一龍斎貞鏡独演会「天野屋利兵衛」、桃月庵白酒独演会「宿屋の富」
「一龍斎貞鏡独演会~赤穂義士傳之巻」に行きました。
「ジャンヌ・ダルク」神田山慶/「猿飛佐助生い立ち」宝井小琴/「安兵衛婿入り」一龍斎貞鏡/中入り/紙切り 林家花/「天野屋利兵衛」一龍斎貞鏡
「安兵衛婿入り」。まず、安兵衛駆け付けの部分を堀部弥兵衛金丸の妻しんが「高田馬場で果し合いを見てきた」と金丸に報告する形で描いている。安兵衛の伯父は20数名いる敵の卑怯なやり方で斬られてしまったが、後から駆け付けてきた安兵衛が仇討ちとばかりに、バッタバッタと死人の山を築いていく様子を聞くだけで、金丸はすっかり安兵衛を気に入る。
安兵衛が駆け付けたときに、娘はなの緋縮緬のしごきを放って、安兵衛が襷の代りにしたのを手掛かりに、金丸は中間の武助に“高田馬場の果し合い”で大活躍した武勇伝の男を探させ、その男が越後新発田の中山安兵衛だと判ると、再三再四のお願いをして、婿養子になってもらう。ここまで安兵衛が主語で語られない型も珍しいが、大変興味深く聴いた。
そして、金丸は赤穂藩の江戸留守居役をしていたから、安兵衛は浅野内匠頭と対面し、主従固めの盃を交わす。十二カ月の組盃。一月が一合、二月が二合、三月が三合と一合ずつ増えていく仕組みで、十二月は一升二合である。これだけで七升八合を飲み干した安兵衛。その酒豪ぶりを気に入った内匠頭は「閏月を」とリクエストすると、安兵衛は迷いなく十二月の盃を選び、これまた飲み干し、さらに舞いを華麗な足さばきで舞ったという…。その後、安兵衛はその場に寝込んで高いびきをかく大胆さ。内匠頭は自分の羽織を「風邪をひかぬよう」掛けてやったという優しさ。安兵衛はきっと「この殿様ならば、どんなことがあっても…」と思ったのであろう。それが元禄十五年十二月十四日に吉良邸討ち入りとなったわけだ。面白い。
「天野屋利兵衛」。泉州堺の廻船問屋、天野屋利兵衛は人の好い人物で、頼まれると断らずに、あちこちに金を貸してしまって、“身代限り”、すなわち破産に追い込まれそうになったとき、この危機を救ってくれたのが浅野内匠頭だった。
「もはやこれまで」と思った天野屋が内匠頭に暇乞いの挨拶に行くと、事情を聞いた内匠頭は「余にできることはないか」と訊く。諸大名からの預かり金に手を付けてしまったのが間違いのはじまり、その返済を月賦ではなく年賦にしてくれると立ち直れると申し出る。内匠頭は何と「300年年賦」にしてくれ、証文まで書いてくれた。これを脇坂淡路守に持っていくと、それでは…と「500年年賦」にしてくれた。そういう具合に諸大名が助け船を出してくれるきっかけを作ってくれたのが浅野内匠頭だったのだ。そのお蔭で天野屋の身代は立ち直った。
それだけの恩がある浅野様が切腹に追い込まれたと聞いて、天野屋は居ても立っても居られない。妻のそでに「男を立たせてくれ」と話して離縁状を渡し、七歳になる息子の七之助は自分が預かる。「城を枕に討死に」の覚悟で赤穂城を訪ね、大石内蔵助に「是非お仲間に…」と訴えると、「改めて頼みたきことあり」と言われ、後日“忍び道具”の調達を依頼される。
松野河内守は名奉行で倒幕未遂が続く昨今、怪しき者はいないかと目を光らせていた。すると、天野屋で夜な夜な武器を作っているという情報が入り、謀反に与する者だとして、天野屋を縄に掛け、「誰に頼まれたのか」と白状するように拷問するが、天野屋は口を割らない。「とある義理のある方に頼まれたが、申し上げられない」の一点張りが続く。
白州には家主預かりとなっていた息子七之助が連れてこられる。「何で縛られているの?」と問う息子に、天野屋は「悪いことはしていない。今に必ずわかるときがくる。心配いらない。信じておくれ…」。「抱いておくれ」という七之助が言うと、松野河内守は「息子が可愛いか?縄を解いてやれ。慈悲じゃ」。天野屋は七之助を渾身の力で抱きしめる。「このまま白状すれば…どうじゃ?」「御慈悲でございます。白状はできかねます」。
すると、河内守は七之助を鞭で「打って打って打ちまって」小児の口から聞くという。「怖いよぉ」と叫ぶ七之助。天野屋はそれでも「悪い親を持ったと諦めて死んでおくれ。お父っつぁんも後から逝くから」。そして、天野屋は言う。確かに我が子は可愛い。それは私の情だ。だが、頼まれた方には義理の二字がある。義理のためには愛や情は捨てねばならぬ。打つなど、蹴るなどご勝手に。天野屋利兵衛は男でござる!
さらに、妻そでが白州にやって来る。「夫が謀反人など、とんでもないことです」。嫁いで久しいが、この人は毎朝大神宮様に手を合わせ、天下泰平、国家安穏を祈っているのです。夫婦仲睦まじい姿を見せるのが御先祖様への供養になると言っている、そんな人が謀反に与するわけがない。
親しく出入りをしている屋敷はあるか?の問いに、そでは「播州浅野様」と答えてしまう。すると、天野屋は「何を申しておる。お前とは離縁したはず。妻でも何でもない。戻れ」と言う。そでは「浅野内匠頭様が3月14日に切腹されたときの慌て様は…お世話になりました」。河内守はこれを聞いて大方察したのだろう。「訴えの途中であるが、別なる案件がある。この件については、またの機会に致そう。立て!立ちませい!」。これ以来、天野屋利兵衛への取り調べはなくなった。
「良かった」と胸を撫で下ろしていた天野屋は元禄16年正月に牢番たちが「吉良邸討ち入り」の噂をしているのを耳にする。「おやりなすったか!ご成功されたか!」。天野屋は自ら進んで「申し上げます!今一度、お取調べを!」。ここで初めて「頼み手の名は大石内蔵助」と白状した。このとき、松野河内守はすでに分かっていたのだ。討ち入りの妨げになってはいけないと取り調べを中止していたことは想像に難くない。天野屋の義侠心、そして河内守の温情に痺れた高座だった。
夜は「桃月庵白酒独演会 本多劇場編」に行きました。
「子ほめ」桃月庵こはく/「明烏」桃月庵白酒/中入り/「他行」桃月庵白浪/「宿屋の富」桃月庵白酒
「明烏」のテーマは「書を捨てよ。街へ出よう」だ。時次郎は家に籠って本ばかり読んでいるから、笠森様の御祭礼に行っても、子供たちと太鼓の叩き合いをして、蝶々を追いかけていたら道に迷ってしまい、山田さんの8歳になるお坊ちゃんに案内されて自宅まで辿り着いた。町内の札付き、源兵衛と太助に“大変に霊験あらたかなお稲荷様”があるからと誘われて、親父からはお参りじゃなくて、お籠りをしてきなさいと言われる。浅草の観音様の裏っ手といえば、大概の人間はわかる。
実際、見返り柳=御神木も大門=大鳥居も初めて見て感心するし、“お巫女頭”には丁寧に自己紹介の挨拶をするし、知らないというのは恐ろしい。堅すぎると心配する親父の気持ちもわかるような気がする。
いざ、ここがお稲荷様ではなくて吉原遊郭だとわかると、融通が利かないのも世間知らずの時次郎らしい。「帰ります!」と言う時次郎に、「大門の記録係に怪しい人物が帰って行く」と止められて、縛られちゃうという源兵衛の早速の機転に対し、「そんなことは書物には載ってなかった」。挙句に、場が白けるので花魁の部屋におばさんが連れていこうとすると、「二宮金次郎という人は…」。案外、こういう人物が吉原の味を覚えて、通い詰めるのかもしれない。
「宿屋の富」。一文無しの男が金持ちのふりをして入った宿屋の主人に張る見栄が愉しい。もてなされるのが嫌いで、汚い格好をして茶代も渡さずに旅をしたら、粗末な扱いを受けると聞いて、その通りやっているが、のんびりできて楽しいねえ。商売という商売はやっていないんだけど、あっちの大名に2万両、こっちの商人に3万両と貸してあげると、よせばいいのに返しに来るんだ。それだけならいいのに、利息というものをつけてくるから困ったもんだ。
あんまり家の前に千両箱があるので邪魔だから勘定させたら、3ヶ月かかった。盗賊が来て、あるだけ持っていていいよと言ったのに、情けない、一晩で千両箱80箱しか持って行かないんだ。庭に離れを作ったというので、見にいこうとしたが3日歩いても着かない、あとどれだけかかるか訊いたら7日かかりますって。そのときに書いたのが「奥の細道」。
湯島天神の千両富の抽せん会場。千両は当たらないが、五百両当たると神様に言われたという男。当たったら、一反の布で財布を拵えて吉原に行って、女を身請けして、所帯を持って、湯→酒、刺身、天婦羅、鰻→「寝ましょ」を延々と繰り返すという妄想が愉しい。でも、外れたらうどん食って寝ちゃう。
無一文の男がなけなしの一分で買った富札は「子の千三百六十五番」。当たり富の番号を掲示を見て、「当たらねえな。やっぱり金が金を呼ぶんだな」…「ちょっとの違いだ。惜しいなあ」…「涙で文字が滲む…アタ、タ、タ!」。その興奮ぶりを立行司の木村庄之助の掛け声に喩えるところに白酒師匠のセンスを感じる。