猿若祭二月大歌舞伎「きらら浮世伝」「阿古屋」「人情噺文七元結」

猿若祭二月大歌舞伎、昼の部と夜の部に行きました。昼の部は「鞘當」「醍醐の花見」「きらら浮世伝」の三演目、夜の部は「壇浦兜軍記 阿古屋」「江島生島」「人情噺文七元結」の三演目だった。

「きらら浮世伝」。十八世中村勘三郎(当時勘九郎)が昭和63年に銀座セゾン劇場で蔦屋重三郎を演じて以来、37年ぶりの上演である。

通称・蔦重を当代の中村勘九郎が演じた。戯作本や錦絵などの版元として、江戸のエンターテインメントのプロデューサー的な役割を担い、狂歌絵本から美人画に進んだ喜多川歌麿(中村隼人)や絵師や戯作者など多彩な顔を持つ山東京伝(中村橋之助)らを売り出した。無名時代の滝沢馬琴、葛飾北斎、十返舎一九らの才能を見出したのも蔦重だった。

この芝居の一番の見どころは、幕府の寛政の改革による文化風俗への取り締まりに対し果敢に抵抗する部分だろう。初鹿野河内守信興(中村錦之助)をその取り締まりの象徴に位置づけ、蔦重を陰から支えた遊女・篠竹(中村七之助)を金と権力にモノを言わせて身請けする脚本が分かりやすかった。「庶民の心の緩みを正す」という台詞は寛政の改革のお題目そのものだ。

蔦重の人脈に加わっていた武士で狂歌師の大田南畝(中村歌六)が幕府の役人になるとき、「これからの時代は好き勝手に生きている人間は見せしめにされる」と忠告していたのも、その流れだろう。そして、洒落本が風紀を乱したとして、京伝が手鎖五十日、版元の蔦屋は身代半減に処せられる。武士で黄表紙作家だった恋川春町(中村芝翫)は処刑されてしまう。蔦重に対し、「お前たちは、自分のためだけに命を使えよ」と言い遺し、初鹿野に首を差し出した場面は印象的だった。

締め付けが厳しいのは当初、読み物だった。錦絵で生き残ろうと考えていた矢先、新たな町触れが出る。色数、版木の数の制限。今までの歌麿の使っていた色数が三分の一にされてしまう。歌麿は改革に苛立ちを覚えるが、決して自棄は起こさなかった。「もっと凄い絵を描いてやる」ともがき、格闘した。その姿に感銘を受ける蔦重もまた降参しないことを心に決める。

蔦重が出した対抗策。それは美人画が駄目なら男の役者絵、色数を制限するなら背景を“きらら摺り”にした錦絵を思い立つ。売り出した東洲斎写楽の役者首絵は江戸で大評判になる。写楽の正体は誰なのか、謎にしているところも味噌だ。

だが、これを奉行所は問題視した。初鹿野が現れ、写楽の素性を明かせと蔦重に迫る。これに居合わせた京伝、歌麿、一九、馬琴らに加え、彫り師や摺り師までが「俺こそが写楽だ」と名乗りをあげ、擁護する。すると、蔦重は「すべては洒落だ。写楽の正体は阿波徳島の斎藤藤十郎という男だ。もう故郷に帰った」と言って、全ての絵や版木を差し出す覚悟を決める。だが、松平定信の側仕えとなった大田南畝が、この始末は自分がつけると言うと、初鹿野は去って行った。

蔦重が皆に言った台詞が印象的だ。「この絵は洒落ではない。江戸一番の版元と絵師と職人たちの魂の結晶だ」。そして、ずっと蔦重を見守っていたお篠に「お前も仲間だ。写楽という名の中に、お前もいるんだ」と告げ、微笑みを交わす。文化を心の緩みだと断じて規制をかける幕府に対する抵抗。それが絵師・写楽という存在なのだ。蔦重のエンターテインメント・プロデューサーとしての心意気を見た。

「阿古屋」。通称、琴責め。坂東玉三郎さんは平成9年の初演以来、長きにわたり阿古屋を勤めてきた。僕が歌舞伎座に毎月行くようになったのは平成25年からだが、玉三郎さんの阿古屋を観るのは平成27年、30年、令和元年に続き4回目。いつも「これが最後かもしれない」と思いながら観てきたが、いつも凛とした芯の強さに漂う色香にうっとりする。素晴らしかった。

平家の武将悪七兵衛景清の行方について、恋人の五條坂の遊君阿古屋に詮議する拷問が琴、三味線、胡弓の三曲を演奏させるという人形浄瑠璃らしい発想が素敵で、去年12月に桐竹勘十郎さんが阿古屋を遣って演じていた文楽公演と比較して観られたのが良かった。

単純に三種の楽器を演奏する凄さというのではなく、(それは勿論すごいのだが)傾城の品格や色気、景清を思う気持ちが実に巧みに表現されている。腕力で白状させようとする岩永左衛門致連(中村種之助)の脅しには怯まず、身の潔白を訴えるところ。対照的に詮議をする秩父庄司重忠(尾上菊之助)の「情と義理ある問いかけ」が、阿古屋にとっては「どんな拷問よりもつらい」という台詞が胸に響く。

そして、重忠の「もしも阿古屋の心に偽りがあれば、演奏の音色が乱れるはずだが、琴も三味線も胡弓も、一糸の狂いもなく、誠実な心が現れていた」という裁きにこの人気演目の美学が流れている。

「人情噺文七元結」は落語を題材にした歌舞伎で最も上演回数の多い演目だろう。僕が定期的に歌舞伎を観始めた平成25年以降、5回目の観劇だ。正直な感想を言うと、「やっぱり落語の方が良いなあ」。

角海老の女将が優しすぎる。逆に言うと、厳しさが足りない。酒と博奕に溺れた長兵衛に意見するのは本来、この女将であるべきだが、この芝居では娘のお久が長兵衛に対し、「もうお酒も博奕もやめて、私の身代で借金を返して、真面目に働いて、おっかさんと仲良くしておくれ」と訴える。実の娘に角海老で懇願されたら、長兵衛も目が覚めるだろうが…。

女将はまず、お久を自分のところで預かり、身の回りの世話をさせると言う。いきなり店に出したりなんかしないと優しい。その上で、「いくらあったら借金を返せるんだい」と優しく問いかける。「50両もあれば…」との返答に一瞬たじろぐが、二つ返事で用意してあげる。返済期限も長兵衛の方から「春先になったら返します」と言い出したので、「それは無理だろう。じゃあ、来年の大晦日までに返しておくれ」と言う。そして、付け加えるように「でも、その期限を過ぎたら、この娘を店に出すよ」と言う。そこに「鬼になるよ」というような厳しさがなかった。

また、50両をお久に渡して、娘から直接長兵衛に手渡すようにする。「この娘のお陰なのだから、しっかりおしよ」ということなのだろう。長兵衛はその裸の50両を自分の手拭いで包む。女将が「それじゃあいけない」と言って、財布に入れようとするが、長兵衛は「これで十分です」と拒む。角海老の亡くなった旦那の着物の端切れで作った紙入れに入れる…「あの人も見ているんだよ」というメッセージをこめるような演出はしない。紙入れ演出はあった方が良いと思うのだが…。

大川端で飛び込もうとする文七を止める長兵衛の場面は良かった。特に文七の親も兄弟もいない孤独な身の上を聞いて、「ひとりぼっちか」と思わず長兵衛が言う台詞の情。どうしても死にたいと言う文七に対し、「人の命は金では買えないんだよ」と言って、悩んだ挙句にお久の身代として貰った50両を渡そうとするところ。文七が「そんな尊いお金、貰えません!」と言うのを振り切って、50両を投げつけ、「死ぬんじゃないぞ!」と叫びながら長兵衛が走り去って行くところ。江戸っ子の人情味に溢れていた。

そして、翌朝の長兵衛宅。折角お久が拵えてくれた50両を見ず知らずの人間にやってしまったことで、長兵衛とお兼が夫婦喧嘩をしている場面。僕はその場に大家さんがいる必要は全くないと思う。文七とその主人・和泉屋清兵衛が訪ねてきて、50両紛失の顛末を説明し、その恩に報いる形でお久を身請けして連れてきて、とんとん拍子に話が進んで、文七とお久を夫婦にしたいと進言するとき、長兵衛は「提灯に釣鐘だ」と身分違いの婚礼を断るが、そこに大家さんが仲介に入る。そのためだけのために大家さんがいる必要はないと思う。

それと、女房お兼が文七たちが訪ねてきたら、衝立の裏の隠れる。この芝居の第一場で長兵衛が角海老の藤助に「女将が呼んでいる」と言われ、角海老に行くのに、半纏一枚だとみっともないから、「お前(お兼)の着物を貸せ」と言って、脱がせて着る場面があるが、お兼は「それじゃあ、裸になっちゃうじゃないか」と抵抗する。だが、着物を脱がされても、下にもう一枚着物を着て(襦袢じゃない)おり、違和感を持った。それが、夫婦喧嘩のときも同じ格好で、大家さんの前ではその格好で恥ずかしくないのに(裸じゃないからね)、文七たちが訪ねてきたら急に恥ずかしがって衝立に隠れるというのも変な話である。

落語という話芸は聴き手が勝手にイマジネーションを膨らませることができるが、歌舞伎では視覚的な部分でそれを体現しなくてはいけない。そこに難しさがあるのだと思う。「乳房榎」などでは感じないのだが。