林家つる子独演会「酔の夢」

林家つる子独演会に行きました。「片棒」と「酔の夢」の二席。去年8月にネタおろしした玉菊花魁を主人公にした新作落語「酔の夢」を、玉菊がいた遊郭中万字屋があった場所に建っているホテル座みかさのお座敷で聴こうという趣向の会だ。

吉原俄、夜桜と並んで吉原の三大行事の一つである玉菊燈籠の謂れとなっている玉菊花魁を主人公にしているところが、つる子師匠の目の付け所の良さだと思う。また玉菊が可愛がっていた遊女、吉野が芝居をやりたいという夢をかなえるために足抜けをしたいと思う。その手助けを玉菊がするところにドラマ性を感じる。

吉原俄とは遊女たちの文化祭のようなもので、各遊郭が演目を競って出し合う。また、吉原に出入りしている小間物屋や呉服屋のほかに占いをする易者が人気があったという前提をさりげなく説明しながら噺を進めていくのが良い。

玉菊の勧めで、吉野が易者に見てもらうと、「陰の相があるが、これを極めて陽転する」と言われる。吉野は今度の俄で忠臣蔵の七段目のお軽をやりたいと思っていたが、易者に「あなたは陽なので、男役がいい」と言われ、勘平を演じることにしようとする。すると、玉菊は「ならば、五段目の斧定九郎にしなよ」と勧める。玉菊の客で朝之丞という役者を紹介すると、その助言のお陰もあったのか、吉野の定九郎の五段目は吉原俄で大層な評判をとった。

易者がこのとき、玉菊に対し、「水にお気をつけください。人相を見ても、筮竹で占っても、水難の相がある」と忠告する。これが噺の終盤への伏線となるのも良く計算されている。

吉原では足抜けはご法度だ。四郎兵衛会所という番小屋があって、出入りする男女を厳しくチェックしている。足抜けが見つかると罰せられ、厳しい折檻が待っている。

玉菊は吉原俄の吉野の男装を見て、「これなら足抜けして大門を出られそうだ」と冗談を飛ばした。だが、吉野にとっては冗談では済ませない想いがあった。自分は客が取れないでお茶を挽くことも多く、自分が吉原にいる意味が判らない。子どもの頃、両親と一緒に観た芝居に憧れた。ところが、両親ともに亡くなり、吉原に身を沈めた。私の心はどこにもなかった。もう、どうなっても構わない。もう一度、夢を見てみたい。そう、玉菊に訴えた。

玉菊は言う。花魁は客に夢を見せるのが商売だ。だけど、見せるばかりじゃなくて、私も夢を見てみたい。酒を飲むと、少しだけ夢を見ているような気になれる。だから、私は酒が好きなんだ。

玉菊は吉野の夢を叶えてやろうと、朝之丞が来たときに、吉野に自分の部屋に来るように言った。朝之丞が化粧を手伝い、吉野を「どこから見ても男」に変装させた。外は雨。玉菊が差す傘に男装の吉野が入り、間夫の見送りを装って、「また会いに来てくんなまし」と言葉を掛ける。四郎兵衛会所の役人は吉野の被り物を取らせるが、それが女性だとは思わず、外に出ることを許す。足抜け成功だ。

吉野は朝之丞の紹介で旅の一座に加わることが出来、芝居で人々に夢を見させるという願いが叶った。人相見をしてくれた易者先生に御礼を言おうと尋ねると、思わぬことを知らされる。「玉菊花魁が亡くなった」。吉野は自分のせいだと思った。足抜けした夜、雨が降っていたから。だが、違った。「玉菊花魁は酒が元で亡くなったそうだ。水難…私もそこまでは気づかなかった」。

吉野が言う。玉菊花魁は空の上で好きなお酒を飲みながら、夢を見ているのでしょうね。夢も酒も醒めないことでしょう。伝説の花魁、玉菊を追悼する意味で、毎年「玉菊燈籠」が七月になると吉原中に飾られる。玉菊燈籠由来の一席と言ってもいいのではないか。素敵な人情噺である。