歌舞伎「婦系図」二幕

錦秋十月大歌舞伎夜の部に行きました。「婦系図」と「源氏物語 六条御息所の巻」の二演目。

「婦系図」。柳橋で全盛の芸者だったお蔦(坂東玉三郎)は若きドイツ語学者の早瀬主税(片岡仁左衛門)と愛し合う仲となり、芸者を辞めて堅気となって主税の家で一緒に暮らしている。だが、このことを主税の恩師である酒井俊蔵(坂東彌十郎)が許さず、お辰は世間の目を憚る身という背景が悲恋を呼ぶ。

第二幕湯島境内の場でお蔦が弁天様にお参りに行っている間に、主税が第一幕の本郷薬師縁日の場で見かけたスリの万吉と再会したときに、了見を改めるように自分の身の上話を語るところが良かった

自分も孤児で、浅草で“隼の力”と渾名されるスリだった。十二歳のとき、奥山の釣り堀で客の金時計を狙ってしくじり、その男に連れて行かれたのがドイツ語学者の酒井俊蔵の家だった。そこで酒井夫婦の温情に触れて改心し、勉学に励み、生まれ変わった。酒井は主税にとって大恩人というのはこういうわけだったのだ。

第一幕柳橋柏家の場で、酒井は主税に対して盃を取らせ、「女が焦がれ死にしようが構わない。俺を棄てるのか、女を棄てるのか」と迫り、主税が恩師に背けずに「女を棄てます」と言い切って、盃を飲み干したのは致し方ないことかもしれない。

男の立身出世のためには女を棄てるのも当たり前、芸者という職業を差別する世間体、この作品が作られた明治時代はそういう風潮があったことも否めない。だが、酒井はそういう表面的なことで一方的に主税とお蔦の仲を反対しているのではなかった。自分も小芳という芸者と命懸けで愛し合った経験があり、妙子という娘も産ませた。主税はその妙子と一緒に大切に育てた我が子同然の特別な弟子、若い主税の純粋な気持ちは理解できるが、これから世に出るためには、芸者を妻に持って世間からとやかく言われ、将来を誤ることが心配なのだ。

あれほど派手な気性だったお蔦が、借金返済のために柳橋を出るときには着替えひとつ持たず、今ではすっかり堅気になって家事に励んでいる。そんなお蔦の健気さ、真剣さを芸者の小芳は自分のことのように必死に訴え、主税を擁護するところ、酒井は重々承知の上だったのだと思う。

それを受けての第二幕湯島境内の場における主税が別れ話を切り出そうとお蔦を参詣に連れ出した心情はいかばかりか。一緒に暮らすようになってから二人で外出するのは初めてとウキウキしているお蔦と対照的なのが物悲しい。はじめは冗談だと思って聞いていたお蔦が主税が本気だと知り、酒井の言いつけだと言われたら受け入れるしかない。

「切れるの別れるのは、芸者のときに言うこと。今の私には死ねと言ってください」と泣き崩れるお蔦の台詞…身を切るような思いで倒れそうになるお蔦を優しくいたわる主税。この男女の悲恋は時代錯誤なのか。令和の時代にも、どこかで共感できる部分を感じると僕には思えた。