桂二葉の会 桂米二「除夜の雪」

桂二葉の会に行きました。「看板のピン」(ネタおろし)と「池田の猪買い」の二席。ゲストは桂米二師匠で「除夜の雪」だった。

二葉さんの「看板のピン」。若い衆がおやっさんを「仲間に引きずりこもう」と博奕に誘う型というのは初めて聴いた。昔は親分とか呼ばれて相当ならした人物で、訳あって二十八のときに博奕はやめたのだという。余りにしつこく誘うので「ホンマモンの博奕を教えてやる」と言って、“看板のピン”作戦で博奕なんかやめなさいと諭す貫禄は江戸落語と同じだ。

この看板のピン作戦を自分でもやってみたいと実行に移す男は「博奕は二十八のときにやめた」と言うが、「お前は二十三だろ!」と突っ込まれるのがまず可笑しい。「博奕で負けた金くらい、家を売ってでも払ってやる」と言う台詞も、「お前、俺の家に間借りしているだろ!」と言われ、カッコ悪いのが面白い。でも一番笑ったのは「壺皿の横に賽が出ているよ」と何度も注意されるのに、耳を塞いで聞こえていないふりをするところ。アホを徹底的に演じる二葉さんが好きだ。

「池田の猪買い」も同様。身体が冷えると訴えた喜六は甚兵衛さんから「身体の内から温めなさい」と言われ、猪の肉を食べることを勧められる。とりわけ「新しい」肉が良いと言うので、喜六は池田の山猟師の六太夫さんのところまで買い求めに行く。人に尋ねながら行く道中もアホ満載で可笑しいが、六太夫に出会って、一緒に山に猟に出掛け、目の前で猪を撃ってくれと頼む一本気なところは、兎に角新しい肉が良いと一点に頭がいっている喜六の純粋さが可愛い。

二頭の夫婦の猪を見つけ、雄にするか、雌にするか、迷いに迷い、猪に銃口を向ける六太夫の横でやたらと喧しくて、「黙ってや!」と怒られる喜六だが、目が綺麗に輝いている。憎めないアホは可愛いという点で、「看板のピン」の猿真似する男と共通するものがあって、こういう噺は二葉さんの真骨頂だなあと思った次第だ。

米二師匠の「除夜の雪」。作者の永滝五郎先生は元はお寺の住職だったそうで、そういう体験を踏まえてこの作品が生まれたのだろう。「提灯に釣り鐘」、そして「釣り合わぬは不縁のもと」という言葉を上手に使った名作だと思う。

大晦日の晩に提灯を返しに来た伏見屋の御寮人(ごりょう)さん。若旦那が惚れて、「格が違う」という母親の反対を押し切って夫婦になったが、余りに姑の嫁いびりが酷く、耐えきれなくて首を吊って自害してしまった御寮人さんの不幸が身に沁みる。

坊主三人がまだ突いていないのに、除夜の鐘が鳴ったのは、檀家で誰かが死んだという印。寺に来たはずの御寮人さんの雪の上の足跡がなかったのは、きっと霊が提灯を届けさせたのだろう。御寮人さんは店では辛い思いばかりさせられていた。月に一、二度の寺参りが息抜きになっていたと後から来た伏見屋の番頭の藤助から聞かされて、なるほどと思う。

それなのに、姑は「不細工な死に方をしおって。暖簾に傷がつく。これでもっと良い家から嫁が貰える」と言い放ったという。なんという非道な姑なのだ。いびり殺されたと言ってよい御寮人さんにとって息抜きの場だった寺に、彼女はお別れを言いに来たのだと思うと何とも物悲しい気持ちになった。