全国若手落語家選手権本選 三遊亭ごはんつぶ「落語業界の真実」
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配信で「2024年度公推協杯 全国若手落語家選手権本選」を観ました。四つの予選を勝ち抜いた4人が決勝戦で競い、三遊亭ごはんつぶさんが優勝した。観客票と審査員票、および合計は以下の通り。
①三遊亭ごはんつぶ 194(客155+審39)②桂源太 149(客117+審32)③笑福亭茶光 147(客126+審21)④柳家小ふね 116(客88+審28)
柳家小ふね「磯の鮑」
マクラで前座時代に寄席の客席に「あまちゃんの能年玲奈がいる!」と楽屋中が興奮したが、結局それは別人だったというエピソード?を喋っていたが、あまり面白くなかった。これは出場者のほぼ全員に言えることだが、こういうコンテストは時間も限られているし、客席を温めようという意図はわかるが、本題と無関係のマクラを長々と喋るのはいかがなものかと個人的には思う。
与太郎が「吉原に行くともてて、儲かる」と言うので、源兵衛と“女郎買いの師匠”梅村の隠居が結託してからかうのが肝の噺。与太郎のオウム返し、「20年前、私も若かった」とか、「どこの誰だか知らないけれど、誰もが皆知っている」とか、頓珍漢に独りよがりなことを花魁に向かって繰り広げるところの滑稽味が弱いと感じた。最近、多くの噺家が演じるようになった噺だが、独自の工夫がないと苦しい。
笑福亭茶光「手水廻し」
ある落語会に行ったら、笑点しか知らない主催者が座布団を10枚用意していたなんて手垢まみれになったマクラをふったのは明らかに損である。「ちょうず」を長い頭だと出鱈目な説明を和尚がしたために、隣村の市兵衛という頭の長い男を連れてきて、頭を振り回す。本当の言葉の意味を知りたい旦那と喜助がわざわざ大坂まで出向いて「手水を廻してくれ」と頼み、金盥いっぱいの水に歯磨き粉を混ぜてグイグイ飲む。これらは方言によってコミュニケーションがうまく取れないために起きる馬鹿馬鹿しくも、微笑ましい笑いだ。最初に「手水を廻してくれ」と頼んだ大坂の旅人の困惑が上手に描けていない印象を持った。
桂源太「山内一豊と千代」。
これは自身の創作だろうか。講談の「出世の馬揃い」をベースに落語的アレンジを大胆に加えて完成度の高い高座だと思った。一豊と千代の出会いをドラマチックに描く一方で、千代から貰った黄金10枚で求めた名馬が南部生まれの馬と聞いていたのに関西弁で人間の言葉を喋るユーモアも忘れない。さらに流鏑馬のために紋服を夜なべをして縫った千代が高熱で倒れる場面では聴き手をハラハラとさせておきながら、最後に見事に天地人の三枚の的を射抜いた一豊は信長に讃えられる展開にうなった。そして、褒美には「妻の千代に簪を」という一豊の台詞が泣かせる。僕個人の評価としては、四人の中でトップだと思った。
三遊亭ごはんつぶ「落語業界の真実」
現在の落語業界は秘密結社フリーメーソンと繋がっているという仮説を立て、次々とその共通点を暴く演出は良く計算されている。落語協会のマークと「プロビデンスの目」の一致、上方落語協会の「ガ」とフリーメーソン公式マークの「G」、落語芸術協会の「芸術」とジーザスのアナグラムによる解釈…。極め付けは「笑点」大喜利と「最後の晩餐」の構図の類似!ごはんつぶさんは着物の袂から次々と図や写真を印刷した紙を取り出して、これらを筋道立てて、半ば強引(?)に、理路整然を装って“落語業界の闇”を解説していく話芸は鮮やかだ。一点、僕が思うのは「これは落語なのか?フリップ漫談ではないか?」ということ。聴き手によって色々な解釈があると思う。だが、ごはんつぶさんが最後に言った台詞、「落語は自由だ!」でそのモヤモヤは消える。落語家が喋れば、それは全て落語だという円丈師匠の名言を思い出した。大師匠・円丈の血がそこに流れているのだ。