新作歌舞伎「あらしのよるに」

十二月大歌舞伎第一部に行きました。「あらしのよるに」三幕。歌舞伎座では平成28年12月以来、8年ぶり二度目の上演である。

激しい嵐を避けて草原の小屋に雨宿りをしに入ってきた、山羊のめい(尾上菊之助)と狼のがぶ(中村獅童)の出会い。暗闇の中、お互いに相手が山羊と狼だと気づかず、すっかり意気投合して翌日の再会を約束する。合言葉「あらしのよるに」を手掛かりに再会すると、相手が山羊、狼と知って大いに驚くが、互いに幸福草を手土産にしたことで、親しみを覚え、「友達」となるのだが…。敵対するはずの動物が、周囲の反発を押し切って友情を育むところに、この物語の妙味がある。

原作の絵本「あらしのよるに」の作者であるきむらゆういちさんは、この物語が愛され続けるのは、そこに普遍的な何かがあるのだろうと筋書にこう寄稿している。

恐らく全ての人は、大人か子供か?男か女か?どこの国の人間か?階級はどこか?人種や民族は?富めるものか貧しいものか?偉い人かそうでないか?など、いつの間にかそのどれかに属している。もちろん誰でも枠は一つではない。

さて、もしもどこかで人と人が出会ったら、人はそれを瞬時に判断して、喋り方や態度や対応の仕方を決めている。人間関係にはそういった情報が大切だからである。しかし、もし二人が出会った時、真っ暗闇で全ての情報がなかったとしたら、本人同士、素の姿で語り合ったとしたら、たとえ相手がどんな相手でも、たとえ相手が天敵だったとしても、二人は心が通じ合えるだろうか?

そしてこの“あらしのよるに”のように、その翌日明るい場所で再会し、お互いの外部情報を知ってしまった二匹は、片方は食欲、もう片方は恐怖心という本能をいかに克服して、友情を続けることが出来るであろうか?

一人ひとり素の人間になって語り合えば心は通じるのかもしれない。今、世界中の人は全ての枠をはずして、もう一度素の姿で相手と出会ってみて欲しい。このオオカミとヤギのように。以上、抜粋。

二幕目第三場の満月の下。昔がぶが、狼の長だった父親に連れてきてもらった岩山でめいに思い出を語るところがすごく良い。仲間の狼から馬鹿にされ、自信を失っていたがぶに、父親は「己れを信じ、自分らしく生きていれば、必ず自分を信じ、認めてくれる友達ができる」と言ってくれたという。そして、がぶはめいのことを「秘密の友達」であると告げる。

未だに世界のあちこちで紛争が絶えない。ある国が他の国を憎しみ、ある民族が他の民族と敵対している。お互い同じ人間であるにもかかわらずに。そんな愚からは悲しみしか生まれない。きむらゆういちさんの言うように、一人ひとり素の人間になって語り合えば心は通じるのではないか。

そんな世界平和に対する強烈なメッセージをこの芝居から感じた。