舞台「鬼背参り」、そして柳家喬太郎「鬼背参り」
舞台「鬼背参り」を観ました。原作:夢枕獏、脚本:町田誠也、演出:鈴村展弘。
夢枕獏先生が柳家喬太郎師匠に宛てて書いた新作落語の演劇化である。主人公の生薬屋の若旦那、四方吉(萩野崇)が落語と比べると、色々な女に手を出して、過度にもてるという設定になっているのが少し気になったが、許嫁のお美津(加藤夏希)を一番に思う気持ちに変わりはない。一方、お美津が四方吉を愛する一途さは原作以上に表現されていて良かった。他の女と違って「ものをねだったり、焼き餅を妬いたり」しないところ、心にグッとくるものがある。
だが、プレイボーイの四方吉はお美津に何の断りもなく、三味線の師匠のお静(山崎真美)と上方に行ってしまう。お美津は知り合いの家や四方吉の実家を訪ね、「四方吉さんはいますか」と必死に探し回る姿が痛々しい。ついには疲れ果てたのか、死んでしまうのが悲しい。
金の切れ目が縁の切れ目、お静に捨てられた四方吉は江戸へ戻るが、お美津が死に、成仏できずに鬼に姿を変えて、夜な夜な四方吉を探して徘徊していると聞いて何とかしてあげたいと願い、陰陽師に助けを求めるが…。
「四方吉さんの匂いがする」と言いながら、四方吉を背負って江戸の空を飛ぶお美津の髪に飾ってあったのは、四方吉と出会った頃に買ってもらった安物の源内櫛。それを見つけた四方吉の切なさと言ったらなかったろう。
四方吉が上方に行く前にお静に贈ろうと買った珊瑚の簪を失くしたとき、四方吉はお美津が盗んだと疑い、頬を叩いた。それが悲しくて、お美津は必死になってドブを浚い、その簪を見つける。四方吉は酔っ払って、簪をドブに落としていたのだった。
上方から戻った四方吉に向かって、お美津が「珊瑚の簪、あったよ」と嬉しそうに渡す。疑いが晴れてお美津は安心したのか、いつの間にか鬼の顔から本来の顔に戻っていた。成仏できたのだろう。一途な女性の恋心に心打たれた舞台だった。
翌日は柳家喬太郎独演会「鬼背参り」に行きました。舞台「鬼背参り」の関連開催、夢枕獏先生の原作を喬太郎師匠が演じる会だ。この舞台に出演している柳家小平太師匠も開口一番で出演した。
「熊の皮」柳家小平太/「母恋いくらげ」柳家喬太郎/中入り/「鬼背参り」柳家喬太郎
「鬼背参り」。二年ぶりに上方から江戸へ戻った四方吉が友人の善吉のところを訪ね、お美津が亡くなったことを告げる冒頭の場面。善吉の言葉で、いかにお美津が素敵な女性だったかが伝わる。
いつもニコニコしていて、いい女でした。色気もほんのりとあるが、了見も良い。女が好きな女でした。皆から好かれた。惚れて惚れられて惚れ抜いた四方吉さんがお静という他の女と駆け落ちしても、決して妬かなかった。気丈にふるまっていた。本当はどれだけあの人がつらいか。だけど、そんな素振りは見せなかった。
それが少しずつ痩せていって、虚ろな目をして、「四方吉さんは来ている?」「四方吉さんはいないの?」「四方吉さんはどこへ行ったんだろう?」と知り合いの家を訪ねて回った。ある日、突然来なくなったと思ったら、家で骨と皮になって仰向けになって倒れて死んでいた。
大旦那が費用を出して弔いを済ませたが、なぜか亡骸が焼き場から消えてしまう。家に戻っている。何度焼き場に持って行っても、家に戻る。そのうち、誰もお美津さんの家に近寄らなくなった。ある日、お美津さんがドブの中を這っていた。「四方吉さん!」と叫びながら。その顔は鬼だった。鬼の形相とよく言うが、そんなもんじゃない。鬼そのものだった。お美津さんが鬼になるほど四方吉さんは惚れられていた。男冥利に尽きますね。それがかえって重くなり、浮気な女に走ったのかもしれませんね。
舞台では陰陽師は別人だったが、原作の落語では善吉が実は陰陽師だったということになっている。そして、お美津が成仏できるように四方吉がお美津の背中に跨って、角を握って振り落とされないようにして、声を出さずに方々を探し回るのを見守ってあげろという。やがて夜が明けて陽が昇ると、鬼は灰となる。それが四方吉が取り殺されないようにする方法だと教わる。
お美津は背中に乗った四方吉を感じ取り、「四方吉さんの匂いがする」と叫びながら、江戸上空を彷徨う。船遊びをした大川、花見をした上野の山…四方吉と一緒に行った思い出の場所を次々と廻る。と同時に、四方吉はお美津の髪に夜店で買ってあげた安物の源内櫛を挿していることに気づく。
こんな安物を後生大事にしているお美津…それを俺は何ということをしてしまったんだ。「お美津!四方吉だ!」「四方吉さん、久しぶり」「俺は大馬鹿だ。こんなに思ってくれたのに…すまなかった」「あのね、これ」「珊瑚の五分玉の簪…」「私、盗んでいない。私、隠していない。ドブを漁ったら、あったの。私はこれを四方吉さんに返したかった。それだけなの。我慢できなくて、鬼になった。でも、返せて良かった。達者でね…」。
四方吉は後悔しても、もうお美津は戻って来ない。陽が昇り、お美津は灰になってしまった。陰陽師である善吉に「蘇らせてくれ」と頼んでも、それは出来ない相談だった。四方吉はただ、お美津から渡された簪を形見に、これから生きていくしかない。取り返しのつかないことをしてしまった四方吉の心情を思い、胸が締め付けられた。