった思想が沖縄の地でも浸透し、それゆえに沖縄の人たちは悲惨な戦争被害者となっていったのだ。

劇中で、知念孝元が「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」と言う台詞は、戦争で命を落とすことはあってはならないという、本来だったら登場人物全員が当たり前のことのように思うはずのことを叫んでいるのが印象的だった。

パンフレットの中で脚本を担当した古川健氏がこう書いている。

これまでも幾度か沖縄を題材に戯曲を書いてきました。書くたびごとに、沖縄と自分との距離を認識せずにはおられません。私にとって沖縄は近くて遠い存在なのです。沖縄に強く惹きつけられると同時に、その土地の背負った歴史の重みに頭を垂れずにはおられない思いもあります。遠くから思いながら、それでも私は沖縄に、沖縄の人々に寄り添った演劇を創っていきたいと思います。以上、抜粋。

あの戦争は一体、なんだったのか。今年、終戦から80年を迎えるが、戦争なんて馬鹿なことは二度としてはいけないという極当たり前のことを、この沖縄戦や広島・長崎の被爆、東京大空襲などの経験を語り継ぐことで、しっかり後世に伝えていかなくてはいけないと思う。